日々時は流れてゆく@waikeiの雑感ブログ

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タイムリーな時事ネタや、日々の雑感を、和井恵流で語りまするん。

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字幕【テキサス親父】中韓が豪州に慰安婦像を建てる計画だってな




このような動きは、平和ボケしている日本を目覚めさせてくれる、善いカンフル剤になってくれるだろう。

百パーセント悪い働きをする現象(事象)はないし、同じように、百パーセント善い働きをする現象も存在しない。コインには全て裏と表があるように、必ずそこには両面の潜在的な影響力が隠れている。そのどちらにアプローチして、その働きを活性化させるかは、受け取る人の行動に依るのだ。

それが、「択法覚支」と呼ばれる能力の獲得が必要とされる由縁なのだ。。







ちょっと、ここしばらく、このブログへの書き込みを休んでしまっていたのだが、着々と、未来構築へ向けたフィールド・ワーク(屋外活動)は、アクティブに現在進行中。


そして、今までに比べて、新しい(初対面の)人と会う機会がとても多くなった。

……というか、ここ数年は、ほとんど他の人との交流をまったくしていなかったので、まさに劇的な変化と言えるのだが、わたし自身はまったく自然な流れとして受け止めている。

そして今実感しているのが、自己のコミュニケーション能力の、ずば抜けたパワーアップ!自分で言うのもなんだが、ほんとに誰とも上手く、面白く、そして本音のままで話せてしまう。そして自然に、他の人へのアプローチが、リラックスしたままで出来てしまうのだ。



例えば、西新井駅のすぐ近くに、葉巻やパイプを扱っているタバコ屋さんがあって、時々そこへ出かけてパイプの葉を買うのと、最近何回かauショップを訪れる用があったので、その近くの某コンビニにも、何回も立ち寄ることになったのだが、そのコンビニ店の中に、ちょっと目につく可愛い女の子(店員さん)がいましたとさ。。

で、別にナンパをしようとか、そういうことを考えだ訳ではない。
ほんの軽い会話を一言二言、それを何回か繰り返した(別に通ってはいない)ある日、レジにいたその女の子に買い物を精算してもらいながら、その時の会話。


わたし「ああ、やっぱりマスクしてない方がいいよね」

女の子「はい(・・?」

※数日前に、「マスク」をしてレジを打っていたので、「風邪(・・?」と聞いたのだ。

わたし「よく、かわいいねって、お客さんから言われるでしょ(・・?」

女の子「そんなこと……わたしの口からは言えません」

※つまり、言われることはあるが、それを自分から答えることはできない、ということ。

女の子「(少しはにかんで)でも、そう言われると嬉しいです」

わたし「(ニコッと笑って)うん」

女の子「じゃあ、これからはレジに立つ時は、マスクなしで立つようにします」

わたし「うん、多分、お客さんが、レジに並ぶんじゃないかな」


こんな感じの会話が、何の照れもなく、計算でも無く、ごく自然にスラスラと出来てしまうのだ。
勿論、それは女の子だけではなく、老若男女の別を問わずに、条件が整えば、誰にでも可能なのだ。

だから、まだ少しづつではあるが、交友関係が広がりを見せ始めて、構築されつつあるのを感じる。


そして、これはその能力の「副作用(・・?」としてなのか、二十代の終わりに離婚して以来、まったく「彼女」というものに縁がまったく無かった私に、ついに「彼女」が出来てしまったのだ。まぁ、何となく予感めいたものは感じていたのだが、ほぼ、何の障害もなく、スムーズに決まった。

相手は、今年の夏に20歳になるから、歳の差はちょうど40歳になる。しかし、最近わたしに初めて会う人は、わたしを30代後半くらいに見ている人が多い。そしてわたし自身も、体力的にも気力的にも、若返って来ているのを感じている。去年の病気(大腸癌・関節リウマチ)の影響は、まだ少し残っているが、あと少しで消滅するだろう。


60年近く続いた準備期間がようやく終わって、待望の活動がようやく始まりつつあるのだ。



  





私の住んでいる処から、歩いて2、3分の場所に、元勤めていた仕事場がある。今でもそことは交流が有り、数日前にも少しお邪魔した。
すると、少し大きめの黒い犬、「夏(ナツ)」が尻尾を振って出迎えてくれた。私を舐めようとして、勢いよく顔を何度も近づけてくる。だから、それに抵抗して、両指で、身体をおもいっきりブラッシングしてやると、嬉しそうに尻尾を振って横になり、腹をこちらに見せるような仕草をする。

んー、腹をなでてくれ、、と言っているのかな(・・?

そう呟いて見る。

すると、それを聞きつけた元雇い主の奥さんが「犬が腹を見せるのは、降参するというサインなんだってさ。」と、説明をしてくれた。

犬同士がけんかをした場合でも、どちらか一方がそういう仕草をすれば、ほとんどそれで決着するらしい。(中には、それで済まない場合も、ごくまれにあるらしいのだが…)

ケンカと言えば、この「夏」は、散歩をしていて、時々、相手の犬に、突撃することがあるらしい。

「内弁慶、なんだよね、うちのナツは」

へ、内弁慶って、家の中じゃ威張ってるけど、外へ出るとシュントとなる人のことじゃなかったっけか…(・・?

※調べてみる → [名・形動]家の中ではいばりちらすが、外では意気地のないこと。

やっぱり、意味(定義)は合っているようだ。。

「うちの夏はね、私たちが傍にいると、気が大きくなって、相手に跳びかかっていくことがあるのよ。」

「へー、そうなんですか。」

どうやら、まだ子犬だった頃、大きなドーベルマンに追いかけられたことがあって、それが恐怖体験として「トラウマ」になっているのだという。。でも、逃げずに(負けずに)おそいかかる(立ち向かっていく)のは、すごいね、夏。。

「散歩する人とか、コースなどは決まってるんですか(・・?」

「いや、全部バラバラ。変に固定しちゃうと、それが癖になって、大変なのよ」

「ほう。。」

「時間やコースを決めちゃうと、その時間になると、早く散歩させろと催促するわけ。」

「あ、そうか。なるほど。。」

だから、そのような癖が付かないように、散歩に連れて行く人も、時間も、あえてバラバラなのだと言う。

[それって、賢い躾のしかたですね。」

「そんなこと、ないけどね。それより今度、北村さん(わたしの本名)も、夏を連れて散歩でもしてみたら?」

「それ、いいですね。ぜひお願いします。」


こうして、もう少し暖かくなったら、リハビリを兼ねた、わたしと夏の「お散歩」が始まる野田。

今日(2月4日)は少し、寒さが戻って来ているけれど、春はもうすぐだから、待ちどおしいよね、、夏。