12月1日から 2泊3日で終了した人生初の抗がん剤。 2日 人生初の抗がん剤が 10時から

始まると 看護師さんにきき、時間に合わせようと 長男は駅まで 約7km ランニングし電車を

何本の乗り継ぎ 病院に来てくれました。強がって ""  来なくてもよかったのに  "" と言って

しまった私。ほんとはすごく嬉しかったのに。9回の抗がん剤のうち 誰かが付き添って

くれたのは このときが 最初 で 最後 だった。

TC療法のためアルコールが入ってるので 酔っぱらったようになると聞いていたけど 呑んでも

ザル の私。大丈夫と たかをくくってた。なのに一人では立てないほどふらふらになってしまい

長男に助けてもらいながらトイレに行った。吐き気止めの薬も いい薬が出たから 大丈夫よ、

と看護師さんから言われ きっと乗り越えられると思ってた副作用。それも すんなり裏切られ

副作用は 即現れ 完全に完敗してしまった私。頼りにしていた母は手術のため入院し 一番辛い

時には 母はいませんでした。母は母で16日の手術後のリハビリで必死で1歩づつ歩く距離を

延ばし頑張ってくれてました。長男は戻ってきてくれたものの 家事全てを任せるわけには

いかず、休み休み、手伝ってもらうことばかり。気になるとこも見て見ぬふり……より見ないショボーン

主治医から車の運転の許可も とってなかったけど うちは田舎じゃないけど 車がないと

不便なとこ。母の病院や買い物にも車で行きました。その同行は必ず 長男。一人では

行かせられん!って。まだ運転免許も無いのに です。思えば あの1ヶ月が唯一 長男と 共に

いられた 1番長い時間でした。長男も私と似ている性格で 素直じゃーないんだよな。

(まぁーそこが かわいいっちゃーかわいいんだけど) " 大学行ったら自炊だし 覚えないとな "

っていいながら 野菜炒めや お味噌汁、パスタやカレー等々簡単なものは一作れるように

なりました。最初は包丁も使えなかったのに(笑)です。食欲の無い時でも 吐き気があっても

長男の作ってくれた食事を食べ 作ってくれた事に感謝をし 母の病院へも荷物を持ってくれ

買い物も さりげなく買い物袋を持ってくれる姿に 大人になったな~と思ったりしました。

中学卒業後すぐ寮に入った長男。誰よりも早かった。自宅に帰ってくる事も少なかったので

私(達家族)が出向くことが多く、地元で母息子(おやこ)で買い物する姿を 羨ましく思うことも

あったけど まだその頃は 元気だった私は いつかそんな日も来るさ と思っていた。

癌になり病期を知らされ 後がないかもと思ったら 共に過ごす 1ヶ月が宝物のような 時 でした。

21日周期で抗がん剤投与をするため あっという間に入院時期が来てしまいました。やっと

筋肉、関節痛、吐き気が無くなったのに また⤵⤵の思いは消せませんが、仕方ありません。

手足のしびれは相変わらずあり不自由でしたが、入院準備を始めました。入院は12月22日

翌日23日は天皇誕生日で祝日ですが ルート確保は22日平日に先生がされるので 抗がん剤

投与時 緊急のことがあれば当直の先生が対処されると説明がありました。長男は数日前から

監督と連絡をしていたようで 私に隠れていたんでしょうが 全てお見通しです。関東 8都県

各県勝ち抜いた 2校が関東選抜高校テニス大会に出場します。その日程が毎年12月24日から

始まり 勝ち上がれば3月、博多で行われる全国選抜テニス大会に出場できる権利を得ます。

その関東大会前に会場の千葉県白子に入り練習をします。その練習に参加してくれないか

というお願いでした。既に長男の代は引退してますが、 3年生は例年応援兼練習に出向きます。

自分が 1年だった頃、引退した先輩の声援に助けられ勝ち上がり 私に宣言した通り 全国選抜

に出場した長男の思いは いかばかりだったか。私の入院を控え どんな思いだったか……

"" そろそろ 関東選抜の時期だね、 1年 2年と頑張って全国選抜で博多に行ったよねー、2年の

インターハイも博多だったし。応援、いかなくていいの?""と切り出した私。

" だって入院じゃん 俺がいかなくたって なんとかなるっしょ " って嘘ばかり。行きたいって

顔に書いてある。 "" 行っておいで、おかあさんは大丈夫だから  "" と言って出掛けることを

すすめました。長男は前回ふらふらになった私を思い 決断できずにいたのです。長男の思いは

嬉しいけどおかあさんには看護師さんも先生もいらっしゃる。応援に行かなかった事を後悔

しない方がいいと思うよ。そういうと ありがとう と言った長男でした。私の方がありがとう

なのに。そして22日、妹が迎えに来てくれ長男と共に車に乗り病院まで一緒に行き部屋に

入ったところで長男は関東に向かいました。