大学3年生になりました。

無事に進学を果たし、これで、所属が正式に「東京大学 教養学部 超域文化科学分科 文化人類学コース」になりました(長い)。

 

教養学部というところは、「既存の枠組みにとらわれない、新しい領域を開拓する」「深い教養と広い視野を持つ人材を育てる」などと言って、学際性、柔軟性などを前面に押し出しています。

一方で、これらは裏を返せば、「1つの分野に関する深い専門性がない」とも言えます。実際にそういうイメージを持たれがちだと思うし、僕も持っていました。

 

ただ、最近は考え方が変わってきました。

1年半の前期教養課程を過ごさなければならない東大では、残り2年半しかない学部のうちで深い専門性を身につけることはほとんど不可能に近い(大学院に行くとなれば話は別ですが)。とりわけ、大半の学生が院進しない文系の学部には、そのことがよく当てはまります。そもそも、専門性が身についたところで、世間一般からは、それは「役に立たない」と言われる学問ばかりです。人文科学が本当に役に立たないか、という議論は今回は置いておきます。

 

だから、考え方を転回させました。

学部では、1つの分野における専門性を深めることはハナから諦めて、そのかわりに、自分の思考の軸を増やすことにしました。本を読んだり、人(教授でも、友人でも、その他でも)の話を聴いたりする中で、様々な考え方に触れることで、価値観を多様にする。思考軸を増やそうとする理由は、そうすることによって、柔軟な対応ができるからです。ある問題があったときに、それを多角的に捉えることができれば、柔軟な解決策に到達できる、と思うからです。

 

こうすると、なんだかよく聞くような、陳腐で抽象的な言葉を並べているように聞こえますね。でも、僕は本当にそう思います。

ちなみに、春日直樹は『〈遅れ〉の思考』(東京大学出版会、2007)の中で、上に述べた〈問題ー解決〉という思考回路すら批判していました。現代人は、〈問題ー解決〉型の思考に捉われすぎている、と。最近就活を始めたのですが、たしかに、多くの企業の紹介文には、そろいもそろって「問題」を「解決」するなんて言葉が並んでいました。こういった、大多数の人々が信じて疑わないような考え方の、一歩外に出てみること。これこそが、軸の多さに裏打ちされた「柔軟な思考」であり、これは多様な価値観を内面化した人だけの特権です。

 

話を戻します。

こう考えた結果として、僕は、大学に行く理由を「専門性を身につけるため」ではなく「価値観・考え方を豊かにするため」と割り切ってとらえるようにしました。

これは決して、前者の考え方を批判しているわけではありません。専門性が身につき、社会に役立てることができれば素晴らしいことだと思うし、専門性と思考の多様性を両立させて吸収することも可能だと思います。実際、僕の友人にもそんな頭のいい人がたくさんいます。

ただ僕は要領がそこまで良いわけではないし、大学生として他にも時間を割きたいことがあるので、割り切って後者の方を選んだ、というだけの話でした。

 

次回は、なぜ文化人類学を選んだか、を書きたいと思います。