妻は、「わたしは~」のくだりでホロリときたそうです。
子どもが産まれてから、1日何をしていたのかな、なんて思ったことはないそうですが、
それでも、自分が毎日していることが言語化されてそれを読んだら、胸に去来するものがあったそうです。
その部分を読んだら、娘に対する愛情がにじみ出てきたとのこと。
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『今日 (伊藤比呂美 訳)』
今日、わたしはお皿を洗わなかった
ベットはぐちゃぐちゃ
浸けといたおむつ は
だんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが
床の上からわたしを見ている
窓ガラスはよごれすぎてアートみたい
雨が降るまでこのままだと思う
人に見られたら
なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか
今日一日、何をしていたの?とか
わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた
わたしは、この子がなきやむまで、ずっとだっこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした。
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅうっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた
ほんとにいったい一日何をしていたのかな
たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
でもこう考えれば、いいんじゃない?
今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことをしていたんだって。
そしてもし、そっちのほうがほんとなら、
わたしはちゃーんとやったわけだ。
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わたしは、の部分を子育てパパは子育てママに言ってあげてもいいと思いました。
「○○(子ども)が泣き止むまでずっと抱っこしてくれてたでしょ。ありがとう。」みたいに。
それは、きっと妻たちの中で日常の当たり前で、でも、それを客観的に言ってもらうと、
自分は子どもに愛情を注げているのだと思って安心すると思うのですよ。
子育てはきっと大変なことも多いから、自分は子どもに充分なことをしてやれてないのでは、
と思うときもあると思うのですよ。
一緒にすごす時間が長い母親は特に。
なので、母親たちが当たり前にいつもしていることを、こうやって言語化して伝えると、
労をねぎらうだけじゃなく、母親は愛情を注げてるということも再認識して安心できると思うのですよ。
愛情いっぱいの家庭にしたいですな。

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危険です