彼女の現役時代を知る者は或る程度の年齢には達していようか。欽ちゃんファミリーと言っても、70年代後半の事なのだから。思えば彼女のデビューは77年、当時のアイドル歌手の登竜門だった《スター誕生》の出身だった。デビュー曲《お元気ですか》は彼女を偲ぶ際に番組でも用いられている。歌が旋律に着いて行くのがやっとの歌い方、あの頃の基準でもやはり歌自体は問題にしても仕様もなかったのは事実だ。彼女は母子家庭に育ち、芸能界入りは彼女にとって一家を支える大切な手段であった。彼女はアイドル歌手としての活動を重ねるが、転機となったのはやはり先の欽ちゃんファミリーへの起用だった。当時の萩本はTV、ラジオを中心にして正に全盛期だった。TVレギュラーの全部を合わせて、視聴率100%男の異名を取っていた。80年代には所謂、お笑いブームが起きてやがて彼の時代は去っていった。彼の芸を偽善的と言う評価はある。尤も逆にその時代に台頭したビートたけしの芸は偽悪的と言って良い。実のところ、これは共に浅草芸人の大きな流れだ。欽ちゃんファミリーの時代は終わったが、それでも彼女にとって生活の場は芸能界に在った。偽善的にも偽悪的にもなる事は出来、頭の回転は悪くはなかった。いつしかその侭、見たままオバサン役が似合う姿になっては行った。やはり転機は彼女の母親が介護認定5が進むまでになった事だろう。愛する母親を楽にしてあげる為に入った芸能界、それが母親を独りにしてしまった。彼女は芸能界の仕事を辞めて、母親に付き切りの介護をするようになる。《シングル介護》という言葉がある。未婚の子供が仕事を辞めてまで親に付き切りの介護をする事を指す。これは介護と生活に行き詰まった母子心中未遂事件で、生き残った息子が執行猶予判決を受けた事がある。いざとなっては国も企業も社会も助けてなどくれない。

護る家族はごくごく身内だけだ。やがて、彼女は行き詰まってしまった。

母と訪れた父の墓の前。彼女は硫化水素で自ら命を絶った。享年49歳。


介護施設は入居待ちの状態だ。介護医療現場でも、看護師や作業療法士などのスタッフの数はどんどん減らされて行く。三ヶ月に一度の転院に次ぐ転院、最期まで診てくれた施設でもそうだった。また要介護度の基準もより厳格化され、要介護度の低い患者は次々と施設を追われて行く。枡添要一ですら評論活動の傍ら、母親の介護に追われ、勉強不足を指摘された事もある(《母に包を充てる時》)。その彼ですら母親の死後、政界に転身し、監督官庁の長を務める様になっても問題解決には程遠い。確かに一連の事態は国が悪戯に医療費を抑制して来た事が小さくはない。急速な高齢化社会の進展も然る事ながら、結局は財政配分の優先度の問題でもあるのだ。将来の消費税の大幅引き上げは国民的合意と言っても良い。しかし以上は、上記の問題解決には殆ど役立たないだろう。財政上の優先順位ともなれば、国債の償還だ。借金を返すための借金を既に繰り返すようになっている。その国債は、今回の大型景気対策にも見られるように、少なからず冗費に費やされている。

 さて、この問題に解決策はあるのか、《老老介護》が当たり前になっているが、介護する側が倒れたら、それで終わりだ。頼るべき子供や係累がいるかのどうか、社会や国に何を何処迄期待出来るのか、結局は介護保険外や公的補助以外に、充分な介護を受ける為に、何処迄支払い能力があるかの問題となる。前記事4/9《参列者のいない葬儀》の続きとなってしまったが、ご容赦願いたい。