重いタイトルだが

わたしがそう思ってたのだから仕方がない


4、5年ぶりに高校時代の友達に会った。

数少ない友達のひとりである。


会わない間があったが、

話せば高校時代さながらだった。


しかし、わたしらは今年33になった。

感覚は17だが、確実に、33へとなった。


彼女の歴史を聞いた。

親とどの様に関わり、どのようなことがあったのか。

彼女は彼女なりの理由があり、

彼女として生きるために実家を出ていた。


毒親、という言葉がある。

彼女の親は決して毒親ではない。

ただ娘を大切に、心配し、導こうとしただけで。

だが、彼女のエピソードをただ聞いてしまうと

他人は安易に毒親、というかもしれない。


わたしも、学童の仕事をしていなかったら

なんて親なのだ。と言っただろう。

彼女の両親を直接知らなければ

彼女の敵と見なしただろう。


今は少し想像ができる。


親、となると

なにもできない儚い存在を守り、育む。

儚い守るべき存在。

それは、子ども当人としては驚きだが

きっと我が子が死ぬまである感覚なのだろう。


だから心配で、だから守ろうとする。

子ども当人の価値観や挑戦を

潰す結果になってしまっても。


そんな彼女の歴史。


実家を出て、色々大変だったけど

実家でてよかったね。


率直にそう思った。

彼女が彼女らしく、

彼女の人生を送っているんだなと思ったから。


同時に

不思議だがわたしもここにいていいんだと思えた。


一点だけを見つめれば

なんてくだらないことで悩むのか。

なんでわたしは家族をかえりみなかったのか。


でも、その一点はあくまで過程。

自分の人生を生きていることである。

それだけで、価値。





わたしの父が8月に亡くなった。

59だった。

まともに父と話せないまま

父は私たち家族からいなくなった。


父は、私たちを育てるのに

どれだけの時間と労力をかけたのか。

たった59年、定年まであと半年とちょっとだったのに。


父のかけた分だけ

わたしは生きているのだろうか。

低賃金で働き、安定もない、

ただ自分の選んだ仕事をしている私。

特段、優れた能力もなくただダラダラ働いてる私。

結婚も出産もしていない私。

実家におらず、家族を支えもしない、独身の私。


なんて、父の人生を浪費した子どもなのか。

そう、思うし、そう思われても仕方ない。


漠然と、もうただ死ぬだけなのだ。

ならもういっそ、死んでしまいたい。


葬式を終えて、なんどそう思ったただろう。


ただ死ぬだけの人生。


友達の歴史を聞いて

彼女が彼女として生きていて

彼女が友達でいてくれて有難い。


私は間違いなく彼女を応援したい。

不思議だが同時に

また私も彼女とは全然境遇は違うが

私なりに生きてきていると思えた。


わたしたちって

実はとても頑張ってたし頑張って生きてる。


そう思わせてくれた彼女に感謝。


私はあとただ死ぬだけだと思っていた。

でも明日からは少し…生きていけると思う。


わたしらは頑張っている。

親の意向に沿ってればもっと安定していたかもしれない。

親を安心させられたかもしれない。

でも、わたしらはわたしらで

考え感じ悩みながら生きてきた。

たとえ、親の心配どおりになってしまっても

でも、わたしらはわたしらの人生を生きる。

生きるだけで、価値。