顔も名前も知らない友人を嘲る人がいる。
上辺だけだ。くだらない。馴れ合いなんて気持ち悪い。と。
何故気付かないのだろうか。
顔も名前も知ってる友人も、それと同じようなものであるということに。
情報量は自信に繋がるだろう。
その人をより知っていることがさらに確信へと近付けさせる。
けれど分かるだろ?
いくら近付いても近付いても、結局確信を掴むことは叶わない。
何故って、友人も所詮は他人だからさ。
分かっても解っても判らないことがある。
知っても触れても見えない部分がある。
他人なんだから当たり前じゃないか。
目を閉じて。
あなたの大切な人を思い出して思い浮かべて。
「自分とその人は上辺だけの関係ではない」と言い切れるかい?
言い切れるのなら、何故言い切れるんだい?
だって相手はあなたを何とも思ってないかもしれないじゃないか。
友人の振りをしながら、陰ではあなたの悪口を言っているかもしれないよ。
友人の振りをしながら、内心はあなたを煙たがっているかもしれないよ。
それを否定できるだけの根拠はあるのかな?
無いよ。
だって感情は形にならないし、心は目に見えないから。
じゃあ、どうだろう。今度は。
あなたが「上辺だけだ」と嘲笑ったそれが、「上辺だけじゃなかった」としたら。
もちろんそれを肯定する根拠は無い。同時に。否定できる根拠も無いんだよ。
それでどうだ。
あなたが「上辺だけじゃない」と信じていたそれが、「上辺だけだった」としたら。
あなたは何を過信していたのだろうね。何て惨めでくだらない勘違いをしていたのだろうね。
相手の心に触れなければね、相手を知っていることにはならないんだよ。
逆に、相手の心にさえ触れていればね、相手の顔や名前、声、性別……そんな些細な情報なんか無くたって、その相手を知っていることになるんだよ。
見えない、触れない、わからない部分に触れて、互いの言葉を交わして、そこで初めて始まるんだろ。
……まぁ、それでも上辺だけの場合はあるけどな。
あー、あのね。結局何が言いたいかって、
他人の友情に口出してないでさ、ひねくれた言葉ばかり吐き出す自分の周りを見渡してみたら?って話。
分かりやすく一言で纏めます。
「あなたの友人は本当にあなたを友人だと思っているのかな?(笑)」
