通夜や葬儀を行わず火葬のみを行う直葬、自然界に散骨する自然葬、大気圏外に散骨する宇宙葬、など葬式のあり方が多様化している。生前に意思表示をする、検体を選ぶ者もいる。死は誰にも訪れるのだがこの高齢化社会の中、その最期を見詰める余裕が出来たらしい。嘗ては避けられていた余命告知も当たり前になっている。

 葬儀の参列者は最低限の人数にするのか、それとも縁者を可能な限り呼ぶのか。またピアノの生演奏を求める事もある。事前の家族の打ち合わせでその想いを新たに知る事にもなる。また出身校歌を流す事も提案された。その歌詞に自らの理想を託して来たと言う。遺影に使う写真の選択もある。死期の迫る中、今までの思いが明かされる、壮健な頃は先ず口にしなかった感謝や労いの言葉も逝こうとする者から発せられる。葬儀は家族の意向で仕事関係で多人数が招かれたが故人の意向の生演奏は果たされた。葬儀について語り合った最期の五ヶ月は家族が互いに理解した時期だったという。

 嘗てニーチェは亡くなる前に少数の親友だけの葬儀を望んだのだが、妹は彼の超人哲学を自己撞着したプロイセンの軍人や政治家で賑わう葬儀とした。所詮、葬儀は残された者のためにこそあるのかも知れない。

 戦争直後は葬送と呼んでいたのだが、高度成長期には告別と言う言葉が使われだした。生と死は緊密な関係にあるのだか、老いと病が大きく割り込んで来た。大部分の者が高齢を迎えてから最期を迎える。

さて、あなただけの葬儀、それを選ぶ事ができるだろうか。