次の人のためにドアを開けて待っててあげる。
お年寄りの重たい荷物を持ってあげる。
自転車置き場で倒れてる自転車を整頓する。

どれも世の中の役に立つ良い行いキラキラおねがい
善行、徳、陰徳と呼ばれるもの。
徳を積むのは良いことだけど、あまりにもそれに執着すると、さてどうなる?

一日一善を目標に頑張ってた時期があった。良いことをした!平和に解決ルンルン照れって思った満足感が、気分良かったから。
そしたら何だか"困ってる"人に出会う事が多くなった。両手に大荷物を抱えててドアが開けられない人とか、小銭がうっかり足りなくて買い物出来ない人とか。ちょっとした困り度の人達なんだけど。
それでもそんな人達に手を貸してる自分が、"良い人間"のような気がして、一日一善を目標に続けてた。
そしたらさらに助けが必要な人に出会うようになったから。。。あれっ??キョロキョロ
そこでふと気づいたニヤリ

善い行いをしたい = 困ってる人に手を貸したい
これが私の願いだとしたら、願いが叶う為には、困ってる人が必要ってこと!?
だから困ってる人に出会う事が増えたのか!?びっくり

それ以来、願い事を変えてみた。
一日一善は止めて、「困ってる人が減りますように」って。そしたらだんだん困ってる人達に合わなくなった。
これは私の前からいなくなっただけなのか、世の中の困ってる人の全体数が減ったのかはわからないけど。少なくとも私から見た世界では減ったかな。
そう、困ってる人なんて、最初からゼロの方が良い。それが本来の平和流れ星

改善を目標に頑張るのも同じことだと思う。
改善は生産性を高めて、良い結果を生み出す手法だけど、あまりにもそれに執着すると、問題が増えるかも。
だって、"改善"ってことは、目の前に悪い状況が必要ってことだから。

今はね、目の前に困ってる人がいたら、自分の出来る範囲で手を貸すことにしてる。そんなくらいで丁度良い口笛


キラキラ