今回の暴行事件を経て、


私は「来世は警察官か検察官になりたい」という思いが強くなりました。 


もともと、若い頃から
警察官
医療者
消防士
弁護士
のいずれかに憧れていました


 今生では、若い頃から病人や怪我人に遭遇する機会が多かったため医療者の道を選びましたが🚑




今回の事件で、私は初めて経験する種類の怒りに触れたと思います


何も悪いことをしていない人が殴られる

という理不尽さ

 

これまでとは異なる、自分ではなく他人が殴られることで生まれる怒り


 この怒りは、今までの人生では知らなかった回路から噴き出してきたように感じました



この事件がなかったら、私はこの怒りを知らないまま生きて死んで

来世に警察官や検察官になろうとは思わなかったと思います



ここで、私思ったんです


悪人が存在するから、正義の心は生まれると

私は暴行に及ぶ加害者を見て

「アイツを倒したい」「アイツを倒さなければ」と思いました

生かしておけぬ、と

怒りで震えてマトモに眠れなかったです




例えば

この世から悪が完全に消えたとしたら、正義は生まれないのかなと


喜びや感動、怒り、安堵といった感情も失われ、人間は動物園のヤギさんやヒツジさんのように照れ

情動の少ない生物になってしまうのではと

(もちろんヤギやヒツジを馬鹿にしているわけではなく、あくまで例えですよニコニコ




“争いは起きなくなるかもしれませんが”



行動は本能や習慣に支配され、感情の振幅もほとんどなくなるのかなと





苦労があってのご褒美、仕事するから休む、悲しい事があるから喜びを感じる


喜びや感動には、苦しみや悲しみという陰陽の関係が必要であると



こう考えると

悪の存在は不快であり絶対的に許せない、憎き存在ではあるものの

悪人が居なければ正義もない→喜びや悲しみという喜怒哀楽も薄まる→情動のない(少ない)心になる→魂の学びもない(少ない)


と考えたら

悪や苦難は必要なのかな、、、と



てことは悪は絶っっ対に無くならないですよねガーン

嫌なんだけどー💦ムキームキームキー



スピリチュアル的に考えるとどうなんだろう真顔 



私は悪を根絶させる事が正しいことだと思っていました

それが人が本来向かうべき方向であると



でも本当は

悪を消滅させる事が目的ではなく

善と悪が互いにぶつかり合うことで、私たちの魂は磨かれていく

戦い合戦をさせられているのかなショボーンショボーンショボーン



そう考えると、

俗に言う天界や宇宙、神々や守護霊たちは


決して私たちに「善の魂になれ」と強制しているわけではないのかな??と


 むしろ、彼らは私たちが自らの選択で善や正義を実践すること、魂を成長させることを傍観しているのではないか、、と




そんなこと考えてたら

色々わからなくなっちゃった魂が抜ける

正しいって誰のためなんでしょうか


なんのためなんでしょうか



だれか教えてください