寄り道散歩 -2ページ目

矛盾


いろいろ 矛盾なことばかりです。

世の中も 制度も 自分も。

最近、勉強を始めました。

教科書に書いているあることと、実際のこととは 全然違う。。

ジレンマがあるとは 書いてあるけれど。。

世間のこととかは 批判すればいいし、文句も言える。

でも、自分のこととなると どうにもならなくなる。


まったく違う 二つの気持ちが ある。

冷たい私と、それを批判する私。

冷たい私と、それを後ろめたく思う私。

後ろめたさが、気持ちを重くする。

自由になって欲しい と思う反面、一緒に居られないと思ってしまっている。

どうにも 自分には 出来ない現実。

人のことなら、何とでも言えるのにね。







「リトルミイの名言」


時々、読み返したくなる言葉です。


1.何とかなる。それは、やることをちゃんとやってる人のセリフ。

2.時々、誰かに言われた言葉がチクッて刺さってイラッてするときあるじゃない。それね、本当のこと言われてるからよ。

3.忙しい忙しいって言う人いるじゃない。きっと頑張っているわねって褒めてほしいのよ。だからこう言ってあげたほうがいいわ。時間の使い方が下手ねって。

4.あなたね、決断力がないんじゃなくて、決断する方法をしらないだけよ。あのね、いい方を選ぶんじゃなくてあなたが思う方を選ぶのよ。最初はいろいろ失敗するわよ、あなたバカなんだから。でもそのうち自然といい方を選ぶようになっていくわよ。最初からうまくやろうなんて自惚れてるんじゃないわよ。

5.逆よ、全く逆よ。自分と向き合うにはひとりになるんじゃないわ。いろんな人と関わりあうのよ。お友達とおままごとしろって言っているんじゃないの。自分の知らない、自分を知らない人たちと関わりあうのよ。見えてくるわよ、本当の自分が。

6.あなたの夢を、そんなこと無理だっていう人いるでしょ。こう言い返してやりなさい。あなたには無理ね、でもわたしはできるの、あなたとわたしはちがうから、って。でも言ったからには夢をかなえなきゃいけないことも覚えておきなさいよ。でかい口たたくんだから。

7.ひま、やることがない。なんて間抜けなセリフだこと。春は花を見て、夏は太陽を浴びて、秋は落ち葉を踏んで、冬は静かに春を待つの。やることがないんじゃないわ。やることをわかってないのよ。

8.縛らないことよ、自分で自分を。わたしはかわいい、わたしはブス。わたしは賢い、わたしはダメ。わたしはモテる、わたしはモテない。あなた、自分をすぐ何かに決めつけようとするでしょ。本当の自分を見つけるのはもっとずっとずっと先の話。今することは、一生懸命迷うことよ。

9.新しい生活、その不安ね。大丈夫よ、全然、大丈夫よ。いま考えてもしかたないじゃない。何かあったらその時に考えればいいのよ。本当にそんなものよ。それで意外とうまくいくのよ。

10.恋ね。冷めると冷える。冷めるって、心地いい温度よね。冷えるって、おしまいよね。

11.女ってね、時々、好きな人といたくて。時々、好きな人の前から消えたくなるの。それをわがままっていう男とは、一緒にいれないわ。それをかわいいって思う男とは、長くいれそうね。

12.そうね、明るくしているほうが楽しいわね、明るい人にとっては。けど、暗い人には疲れちゃうわよね。だからね、楽しくするってより、楽にする。なのよ。

13.みてるわよ、あなたがしていること。あのね、神様じゃないわよ。もうひとりのあなたがよ。もうひとりのあなたがあなたをみているのよ。見放されないようにね。嫌われないようにね。

14.信頼でしょ。これが揺らいだらおしまい。さようなら。

15.一生懸命努力してるのに報われないじゃない。努力の量が足りないんじゃなくて、仕方が間違ってるんじゃない。

16.迷わないことが強さじゃなくて、怖がらないことが強さじゃなくて、泣かないことが強さじゃなくて、本当の強さって、どんなことがあっても、前をむけることでしょ。前をね。

17.はじまるわね。新しい場所、新しい事、新しい人。大変よね、不安よね。あのね、少しだけ思い返してみて、離ればなれになった友達を。道は違うけど、同じ不安よね。だからこう思って。みんな頑張って、わたしも頑張るよって。きっとね、みんなもあなたを応援してるわ。さあ、頑張りなさい。

4年前


4年。時が経つのは早いです。

私はその時、仕事中でした。

ぐらぐらと ゆれて、怖がる患者さんたちに 大丈夫だから と、机の下にもぐるよう

言いました。

私のいたところは、建物的には半地下で、揺れは 一番少なかったみたいです。

机のものとか、何も倒れなかったから。

揺れがおさまったら、ラジオをつけて 震源はどこか 確認しました。

東北と知って、遠いから こちらは大丈夫だから と 患者さんたちに 伝えました。

少しして、また揺れが来て、大丈夫だからと 机の下にもぐるよう言いました。

私は、このとき 職場にいて 良かったなと思う。

私が 守らなきゃと、気を張っていたから、内心バクバクになりながら、

気丈でいられた。。。


しばらくして、事務所に行った人から、東北がすごいことになっている。津波が来ている。

と聞かされた。

そのときは、津波って物がどんなものか わかっていなかった。

大きな波 が ザブンと来て。。。というイメージしかなくって。

それでも、日常業務を終え、家についても、実家に大丈夫だろうと連絡も入れなかった。


普通にご飯を食べて テレビを見ていた。

でも、どんどん 怖くなっていった。

被災地の状況や 関東できずに人が溢れていたり。

そして、あの時の揺れをおもいだして、物音に敏感になって、揺れていないか 周囲のものを

見回したり。

恐ろしいことが起こった 恐ろしいことが起こった って、じわじわ じわじわ思い出して。


次の日は、晴れだった。

窓を開けると、近くの公園から 子供達の 遊んでいる声が聞こえてきた。

その時 私は、この恐ろしい感覚と、子供達の声に もの凄いギャップを感じた。

でも、そういうものなのだ ということも 理解できた。

どこかで、もの凄いことが起きていても、別のところでは、日常は変わらず営まれているということを。

不思議だけれど、そうなんだ。

誰かが悲しんでいる時に、誰かが笑っている。

でも、その笑顔は必要であること。

その日常も、困難な日常と 平行して 存在すること。


一ヶ月以上 体の揺れている感覚が、続いた。

トイレに行って しゃがむと いつも 揺れている感覚に見舞われた。

何かをしなきゃ 何かをしなきゃ と、支援物資になるものを探して 送った。

でも、使ったことのある タオルを混ぜてしまっていて、後になって 悪いことをしてしまった

と思った。

窓を開けると、放射能が入ってくるんじゃないかと、窓は開けなかった。

部屋の空気窓葉大丈夫かと心配した。

テレビで 原発の屋根が 無くなっているのを見て、どきどきした。

どきどきして 心配で心配で どうにもならなかった。

そうしたら、いざとなったら 相方の実家にいけるから というのを聞いて、

やっと安心できた。

でも、その頃 祖母は寝たきりで 経管栄養で、道一緒に連れて逃げたらいいのだろう。。。

と 考えた。

雨が降って 濡れてしまった。怖くて、ずぶ濡れになったリュックも 洗った。



誰かが、日本の歴史は 戦後が一つの区切りだったけれど、これからは それに 震災後も

区切りとして加わるだろうと 言っていた。

そのときは、ぴんと 来ていなかった。

でも、しばらくして その言葉を 実感した。




ぐだぐだと 自分のことだけのことを 書いてしまったけれど、

当時の気持ちを記すものとして書きました。