何回も開催されてきた夫婦ミーティング。




暗「もう赤ちゃん諦めたい」

明「大丈夫。赤ちゃん来てくれる」

暗「なんで私には出来ないの嫌だ死にたい」

明「2人で頑張ろう」


極端で感情の波が荒い私。こんなあげさげを繰り返す私を夫は一貫して


「大丈夫だから。」


と支えてくれていた。









だが、はや結婚四年目である。








本格的に不妊治療をするかどうかについて考えるようになる。






デリケートな話題だし、賛否両論ももちろんある。





これは私の考え、正直な気持ちである。







私は自然妊娠にこだわりがあるわけではない。


そして不妊治療に偏見があるわけでもない。






このわかれ道に立って、どれくらい考えたかわからないくらい考えた。










結果、不妊治療をしてまでも子どもを授かりたいとは思えなかったのである。






子どもは授かりもの。




治療が出来ない昔なら私たちは夫婦二人のまま。




けれど今なら治療が出来る。そしてもしかしたら授かる事が出来るかもしれない。




けれど、神の手から離れて治療が成功して生まれたとして、その赤ちゃんに病気や障がいがあった時に絶対に自分を激しく責めてしまうだろうと強く思った。



この障がいや病気についてはこれまでに考えていなかったわけではない。むしろ深く考えてきた。



小さい頃から兄弟のように育てられてきた私のいとこが障がいを持って生まれてきたからである。そして現在も支援学校でそんな児童たちとボランティアとして関わりがあるからである。




夫とも結婚前から今まで、妊娠、出産した子にもし病気や障がいがあったとしても関係ないと2人で話していたし覚悟はもちろんあったから子作りしていた。




けれど本来なら妊娠出来なかったであろう私達夫婦の思いから授かった子に背負わせてしまうものがあった場合、私は絶対に自分を許せないと思った。
(伝え方難しい日本語おかしいすみません)
 



そうまでしても絶対に授かりたい。と思えなかった。







この考えにたどり着いてからもかなり病むことになる。




私は本当に赤ちゃんが欲しいと思っていたの?


責任感のない卑怯もの。



言い訳して逃げてるだけじゃないの?




私ってなんて薄情な女なの。