しかし、ここで、私の様な、いわゆる、自称、(詐称、ではないと思う)、「博覧強記」と自分でいつでも、かなり自信がある、多少自信がある、少し自信がある、という者がいると、仮称、仮定する、と。

 全く自信がない、という人以外は、果たして、そう自信がないと答えた人も実際の所は全く判らず、私なんかよりもズバ抜けて記憶力が強く良い、「博覧強記」の人でも謙遜する優しそうな人も稀にいるので、ここでは、私は、万人が、時には「博覧強記」が当てはまると、特に世代が若い人の中にも、これはかなり不確実で断定は避けるが、おそらく、結構な数、一定数いる、感じがする。

 少しでもそう、思い当たる節の人は、他人、自分以外の赤の他人でも何でも、に対して、自分の記憶の覚えている優秀さを、決して他人にはひけらかしたり、多少、あの人は記憶力が良い、程度に思われる位なら良いが、何でもかんでも、他人に自分の記憶力で指図したりとか、一番やってはいけない事は、それを無理矢理、無理強いに、強制したり、「何で覚えていないの?」などと、人様には決して言ったり、してはならないと、私の自分、自己の、数々の失敗、記憶との格闘から導き出されるこれは結論である。

 結局(何度でも言うが)、人、は、自分という、「主観」の過ぎる生き物であって、これに他者との交わりから「客観性」が生まれ、この世の中が上手く回り、形成されてゆく。

 日蓮正宗を信奉する私、我ら法華講に於いては、如何にこの世を、人の和を重んずる仏国土に出来るか、が最大の課題である。それが、我らの目指す、「広宣流布」の姿そのものでもある。

 

 以上。よしなに。wainai

 

※編集後記

実際に書き終わった日時。場所。

2022年令和四年9月23日金曜日秋分の日PM7時。

 

星ヶ丘病院病棟にてこれを記し書き終わる。

 

再度、以上。