初めまして、江里口と言います。
私は現在41歳
現在は接骨院の院長として毎日
楽しく仕事をしています。
開業して5年になりますが、
今では毎日患者さんの人数や
売り上げを気にすることなく
仕事をしています。
仕事が休みの日には家族で旅行に行ったり、
買い物に行ったりしています。
今の仕事が好きなので仕事をやめてまで
自由な生活をしようとは思ってはいませんが
充実した毎日を送っています。
が、つい2年前までは大変な生活でした。
もともと、この業界を目指したのは
小学校高学年、しかも母の影響でした。
といっても母は普通の主婦でしたが、
身体があまり丈夫な方ではなく、
よく健康雑誌を見ては実践していました。
私はその雑誌を見ながら
「ここを押すと高血圧にいいんだぁ」

「肩こりにはここかぁ」

みたいなことを見よう見まねでやってました。
そんなある日、アニメ「北斗の拳」を見て
「ピーン
」ときたのです。「トキのようになりたい
」と思ったのです。
そして、大学を卒業し(なぜか教育学部でしたが・・・)
それから専門学校で3年勉強し、
国家試験を合格し、
やっと免許を取得

それから開業まで9年ほどいろんな店を
渡り歩いて修行をしました。
当時は
一日に60人の施術をすることもありました。

怒られるのがつらくて
胃が痛くなるようなこともありました。

何日も続けて日付が変わるまで
練習したこともありました。
休み返上で練習に参加することもありました。
とにかく
「他の人に負けたくない!」
「怒られたくない!」
「早く自分の店を持ちたい!」
その一心で練習しました。
その甲斐あって毎月100万円超の売り上げを安定して
稼げるまでになりました。
といっても給料制なので多少歩合はあるもののやはり
売上げがそのまま給料に反映されることはありません。
さらに院の中でも主任になると、
通常業務の他に昼休みに会議に出たり、
朝5時まで会議することもあり、
また、楽しくなるはずの懇親会の席では
みんなの前でダメだし連発

罵声
を浴びることもたびたびでした。とどめには血尿が出て
1年間の経過観察と言われたこともありました。
そして、そして、その苦労を越え
念願の開業をしました。
しかし!、
そこには更なる現実が待っていました。
免許を取るくらいの接骨院というのは
開業すればベンツとロレックスがもれなく買える
というくらいバブルの様な時期があったようです。
でも、開業するころには専門学校の数が3倍も増え、
それに伴い接骨院の数も急激に増加し
(現在はコンビニの約2倍といわれています)
保険制度が厳しくなり、
開業しても潰れる時代に突入していました。
現に私が開業してから5年で近所の接骨院が
5件もやめてしまいました。
そんな中の開業でした。
でも、今まで100万円超稼いでいたので自信はありました。
オープンして1ヶ月
患者が来ない・・・

ある雨の日、患者さんがいないので
せっせと掲示物を作っていました。
夕方、父親がフラーッと店の中に入ってきて
「ちょっと揉んでくれ」といってきました。
父親はマッサージが苦手だったのですが、
おそらくあまりに患者さんがいないので
不憫に思ったのでしょう。
逆に悲しく涙が出てきました。
結局その日の治療は父親一人でした

それからいろんな努力をしました。
駐車場に家族の車を置いてみたり、
道路に面している窓際で
マッサージをしている「フリ」をしたり、
少しでも患者さんがいる様子を演出していました

今から思えば馬鹿馬鹿しいことかもしれませんが、
とにかく来院してもらうために必死でした。
そして、1年経つころにはなんとか一日の来院数も順調に
増えて売り上げも安定してきました。
しかし、ここからまた別の問題が浮かび上がってきました。
一日に施術できる人数に限界があるということです。
一応、予約制にはしてるものの飛び込みの患者さんが
来院されることもあります。
ここで断ったら「次回は来ないかもしれない
」という焦りもあり、
ドンドン予約の間に詰め込んでしまったり、
夜の受付を延長したりして
7時半最終受付で終わってみれば9時を過ぎていることも
よくありました。
そうなると腕はパンパン、
空腹は限界を越え、
頭はもうろうとし、
もう何をやっているのか
わからなくなってきます。
さすがにこんなことばかりしていくうちに
私の身体がだんだん悲鳴をあげてきました。
この状態がこの先何十年と続くのかと想像すると
ゾッとしました。
「これは倒れられない・・・。」
「もし、倒れたら収入は止まるし、
患者さんにも迷惑がかかる・・・。」
だから、健康には本当に注意していました。
でも、よくできたもので体調を崩すのはいつも年末。
なので毎年正月は風引いて寝正月でした。
なので、その頃になると
「もう少し余裕をもって仕事ができたらなぁ」と
思うようになってました。
そんなとき、友達からビジネスの
紹介をされました。
そしてMLMビジネスというものを知り
「これだ!!!」
と思ったのです。
ただ今のままで働いていては
ゆとりある生活ができるくらいの
お金は手に入らない
もっと多くのお金を手にするためには
自分で収入の柱を増やすしかない。
そう教わったのです。
そこから、私は初めて
【営業】というものを始めたのでした。
営業は、簡単に言うと
そこの会社のセミナーに人を勧誘して
グループを作って売り上げを上げて
いくというものでした。
ただ、私の場合、
勤務時間が長く、拘束される時間も長いので
仕事が終わってからセミナー会場に着くと
終わってしまっていることが多くなかなか
勉強する機会がありませんでした。
なので直接説明をしたりグループリーダーさんに
説明をしてもらったりしながら頑張りました。
仕事が休みの日や仕事が終わってから活動し、
帰りが夜中の2時、3時になることもありました。
正直しんどかったです。
でも、将来のことを考えると
そんなことは言っていられませんでした。
そして、がんばって続けました。
しかし、収入は一向に上がっていきません・・・。orz
確かに私は職業柄、
人と話すことに抵抗はありません。
しかし、グループの仲間は話すことが苦手
な人が多くなかなかグループは増えず、
グループ戦で行う仕事を
すべて一人でやっていたのです。
一人で
交通費を使い、
ファミレスで食費を使い、
大切な家族との時間を使って
勧誘活動やグループのフォローをして
がんばりました。
豊かな生活
健康な身体
家庭円満
を夢見てがんばりました。
でも、
現実は
豊かな借金
不健康な身体
家庭崩壊
でした。
やればやるほど借金が増えていくのです。
家族には白い目で見られ
家庭には私の居場所はありませんでした・・・。
身も心も限界でした。
そして、
『…辞めよう。』
そう、決意しました。
それから私はその会社を辞めました。
そして、ビジネス自体も辞めました。
やめてからは以前のように接骨院の業務に
追われながらも平穏な毎日が過ぎていました。
しばらく経ったある日のこと。
別の知り合いから
「面白い情報が入ったから聞きにおいでよ」
とビジネスの話が入ってきました。
もう、二度とやらないと心に誓い、
その知り合いにもやめるように
今まであった出来事をすべて話しました。
お金と、時間、体力の無駄だと。
延々と1時間ほど話続けました。
知り合いは私の話をずっと
聞き続けて黙り込んでしまいました。
これで知り合いも被害に遭わなくて済む
そう思っていました。
ところが、一言
「やり方が間違ってたんだよ。」
「えっ!?」
「どんなに沢山努力して、
知識をつけたり技術をつけたりしても
成功できないよ。」
「すべては「ツボ」と「コツ」だよ。」
話を聞いているうちにまさに目からうろこが
2枚も3枚も落ちた感じでした。
その話を聞いてから正直悩みました。
また、同じことを繰り返すのではないか?
本当にうまくいくのだろうか?
3日くらい悩みました。
それを見かねた私の嫁が
「そんなに悩むんだったらやってみたら」
と後押しをしてくれたのでした。
そして、もう一度チャレンジすることにしました。
今度は知り合いからしっかりとやり方を学び、
実践しました。
すると、一つ一つではありますが
【なりたい自分】を手に入れる事が
出来るようになりました。
こんな変わってきた現状の中で
今度はあなたが【なりたい自分】を
手に入れるための環境、土台作りを
私がしたいと思っています。
実は私がブログを始めたのは
仲間を見つける為なんです。
価値観の合う仲間を
集めたいのです。
私は今まで、自分が幸せになる
ことばかり考えていました。
でも、自分だけが幸せになっても
周りが幸せになれなければ
それは本当の幸せにはならない
そう思えるようになりました。
このブログでは
あなたがやりたいことができる、
自己実現するための方法
考え方をお伝えしていきます。
そして、価値観を共有できる仲間達と
ともに新たにビジネスをやっていきたいと
思っています。
私は今、本当に幸せです。
だから今度は、あなたにも
本当にやりたいことを実現してほしい。
あなたの思いは、
あなたしか実現してあげる事は
出来ないんです。
次は、あなたの番です。
まずはこのブログを読んで
少しでもあなたが【なりたい自分】に
近づいてくれたら嬉しいです。
