戦うカメラマン -3ページ目

ももクロちゃんから令和から動揺の話。

私はモノノフ(ももクロファンの総称)。

 

Zが取れたあたりから、ずーっと応援している。

ファンクラブにも入っている。グッズも家にたくさんある。ありすぎる。

ももクロに急遽加入させられて

「でも・・私38なんでステージに立つのはちょっと・・・」みたいな夢も見たことがある。

 

 

そんな大好きなももクロの新しいアルバムを聴いてみると、

わっちゃわちゃの子供みたいな彼女たちがいなくなって、

おっしゃれなアーティストがいた。

 

だからなんだ、という話でもあるのだが、

大人になるのでそんな感じにもなるよね!という賛成派の自分と、

ファーストインパクトが忘れられない自分が今でも同居している。

 

大人も大人、来年40にもなる私の最近は、

1年が早すぎて、

ほぼ覚えていない。

去年は写真展や撮影イベントなど、人生のなかでない規模間の中で

いろんな人に助けられて頭をさげて、感謝した一年なので、

なおのことでもあるが。

 

物覚えがわるくなったのはたぶん23歳の時。

私の人生の中で大きな大きなことがあってから、一気に物覚えが悪くなった。

記憶力がいいわね、

と常に言われていた私の頭の一部分に濃い蜘蛛の巣みたいな、もやみたいなものがかかって

本当に本当に大事なことや、細かいこと、よく目にすること以外が

本当に入ってこなくなってしまった。

 

これも、きっとなんか意味があるんだろう、くらいに考えているので、

悲観的になることはない。

それよりも、毎日目の前にあることに一生懸命になれるので助かるし

黒歴史を思い出して、夜中足をバタバタさせなくて済むので結構ありがたい。

 

 

ももクロをダシに使ったような導入だったけど、戻りますね。

 

なんだっつーと、

気持ち的に、

「あんなに好きで好きで大好きで」みたいな状態だったのに、

「あれそうでもない」

みたいな感情に最近挟まれることが多くなり。

 

 

「好きなものが好きじゃなくなった」ってことではなくて、

1つのものに対して「表」の感情や感覚しかなかったのに、

「裏」も感じなきゃいけなかったり、「裏」を考えなきゃいけなかったり、

「裏」をわかることで目の前がぱーーーーっと広がったり、閉じたように見えたり。

 

表と裏ってのは、あくまで例えなので、ABでもいいし、バナナとリンゴでもいい。

 

 

自分が一心不乱に信じていたり、思い込んでいるものの形が変わってしまった時の動揺ったら。

 

それもみえることは大人になってることなんだから、

って解釈もあたまではわかっていても、果たしてそれでいいんだろうか、

と。

 

「どれも悪いってことではない」っていう解釈の多さにも動揺する。

 

いろんな考え方や攻め方、生き方、あり方があったときに、

どこに身を置く?どうする?どっちどっち?

 

あんなに好きだったももクロの、いわゆる「初期」をつまみながら酒を飲んでもいいわけだし、

いまの「大人ももクロちゃん」を受け止めてしっかり応援してもいい。

どっちでもいいし、どっちかでもいい。

 

そんなこと言われたら動揺する。

 

変わっちゃってるんだもん。

変わっていくんだもん。

 

あの頃の私が描いていたものは、

少しづつ形を変えて、近づいたかと思ったら、すぐに離れていく。

それでもいいのよ、

好きなようでいいのよ、

あなたが選べばいいのよ。

 

 

 

手に余る自由は

選ぶのが難しい。

 

 

そんなわけで平成→令和と変わりゆく私は、

ももクロちゃんのテッパンナンバー「chai maxx」の「4人のzzver」を聴きながら

揺れ動くけれど、

夏のライブにはもちろん行きます。

昔の扇子持って。