病気後から、義母に会うのがしんどくなってしまった。

それまではまあ少し天然な義母かな?と思う程度だったし、年に数回子どもを連れて会うくらいの関係だったから、それほど何かしらの感情を持っていたわけではないけど。



あの辛かった治療の日々、、、

今は思い出すことも少なくなったけど、初回の抗がん剤のために入院して、やっと自宅に帰ってきた日のことは忘れたくても忘れられない。

小学生になる息子の入学式にも出れず、副作用の吐き気の怖さを知り、こんなことが計8回も繰り返されることに少しだけ絶望を感じていた頃。

そんな中でも体調が少しずつ回復して、母に送ってもらって自宅に帰って来れたあの日。

自宅に着いて空気を吸ったら、病院で吸っていた消毒臭くて辛いおいしくない空気とは違い、いつも通りの生活が蘇って、ついつい泣いちゃった。

もう自分でもわからない感情で、初めての感情で。

号泣だった。

早く元の生活に戻りたいなあ、子ども達とずーっと一緒にいたいなあ、元気な体に戻りたいなあ、、、

いろんな感情が混ざって溢れちゃって。

義母には私がいない間の子どもたちの世話を頼んでいたため、その日も私の自宅にいたんだけれど。

帰り際に、何でそんな顔ができるんだろうって思うくらいの笑顔で「頑張ってねえ〜♪」と言われた。

その一言がもうダメだった。

私、今現在こんなにも頑張っているのに。

他の人がしなくても良い辛い経験を、なぜか私に降りかかってしまったせいで頑張らざるを得なかったから頑張って乗り越えようとしているのに。

どうしてこんな笑顔で言われなきゃいけないんだろう?

理解ができなかった。

ギリギリのメンタルで、自分で自分を奮い立たせてやっとこの場に立ててるのに。

「もう今でも十分頑張ってます!」

と言い放って私は実家に戻った。

母が運転する車の中で泣きまくった。

屈辱感さえあった。

何で私がこんな目に会わないといけないんだろうって。

必死に、病気になったのは仕方ないことだ仕方ないことだって言い聞かせて頑張ってたのに。

悲しくて仕方なかった。



治療開始してから約2年経つ今でも忘れられない。

その時傷ついたんですよって、冷静になった時に後から言えば良かったのかもしれない。

そしたら謝ってくれただろうとは思う。

けど、命懸けで頑張っている人にあんな笑顔であんな軽い感じで頑張ってって言ってくる人がいるとは思わなかったから。

その色々を考える余裕もなく次の治療もあったし、、、

そのまま今日まで来てしまった。

きっと義母は私がこんなにも傷ついたってこと、微塵も気付いてないだろう。



友達とか別の人から言われる「頑張って」は嬉しくてしょうがなかったのにね。

言った人、言われた環境、その時の精神状態によって変わっちゃうんだろうな。

私がおかしいのかな。

同じ経験した人じゃなきゃ、このニュアンス?この感情はわかり合えないと思う。



子ども達にとっては大事なばあばだから、今でも年に一回とかは会ってるけど、会いに行ってもそんなにおもてなし?というか歓迎されてる感じはしない。

子ども用の食器とか飲み物とか、おもちゃとか、長男が生まれて今で8年になるけど、あちらの実家には一つも用意してくれたことはない。

また遊びに来てね〜っとは何度も何度も言われるから、孫は大事だし会いたいんだろうけど。

私は会いたいと言われたり、会う日が決まったりすると心臓がバクバクしてしまう。



息子の誕生日が近いから、昨日も急に会いに行きたいと旦那にメールがあり、前日に連絡してくるのも困るから、余裕もって早めに連絡して欲しいって伝えていたはずなのに、いつもこれだし。

私は私で数日前に尿路結石で死ぬほど痛い思いをして、やっと解放されたばかりで、、、(どうして30代女性でこの病気になったのかもわからない、、、リンパ腫の治療は関係ないよね?)

仕事がない日くらいは休みたかった。

今回は急だったこともあってお断りさせていただいて、家族4人でゆっくり誕生日パーティーをした。

旦那もこの話は知ってるからわかってくれていたはずなのにな。

そんなに会いたくないの?と言われてしまった。

会いたい会いたくないの問題ではないのだよ。

心臓がもう拒否しているのだよ。

わかっておくれ。



中々こんな話、誰に話したら良いかわからないし、わかってもらえる話でもないので、少し文字にしてまとめて、気持ちを整理してみました。

心に素直に生きたいのよ。

途中で途切れかけた人生。

今はボーナスステージを生きてると思ってるから。

私の人生は私が決めたい。