結局、人の記憶程、曖昧模糊として、はっきりつかめず、不確実性を帯びたものは、この人間社会、人生に於いて、コンピューター程の記憶力の正確で、矛盾の無さ、計算式で最後にバッチリ合う、数学の数式、或いは証明問題、論述論文形式の解答とは違い、かなり人の記憶力はかけ離れ、自分勝手で、あいまいである、と言える。もう、高齢者の、うちの母もそうだが、かわいそうな認知症のレベルになると、途端にガッカリする程の、記憶も飛んだり、昔の事ばかりを懐かしく思い出したり、する事もままあるが、高齢者特有の発想を独特のユーモアとセンスで、自分の意見を私や他の人に話す自分の愛する母親の姿を目にし、耳にし、見ているだけで、何か、子供心をくすぐられ、私も母と共に童心に戻り帰り、一緒に小さな丘のような所をのぼる遊びをしたりするかのようにお互い楽しみ合い、共に、母の場合は、幼い頃の誰かと遊んでもらっていたであろうと想像予想されるような、これ又、母という一人の高齢者を通した、老人特有の微笑ましさ、ユックリズム、まるで、その、何ものにも捉われない姿が天の使いのように、私などの仏法者、仏教者には伝わって来るのが不思議である。

以上。よしなに。wainai