これと同じ事が、郡山市の昔は警察署の裏手にあった障碍者作業所の、この人も私より十何歳年上の(先程の東京の人は数歳年上)、そううつ病の、過去に自殺未遂歴の経験のある男性だった。

 彼は、場所は違えど、今でも、その、A作業所の、病院附属の売店や、調理弁当部門でも働いているのを知っている(その調理部門は、今は廃業となったらしい)のは、実際に、数十年前の彼の面影残像が私の脳裏に残っているから。私は懐かしくなり、何十年ぶりかで、彼の勤めている作業所の弁当調理へ、私は無茶をして訪れてしまい、無理難題を彼に押し付けてしまったようなのだ。

 この点を詳しく話すと、私は彼に会うと、彼は本当に戸惑ってしまい、私の突然の来訪に、一言「覚えて居ない。あなた誰?全く変わってしまって、あんたがそんなに変わったから、私は全然覚えていないんだよ」と言われ、そんな薄情な、冷たいセリフを言われた私の方が、ショックを起こし、傷ついた。

 その人は、今も、うちの私が勤める(今はもう辞めた)作業所に、毎週、火曜日か水曜日辺りを中心に、弁当配りと集金の為、しょっちゅう、私の作業所の玄関先で、おつりを時々間違えながらも、元気に仕事に勤しんでいた。

 ここで、私のお節介が又もや始まり、それはたしか、私の気分がハイに高揚しだす前の、去年の六、七月、若しくは五月中だったが、これは私の至らなさだが、又もや彼に声をかけてしまった。私にとっては、とても懐かしい旧友そのものなのだ。

 けれども、しっかりと彼も私を無視して、何事も言わずに去って行ってしまった。

 

 私にとっての、私の現在の風貌は、他の人も、特に今の日蓮正宗の人は、今現在、私が入信した五、六年前からしか知らず、それ以前の私など、まさしく興味もなく、今の私しか知らないが、近所でも、大槻町の、私の現に住む、町内においてさえも、昔の子供時代の私を知る人は皆無のようで、皆、現在の私しかわからない、ような感覚なのだ。

 近所の割かし、正常と、(多分)見える人達ですら、今現在の、孔子の説く「論語」で仰った、「天命」「知命」を今年(註:去年のノートの記事の為、今現在、一年古く書いている)の八月二十五日に私の五十歳の誕生日を迎えたばかりの、ハッキリ言って今の私しか、今のそのままの現在を生きている「私」にしか、多くの者が興味を持たず、その多くは、むしろ私の存在など他人の近所の人ですら、一応、自他共の、配慮を思っていつも御近所の、御老人、年の寄った方、或いは主に主婦(ヒマを持て余した、有閑マダム)等々に、その、人のうわさを好む、ヒマだから、持て余した時間を無為に過ごす人、人生をムダに使う人も多くいるのだろう。まあ、その為に、戸締り等、を皆、泥棒等を気を付ける為、励行しているのは、当たり前な話だが。

 

 一つの結論としては、私の場合のように、極端すぎる程、余りに記憶力が良すぎるのも、或る意味、不幸になり得る、という話ではある、そういった可能性も有り得る、といった話ではあるのだ。これは、記憶力が呼び覚ます、「悲劇的なるもの」でもあり、呑気にすぐ忘れっぽい人の方が本人にとって、非常に楽観的で、罪悪感がないばかりに、正に「喜劇的」でもある、とも結論付けられ得るのかも知れない。

以上。よしなに。wainai