この75歳年金支給開始論を唱える経済学者がいる。75歳を可能労働年齢と捉えたものだ。尤もどんな職種を念頭に入れているのかは判らない。学者でも政治家でも実業家でも活躍している者が大勢いる、というのが実例となりそうだ。尤もその類の職種となると当人がその組織のトップにいるわけで、当人が自ら引退を表明しない限り、その地位を引きずり下ろされる事は先ず無い。定年制を設ける事で辛うじて老害を阻止しているというのが実態だ。もっとも殆どの者は組織のトップに就くことは先ず無い。定年制で追い出される。正社員を離れて嘱託などでも同様だ。そこで生活を支えるのが年金だ。そもそも今日、75歳定年制を設けている職場がどの位ある? せめて年金支給開始年齢を60歳から65歳に引き上げるので、企業などに定年延長を呼びかけているのだが、追いつかない。雇う側にも選ぶ権利がある。まだまだ戦力として必要なら雇うし、使えなくなれば辞めて貰う事になるのが当たり前だ。更に75歳に引き上げられても同様だ。そもそも貴重な戦力を定年制があるばかりに泣く泣く企業が高齢者を手放しているとでも言うのか? 話が逆転している。人間は歳を取れば段々働けなくなる。成程、日野原重明氏は98歳でも現役の医師だ。NHKの番組の「頑張れ、百歳」でも元気な百歳以上の高齢者は沢山いる。だが、他方、若年性アルツハイマー症で退職を余儀なくされる現役世代も沢山いる。要は老化については個人差が余りにも大きい。だが、誰にも老化は容赦なく進行する。「頑張れ百歳」を普遍化すれば、高齢者に年金を支給するのすら勿体無い事にすらなる。まだ、働けるではないか?!と。

生活保護申請でも、裁判所でも可能労働能力や年齢であるかどうかが大きな基準となる。別に労働力として使ってもらえるかどうかなどは問題とならない。雇ってもらえないのは当人の責任だ。自己責任、この論理なら老化も充分自己責任論の下に置かれる。年金制度など怠惰な高齢者を増長いさせるだけの話だ、と言う事になる。現に90歳でも100歳でも稼いでいるではないか! 介護が必要になるのは当人が悪い、病気になるのは当人が悪い、その論理が横行すれば留まる事を知らない。

 かくて、年金支給開始年齢は容赦なく引き上げられる。いずれは大部分の年金支給者は年金を受け取ることなくこの世を去る。年金制度は誰のためにある? 少なくとも、支給者の為にはない。受給者は限りなく減る事になる。むしろこの中では、年金を運営する管理コストで消える事になると言って良いだろう。別に社会保険庁が民営化しようが理屈には変わりは無い。年金支払いは加入者の義務だ。その生活がどうなろうが知った事か。減免措置は滅多に適用されない。

 年金財政の「健全化」とやらは実に簡単な話だ。だが、年金受給者の必要に拘る事に問題がある。75歳まで雇ってくれる職場が果たしてどの位あるのだろうか?