2017年3月中旬
 

手術前検査の日から3日後に、離れて暮らしている大学生の娘が帰ってきました。

17時頃到着の新幹線と聞いていたので、夫が最寄駅まで迎えに行って二人でどこかでご飯を食べてもらう予定でした。(私は仕事の帰りが21時過ぎるので)
 
夫はその日の朝、どこに食べに行こうかなぁルンルン
久々の娘とのデートにとても喜んで出勤。
すると、その後娘からメッセージが。
 
「ネイルの予約入れてるからご飯はいらない。帰りは22時過ぎになる。」
 
かわいそうな夫…えーん
初日から思いっきり振られましたダウン
 
とはいえ、何をされても娘はかわいいらしく、
22時過ぎに車で迎えに行きましたがウインク
 
 
さてその翌日。友達の結婚式に出席して21時過ぎに帰ってきた娘。
夫も私もその前に帰っていたので、三人でお茶しながら、まずは娘の話をひとしきり聞きました。
友達と久しぶりに会えた結婚披露パーティーの様子を、楽しそうに話す娘の横顔を見ながら、私はこの後自分のがんの話をするなんて、残酷物語だなと思いました。。
 
そして、娘の話も終わり、一息ついたので、
夫に
「そろそろ話そうか。」
と言うと、頷く夫。
それを見た娘は、
「え?なになに?」
「ちょっと話しておきたいことがあってね。。」
「ちょっと待って!当てる!」
ほんの少し考えた後、
「弟ができた?」
びっくりびっくりびっくりびっくりびっくりびっくりびっくり
 
夫と二人で大爆笑爆笑爆笑爆笑
いやぁまさかそう来るとは!
アラフィフ夫婦、まだまだ現役と思われているようですニヤリ
でも、そんなに弟欲しかったんだなぁ。。。
(お母さんも最近息子が欲しいよ)
 
「え?何?いい話?悪い話?」
「うーん、悪い話かもしれないけど、タイミングとしては今でよかったからいい話になるかもね」
「どっちかが病気とか?」
「うん。」
「お母さん。」
「ピンポーン。何の病気だと思う?」
「…乳がん??」
「すごい!何でわかったの?」
「なんとなく。。ってかお母さん、今すぐ死なんよね!
「うん、いつかは死ぬけど今すぐには死なないよ。」
「ならよかった。そうやったんやー。」
 
とまぁ、予想通りというか、びっくりはしているものの、
私と同じで、泣いてたまるかという気持ちからか、涙を見せることはありませんでした。
 
そして、病気がわかったいきさつや、来週21日に入院し、22日に手術をすることを伝えると、
「えー!その日追いコンや」
(追いコン: 部活の追い出しコンパのこと。卒業生を送る飲み会。)
「知ってるよ!だから手術終わって病室戻ったら、お父さんに写メ撮って送ってもらうから、カラオケしながらそれ見て安心しててへぺろ
「えー、そんなん無理やん。気になるし、カラオケでみんな盛り上がってる中、お母さんの術後の姿を一人見るとか、なんなんよー。」
 
こんな感じで話をした後、娘にもこれから始まる恐怖を共有してもらいたくなって、激痛と聞いたセンチネルリンパ節生検の注射を乳輪にすることや、全身麻酔の時に喉から気管確保の管を入れられることや、どこをどのくらい切る予定かをこと細かく説明ニヤリニヤリニヤリ←悪い母親
 
痛い話は大嫌いな娘、聞きたくないと逃げ回り、
「ねぇ、その説明全部私に必要?」ムカムカムカムカムカムカムカムカムカムカ
 
 
ブチ切れちゃいました。
ごめんね、遊びが過ぎましたてへぺろ
 
その後、娘が
「それにしても、いつかはお母さん達死ぬんだね。一人になる覚悟が少しできたわ。」
というので、
「そうよ!一人でも生きていけるよう、しっかりお金を稼げる仕事につきなさい!!ブラック企業はダメだけど。」
 
そう、娘には、手に職じゃないけれど、
他人に頼らずとも一人で生きていける経済力を身につけてほしくて…。
私ができなかったことだから。。。
(結婚が女の幸せとは限りませんからね〜爆弾)
 
 
こうして、ようやく最後の関門も突破!!
ふ〜っと力が抜けました。
あとは、入院の準備をするだけです。
 
ちなみに、この、娘に話した日が、
その頃働いていた会社への最終出勤日でした。
大好きな上司(女性)が帰り際に握手をして下さいました。とっても温かい手でした。
職場の皆さんからも応援の言葉をもらい、とっても嬉しかったです。
ただ、なんとなく、戻ってこられるかなぁという思いもあったので、一応自分の私物はすべて持ち帰りました。
 
そんなこんなで、この日も中身の濃い一日になりました。
 
右矢印入院準備