国営放送の報道で、30代の窮死者が出た。原因は餓死。高卒後、元々は金融機関に勤めていたが、超過勤務で辞め、30代を過ぎてアルバイトを転々とする。当たり前だが、非正規雇用は雇用の調整弁だ。結局、この不況下、生活保護の申請に市役所の担当部署に出かけたら、30代の健康体なので雇用先はある、という事で追い返された。

 そもそも雇用先など見付からず、生活に窮したからこその保護申請だったが、役所には予算が決まっている。窮民など養うカネなどないし、仕事を斡旋する義務もない。勤労は国民の義務だ。だが、別にその保証をする義務などある筈がない。

 30代の場合、自らの窮状を訴え難いという実態がある。何よりも失職は自らの無能に拠るものだ、誰でも努力している、それでも弾かれるのは当人の責任である、というのは既に常識以前の話だ。

 嘗ては就職相談から生活設計まで相談に載り社会復帰、そして納税者への復帰を図った自治体やNPOが存在した記事があったが、到底普及し得ない。当たり前だ。枯れ木に肥糧や水を与える位に無駄な事だ。そもそも余計な人間が多過ぎる事こそが問題だ。寧ろ、積極的に淘汰を図る事こそ、望まれてしかるべき事である。嘗て総理は、自殺者が三万を超え、先進国での比率は日本は一番高い、こんな国がありますか? と当時の総理相手に国会質問をした。答えは簡単だ。日本がその様な国になれば良い。社会的敗者の淘汰と殲滅をいかに図るかが、日本の再建の鍵だ。大多数の者にとっては、その立場への転落の恐怖こそが、勤労意欲を否が応でも促進する。

 いかに人件費を減らし、国際競争を勝ち抜くかが日本の課題だ。どうこう言っても、現政権がその路線を継承するだろう事はそれ程想像力を必要とはしない事だろう。