いつも忘れない 8月6日、広島の原爆投下日。でも私にとって 別の意味で忘れない日になった。

暑かった……いつもなら試合前日に会場のコートに行き 長男の様子を見て声かけするけど

今回も前日入りしたけど コートには行かなかった。当日会場入りしたコートは 16面あり

設備も整ってて私からみたら良いコートだった。既に到着していた長男に必要な水分、氷、

アイスボックス他を渡し、県の方々にご挨拶した。県からは県の監督はもちろんコーチ、

トレーナーの方、スタッフの皆様等々おみえになりました。去年に続き今年も強化選手に

していただき、また今年も勝ち上がって国体選手になれたこと、何かとお世話になって

いるので、親として必要なご挨拶をしました。練習の終わった長男が私のところに来て

" 遠いのにありがとーな、頑張るから。暑いから体 気つけてな!! "

珍しくそんなことを言ってくれました。 コートの柵にはそれぞれの県の横断幕がかかり

頑張れ 東京、燃えろ 山梨、栄光を勝ち取れ栃木、頑張れ群馬(ぐんまちゃんの絵)

頑張れ千葉(ちーば君の絵) 勝ち取れ神奈川、埼玉県、茨城県それぞれの文言の書かれ

コート別に掲げられます。各県、気合いが入ってました。身ばれしてしまうので

県は書けませんが(隠すほどでもないですが) 長男は出身校県で出場しました。

ふるさと制度 というものがあり自分の出身地または出身校のどちらかを選ぶことが

できます。もちろん今在学している大学所在地でもOk 。でも今の自分があるのは関東の

高校に行き、そこで育ててもらったから とこだわって出身高校の県で県登録をした長男。

関東は強い方々が集まってるので 勝ち上がるために自分に有利な方を選び、大概の方は

大学は関東でも登録は自分の出身地に戻す方が多いのに、そのまま出身高校の県で関東で

登録をした長男。 (そのため他の大会でも苦しみながら勝ち上がってますが)

大学は高校と違う県(都)なのに大学のある県(都)を選ばなかったのは高校で成長させて

もらったから恩返しするまで 高校の県で登録する、と。良く言えば律儀ですが……不利なことも

多いです。ここ地元ではなかなか上達せず、その頃の長男は決して強くはなく県のランキングは

いつも 10位 には入れず悔しい思いをしていました。高校でも少ないレギュラーの枠を

巡り同じ仲間であっても 食うか食われるか、隠れてトレーニングしていたようです。

そんな長男が 1年のインターハイは逃したものの それ以降すべての試合に出場し最後の

インターハイでは県のNo 1になり昨年に続き国体選手になることができたのも支えて

下さった高校の監督、コーチはもちろん 県のスタッフの皆様のおかげと感謝しております。

各県から 2人の出場で、それぞれがシングルス 1本づつ、そのまま 2人とも勝てば終了ですが

1ー1 になってしまったらダブルスで決着になります。暑いなか 各県 2試合、場合によっては

3試合まで戦わなければならない初日。長い試合になりました。7月末から関東は割りと

涼しい日が続いて 梅雨明けも遅れていた頃。試合の2、3日前から急に暑くなったせいか

あちらこちらで救急車の音がなってました。6日、7日と試合はありますが早く勝ち上がれば

7日の試合はありません。少ない枠を巡って各県 必死です。応援も必死です。暑いコートで

息子が戦ってると思うと 日陰にはいられません。大きな傘もさせません。都市対抗とは違う

緊張感があります。なんといっても国体がかかってます。良いプレーには拍手を送り

コーチングにならない程度の声援を送り 鬼太郎ウイッグの私は更に 鬼太郎に拍車が

かかり⤵⤵⤵でもそんなことはお構い無しで応援しました。

試合が終わり ホームベンチに戻ってきた長男。恐れていたことが 起こってしまいました。

熱中症です。歩いてコートから出てきたのにあれよあれよという間に足元から太もも

下半身へと体がつりはじめました。ペットボトルのos -1も飲めないので飲ませてもらい、

やっとの事で横になるとペットボトルでは飲めないため、急ぎ車からストローとコップを

持ってきて、飲ませました。私の愛車 プリちゃんにはあらゆる物が揃えてあります。

息子の一大事 母は走ったわよ、できることはしたつもり。もちろんトレーナーさんも

ケアーしてくださいますが、追い付かず意識ははっきりしてましたが大事に至らない前に

救急車です。

ピーポーピーポーピーポーあっという間に到着です。この日 応援に来てくれてた 彼女。

良いんだけど 長男には母より彼女なんだろうけど。救急隊の方が到着するとすぐさま担架に

乗せられ救急車へ運ばれた長男。そのあとを追う彼女。そうとは知らず救急隊の方の質問や

書類に記入する私。主人は先にホテルに戻り、病院がわかったら連絡するから迎えに来て

ほしいこと、おばあちゃんには長男の洗濯をお願いし、テニスバックはチームの方にホテル

まで運んでいただき、皆様にお詫びとご挨拶をしetc とあれこれ慌ただしくすべき事を終え

長男の着替えとサンダルと私の荷物を持って救急車へ行くと既にドアが閉まってる。

んんん?母ですけど 乗れませんか?なんと間抜けな問答をし やっとの乗れた救急車。

そこには既に彼女が…………

数分で到着した病院 、やはり若いのでしょうか……颯爽とストレッチについていく彼女。

荷物を持ってエッチラオッチラ歩く私はストレッチーからずいぶん遅れて病院に入った

のでした。