人が行動する理由は主に三つの深層心理がある気がする。
贅沢をしたい
認められたい
見下したい
これらが人間に明確なビジョンを与える。しかし、これらの行動のエネルギーは人生が進むにつれて、何か空虚なものへとなっていってしまう。贅沢して、人に認めらて、見下して、そのあとに何が残るというのだろう。死んだらすべて無になってしまうものばかりだ。だからそこから人はボランティアをしたり、宗教を信じたり何か自分に直接的利益がないように思われる行動に出るのではないだろうか。自分の欲求を満たすためだけに生きるのは無理がある。社会的、神秘的動物である人間は自分ではなく社会、神に貢献しようとするのだ。実は矛盾にも思えるが、自分でないものに尽くすことこそ充実感が生まれ、幸福を感じやすくなる。さらに死と向き合った人間は、死後を神に担保してほしいと願うようになる。現世は自分の力で世界を理解することができるかもしれないが、死後はどうしようもないことである。どれだけ有名になったり、金をためてみたりしたところで、来世への確信がなければ、人生は本当にむなしいものになってしまうだろう。
清く
正しく
美しく
これが人生のテーマである。