ハセのブログ

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ネタバレへの配慮は一切なしに書きますのであしからず。

 

2024年10月の北とぴあ以来のソロコンサート。

感想を書くのは非常に難しい。

その原因は、未だにソロ・宮本浩次への向き合い方が定まらないからだ。

 

結果として、ライブに行っても心の底から「素晴らしかった」「最高だった、さすが我が宮本」と思うことができない日々が続いている。

 

今回は特に、いよいよエレファントカシマシの活動が不透明になっている状況の中で始まった「俺と、友だち」「新しい旅」だから、より不安定なまま足を運んだ新春武道館だ。

 

第一部でOver the top、風と私の物語、I AM  HERO という最近の話題曲を早くも披露する。

そしてエレファントカシマシの代表曲(風に吹かれて、今宵の月のように)だけでなくレア曲も(さらば青春、ハローNew York!、彼女は買い物の帰り道)。

特にハローNew york!には驚いた。

今聴くと、まるで夏目漱石が初めてイギリスへ留学した時の異国への新鮮な驚きを、下世話にロック的な表現で歌ったように感じられて面白かった。

宮本が言っていたエレカシとは別のバンドでロックがやりたいというのはこういう感じなのか思ったのだが。

 

キーボード、小林武史。

バックの映像、半分くらいは縦横無尽ツアーと同じもの。

オレには”新しい”旅の新しさを感じることができなかった。

 

個人的によかったのは、まずハレルヤ。

「幸あれ」という部分が新春にふさわしく晴れやかな気持ちになった。

夜明けの歌。数年前の元日に動画で上がったのを思い出した。

 

 

 

新春にふさわしくない辛気臭い内容になった。

しかし自分なりに向き合っていくしかない。

降りるつもりなどさらさらない。

尻切れトンボ気味だった昨日のブログ①の結論は、「あれだけのバンドとなったエレファントカシはこれからも当然続くだろう、そしてそれはライブ中心の活動になるのではないか」ということ。

 

ソロで創作欲は満たされているだろうし、面白そうなオファーも山ほど来ているに違いない。

2本立てで活動するとなれば、エレファントカシマシはライブ中心にならざるを得ないというか、そこにこそバンドの未来があるように思われる。

エレカシとしてのアルバムは・・・・5年以内に出してくれれば、というのがファンとしての精いっぱいの欲だ。

 

さて俺たちの野音だ。

「序曲」夢のちまたに始まり待つ男に終わる。

論語風に書けば、【不亦説乎】またよろこばしからずや―なんとうれしいことではないか。

 

・第一部。これを味わえるのは野音のみ。目と耳と脳だけになって映画館の椅子に座っていた。太陽ギラギラ、お前の夢を見た(ふられた男)、ひまつぶし人生の3連発、これはもう一生見れないと思う。

 

・東京の空。これも野音以外ではなかなか聴けない。「俺たち」にはすでにこの世にない人たちも含まれているわけだが、近藤等則を招聘するとは・・・・。細海魚のキーボードが、いたずらに近藤等則の音を追わなかったのはさすがだった。

 

・第二部も、改めてセットリストをみると恐ろしい。今のところの最新アルバムから旅立ちの朝が選ばれたのは嬉しい。

 

・アンコールまでの間に時計を確認するとまだ19:30。変に頭がはたらいて、なにか弾き語り→武蔵野→俺たちの明日→待つ男の流れに違いない!と思っていたら、やっぱり涙が。ところが急に待つ男で野音が赤黒くなり、終わってしまった。最後の最後にちょっと肩透かしを食らったような気に(勝手に)なってしまう。

 

最初に書いた通り、現野音最後のステージで未来に大きな期待を抱かせるエレファントカシマシを見ることができた。

俺たちの野音、最高だ。

 

野音から歩いて10分ほどの丸の内ピカデリー・ライブビューイングにて。

 

宮本のソロ開始以降、エレファントカシマシの活動はめっきり減ってしまった。

ホームページのPAST LIVE欄を見ると、35周年の2023年の15本(うちワンマン10本)が最多だ。

 

しかし、それはエレファントカシマシの衰退を意味しない。

それどころか、見果てぬ夢のようにずっと追い求めていた理想のバンド像に明らかに近づいているのではないか。

 

そう確信させる「俺たちの野音」だった。

 

 

まず単純に、サポートギター無しでも少しも物足りなさを感じない迫力ある演奏。

さらに、「序曲」夢のちまた・待つ男など、鍵盤無用の曲では細海魚は静かに身を引き、4人だけでの演奏を見せた。

 

ユニバーサル期の後半、宮本は4人でのステージを模索したがなかなか思うようにはいかなかった。

それがここへ来て現実化しつつある。

 

石冨成の3人、特にこの日の石君の演奏は目を見張るものだった。

ロックバンドのリードギタリストでありながら、何年もの間第3番手の位置に甘んじていた男とは思えない。

堂々としつつ飄々としたあの姿。

冨永義之・高緑成治に後れを取ったが、ようやく石森敏行本来のプレイスタイルが確立されたのではないかと思う。

 

宮本浩次のボーカル・ステージングは言うまでもない。

ソロとは根本的に違う、暴力的といおうか、畏怖すべき歌だ。

それぞれのフルパワーを発揮した4人が揃い、そのうえ場所が日比谷野外野外大音楽堂だからこそ、今までみたこともないようなエレファントカシマシが現れたのだと思う。

野音前日ですが。

 

マックのCMで最初に(一部分)聴いた時の印象は「声がオリジナルとは変わってるなぁ」でした。

フルで聴いたときは「こんなにオリジナルに忠実なカバーは聴いたことがない!」。

 

セルフカバーというのは、オリジナルに何かしら不満があるか、当時とは違う解釈で歌いたいと思ったときにするものでしょう。

しかし今回はどちらにも当てはまらないようです。

自らの発案ではなく、マック側からの提案で実現した企画だからでしょう。

 

それにしても、いざレコーディングし直すとなれば、ふつうはいろいろと手を入れたくなるものだと思うのですが。

ややコバタケ色が出ている気はしますが、宮本の歌自体は何も変わっていない。BPMも同じです。

 

この歌は一つも変える必要がないという宮本の確信、作品に対する揺るぎない自信がこのセルフカバーを生み出したのだと思います。

 

 

10年ほど前の野音でしょうか、月夜の散歩の途中で佐久間正英に対する思いがあふれてきた宮本が涙声になったことがありました。

インタビューで、エレファントカシマシの最高傑作アルバムはポニーキャニオン期の2枚だと言い切ったこともありました。

 

今年の野音、俺たちの野音でも、天に届く声で今宵の月のようにを歌ってくれるでしょう。

行けなかったけど書きたいことがちょっとあるので。

 

①今回に限らないが、セットリストがとても自由でいい。

歌そのものに価値を置いているから「誰の」曲かなんて気にしないのだろうと思う。

 

②コンサートの、歌以外の部分。これも自由で風通しがいい。

ケーキ、自撮り、光るリストバンド。

特別席の設定。

アクリルスタンド。

色々なアイディアが出て、もちろん「それはちょっと・・・」と却下したものもあるだろうけど、基本的には軽い感じでOKしたのだと思う。

 

こういった要素は宮本ソロなればこそ。

だからといって、エレファントカシマシと差別化するために、といった戦略性はまるで感じられない。

面白い・やりたいと思ったことを無邪気にやっただけなのだろう。

 

 

・・・と、全面的に肯定しているんだけど、1つだけ。

あの勝手に光るリストバンド(という書き方からしてアレに対してどう思っているかおわかりだろう)。

 

ステージ上の歌・演奏をどう受け止めてどう反応するか。

それは100%オレが決めること。強制はされない。されたくない。

 

最近は見ないが、どうかすると客に無理矢理手拍子やコール&レスポンスを求める演者がいる(インディーズのバンドが複数出る、小さなライブハウスでよくあった)。

そうなったらオレはフロアの後ろへ移動して、そのノリから距離を置く。

 

リストバンドを光らせるタイミング、色、そういったものをスタッフ側がコントロールする。そういうことはオレは受け入れたくない。

わざわざコストをかけてアレを用意するんだったら、普通にペンライトを解禁した方がいいのではないかと思う。

 

ま、細かいことを言ってるなぁと思われる方もいるでしょうが、オレの中では譲れない一線なのです。

 

もし次回以降もあるようなら、オレは受け取りはするけど装着はしないと思います。

宮本のソロ活動が始まってから限られた数のコンサートしかやらなくなったエレファントカシマシ。

一方、一本一本のコンサートは以前にも増して充実したものになっているという現実もある。

そんな理由などから、2025年4月27日、アラバキロックフェスに行ってきた。

 

 

終わってからのなんとなくの感想だが、どこかこれまでのエレファントカシマシとは違う部分があるように感じられた。

むりやり言葉にすれば、「俺たちの明日」のサビ以外のところで、宮本が立ち止まって(あるいは腰を下ろして)こちらに向かって歌いかけてきたように思えた、というところだろうか。

 

 

なにしろ曖昧模糊とした感覚なのだが、つまり宮本が「歴史」で描いた森鷗外の姿が、今のあるいは今後のエレファントカシマシと重なるのではないか、ということだ。

 

官僚としての出世が望めなくなると逆に小説家としての輝きが増したという森鷗外。

 

宮本は一貫して「売れる」ことを追い求めてきた。

そして、それをエレファントカシマシで実現することをおそらくやめた。

それは、エレファントカシマシの未来がなくなるということではない。

売れることとは別の道を進むことによって、ロックバンドとしてこれまで以上に輝くべく、新たな進路を定めたということだろう。

 

客観的に見てエレファントカシマシはその偉大なキャリアの最終盤に差し掛かっている。

エレカシと共に歩む時間をできるだけ長く楽しんでいきたいものだ。

エレカシライブ久しぶり、新春久しぶり、武道館久しぶり。

 

 

待ちに待って待ちくたびれた1月3日。

 

 

 

とにかく演奏が桁違いに素晴らしかった。

エレカシ、ここまで凄かっただろうか?オレの感覚が狂っているいるのでなければ、実際にエレファントカシマシが桁違いの演奏をした、ということだろう。

シャララ。

オレが見た直近はたぶんさいたまアリーナ(2014)、その時もストリングスが入った演奏だった。

しかし、その違いたるや。

 

石森・冨永・高緑は、まるで大地に突き刺さった鉄骨のようだった。

そこから鳴らされる音には重油のにおいが混ざっている。

リズムにも宮本のギターにも何とも言えない不安定さ・人の気持ちを不安にさせるなにかがずっと響いているのだが、建造物未満の3本の鉄骨自体は全く揺らぐことなく大地に根を張っている。

 

存在の圧倒的安定と、音の不安定が同居している。こんな演奏は経験したことはない。

 

 

一方で、当然のように華やかな曲は新春らしく華やかだし、軽快なロックはやはり軽快だ。

”信じられないほどの振れ幅”というのはこれまでもエレファントカシマシにはおなじみの表現だが、それがここまで来たか・・・という思いだ。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

今回、とにかくこういうエレカシを見ることができて心から満足したし、今後のエレカシにも猛烈な期待感を持っている。

いずれ制作されるであろう新作を首を長くして待っている。

 

 

 

 

 

 

 

森鷗外の生誕地で行われる宮本浩次ソロコンサート。

行きたい場所を選んだ理由がそれぞれ書かれている中で、最もそっけなく記されているのがここだ。

逆に、地名の記載が「島根・益田(津和野)」と、ここだけカッコ津和野というこだわりの表現になっている。

 

森鷗外の生誕地で歌いたいという強い思いがこの2点から伝わってくる。

 

宮本あるいはエレファントカシマシレベルの人気だと、益田という地でコンサートをするチャンスはそうそうないだろう。

ひょっとしたらこれが最後になるかもしれない。

 

 

そう考えると、「歴史」を歌いたいという思いは当然持っているのではないだろうか。

 

ここだけセットリストを変えると、ツアーの全体性が失われる恐れもある。

しかし、むしろ「今、俺の行きたい場所」というコンセプトがより明確になり、ツアー全体の意味が一段と広がりと深みを持つ可能性もある。

ホールでのコンサートがここで最後になることも合わせて考えると、アンコールの一曲目、弾き語りでの「歴史」は充分にあり得るのではないだろうか。

金沢のコンサートでペンライトを使うファンがいたということで、再び書いておく。

 

基本的な立場は、ペンライトの使用は容認。これは3年前から変わっていない。

あれから更に数度宮本のソロコンサートに行き、むしろペンライトがあるコンサートがより自然なのではないか、とさえ思うようになっている。

ソロ曲で、ペンライトがない方が良いと個人的に思うのは冬の花とDo You Remember? くらいだ。

エレファントカシマシの曲だって、風に吹かれてやあなたのやさしさ~など、全く違和感がないのではないか。

 

オレはあくまで容認派であり、自身が使うことはない。

しかし、使いたいファンは、実は潜在的に大勢いるのではないかと思う(Xの書き込みは批判が目立つが)。

 

運営側は、一部のファンがなし崩し的に使い始める、といった状態になる前に、使用の可否をはっきり示した方がよいのではないか。

 

 

 

ライブで初聴き、そしてさっきラジコ(爆笑問題カーボーイ)でちゃんと聴きました。

 

もはや宮本ソロの王道とも言えそうな曲。

メロディ、そしてそれを生かすアレンジがやっぱエレカシとは違うと思いました。

 

それから、これは宮本の曲ではほとんどないことだけど、一部歌詞が一発では聞き取れない。

検索してやっとわかりました。

 

 

さて、この曲に関して、否定的というか受け入れ難いというような声もチラホラ聞こえてきます。

大部分は歌詞についての意見のようで、要するにいつものパターンだと。

これまであんなに素晴らしい曲を書いてきたのに。

なんで宮本らしいオリジナルな言葉で勝負しないのか。

 

 

こういう意見、非常によくわかります。

何となれば、身に覚えが(たくさん)あるから。

エレカシⅡからファンになり、最初の「?」はエレカシ5。

はぁ? 5はオリジナリティの塊だろう、どこが不満なんだ、バカじゃないか、という声が聞こえてきそうですが、Ⅱ→浮世の夢→生活、と聴いてきた身には、5はエレカシ史上初めての停滞だったんですよ(インタビュー集『風に吹かれて』に当時の空気感が現れています)。

その後も今日まで、言ってみればエレファントカシマシファンの歴史とは欲求不満の歴史(そうじゃない人ももちろんいるでしょうけど)。

 

そう考えれば、close your eyes に対する不満なんて、珍しくもなんともないエレカシ(宮本ソロ)ファンの通常運転、宿命みたいなもんです。

 

もちろん不満をこじらせて離れていく人・怨霊化する人も出てくるかもしれませんが、個人的な経験でいえばそれは一時の嵐みたいなもので、ちゃんと向き合っていればいずれなんとかなるものです。

ファンも成長するので。

 

(追記)

欲求不満と言っても、とにかくエベレスト級の曲を次々に歌ってくれるもんだから、6000m級の山だと低く感じてしまう、みたいな程度なんですよね。