そもそも大河にリミッターなんてものは存在してない状態なんだけどなうへへ、やっとカメコで呼んでもらえて。長かったよ長かったよ本当に長かったんだよ。すれ違う気持ち、通じ合えない心の距離笑やっと通じ合えた時。テンションが荒ぶった結果、前半の2ショットだけで4GB越え軽く1000枚は越えてたんじゃないかな一枚でも多く美男美女カップルを撮ろうとキャッキャした結果だよ。だって眼レフ楽しかったから。あ。いっちゃん、さくらさんお疲れ様でした美男美女美味かった作品知らないのに調子こいて4GBとか反省すらしてない反省って何撮りすぎて悪いこと何て無い無い無い。寧ろあれは必要なことだったと、誇りにすrお前要するに右手が荒ぶったと。荒ぶらないなんてナンセンスだと。機械音痴の大河がありえない奇跡を起した程に楽しかったの。ジャンルが分からなくても美男美女だと分かればおk美男美女でテンション上がらないほど大河は枯れてないからね。もう本当に楽しくパッシャパシャ撮らせて頂きました何か使えそうな写真あれば良いなぁ、と思うばかり。とりあえず楽器越しの盗撮を頑張ったことは自分を褒めてあげたいお前っ、でもっスカートめくーりを忘れてたことがっスカートめくーりをっそれだけが心残り。折角の御曹司だったのに垂オ訳ない。覚えていられなかった鳥頭っぷりにキーッってなる。とりあえず思う存分眼レフと触れ合って、日が落ちてきて。アフターに不二家のレストラン行って。オムライスがうっかり美味くてオムライスブームがきそう笑ケーキバイキングも食べて。オムライス食った後にケーキ4個とか余裕ですが何か甘党なんでケーキ4個くらいなら軽いよ楽しみにしてた二人よりもエンジョイした馬鹿です、どうも流石に4個も食べたら糖分に飽きたけどねふふふのふー、食べてる途中で飽きちゃうのが多々あるのだけど実は結黒烽フ余裕はあるっていうオムライスケーキ4個の直後にグリル系のメニュー見直した馬鹿です。いや、だって本気で入りそうなんだもの。だから太るんですね、わかってます。不二家のレストラン美味しかったし。思いっきりカメコできたし、カメコできたし、カメコできたし、カメコdryまたカメコしてーとか言われたらホイホイ行っちゃうんだゼまた、カメコでね、カメコで、呼んで頂ければ、マジでいでも飛んでいっちゃうカメコでね軽い荷物なら、荷物持ちもできるよお前とりあえずアーカイブに登録はしてるものの、レイヤーというよりカメコ希望なんだよ。カメコっていうか三脚レベルなのだけども。早く進化したいね鬼畜眼鏡のせいで脱線しただけで、っていうか最近鬼畜眼鏡からも脱線してるけどお前SIREN各種とか銀さんを餌付けしたいとか擬人化各種とか無双とか楽しみにしてるあたり、考えを改めるべきかでも眼鏡とか眼鏡とか眼鏡とか眼鏡やってもらった分はいっちゃんの野望は叶えないと駄目だよな。もののけ姫とかウルブラとかはやらなければならないよねあ、うん、もうジュネスとかワーストとかもやれば良いんじゃないですか。何かもう大河の精神ダメージと共に奴も後悔すれば良いよと思い始めてきた
昨日の日記で武田勝頼の話を書き、コメントのやり取りで思いいたことを書きます。歴史のですが、もしも長篠合戦後に和平と同盟を垂オ出た織田信長に、勝頼が承知したならばを考えました。おそらく、史実の惨めな最期と同じくらい苦難の道でしょう。武田の家名は残せますが、織田の下に立ことを認めないと、結局は危険甲斐の国人たちはこれを認めないそもそも諏訪出身の勝頼自体認められていない嫡男の信勝や、武田信玄の弟信繁の子の信豊を担いだクーデターが起こりかねない等等勝頼は難問を処理していかないとなりません。ただ、この歴史のを考える上で、この場合のみ前例があるので、それを考える材料に出来ます。四百年前の武田家で、似たような事例があったからです。その当事者を石和五郎信光、後に当主となって武田信光と言いました。過去日記甲斐源氏武田党は、寿永治承年間に、後の武田信玄が見たら羨む状況にありました。本拠地甲斐のみならず、信濃武蔵駿河遠江に勢力を伸ばしていたからです。この時の当主は武田信義でした。武田信義は、源頼朝木窓`仲と並ぶ源氏のキーパーャ唐ニ目されていました。朝廷から武田信義に頼朝討伐命令が下ったという奄ェ流れ、鎌倉は厳戒態勢に入ったこともあります。武田信義は東海道を抑え、頼朝義仲と同盟を結び、義経とも共に戦っていました。武功抜群なこともあり、朝廷からも一目置かれ、弟の加賀美遠光は信濃守、安田義定は遠江守、息子の一条忠頼は武蔵守となっていました。当然ながら、頼朝からは警戒されまくっていました。い牙を剥いて来るか分からない、家格的には大して変わらない名門の強力武士団です。頼朝は、甲斐源氏解体工作に出ました。頼朝の甲斐源氏解体策は、単純に言えば分割して、一部を味方に、残りは叩くでした。ここで頼朝の味方にいたのが、信義五男の石和信光でした。信光の妻は新田義重の娘で、鎌倉幕府の重鎮足利義兼の従姉妹と結婚していたことになります。彼を基点に、武田信義は隠居、一条忠頼は暗殺、加賀美遠光とその子の小笠原長清は鎌倉方にとなりました。石和信光は、おそらくは頼朝に似た政治型の人間で、必要なら平気で身内粛清を出来ました。自らが当主に立と危険と判断し、兄四男の有義を当主としました。一方で、自身に反感を持武士、鎌倉の下風に立ことを嫌う武士を粛清し、元服前の子でも平気で殺しました。まずは血でもって、反抗勢力を叩き潰したことになります。次いで信光は、頼朝に決して逆らいませんでした。激しい叱責を受けても反抗せず、源範頼に従って中国地方まで転戦しました。そのせいか、鎌倉弓馬四天王と称されるようになりました。頼朝死後も鎌倉での動きに気をけ、上手く立ち回りました。この間、頼朝に気を使う必要が無くなった為、兄の有義を抹殺して自分が当主の座に就きました。二代将軍頼家に接近し過ぎていた従兄弟の小笠原長清らが、一時失脚したようなこともなく、上手く鎌倉の政界を泳いでいました。やがて承久の乱が勃発しました。後鳥羽上皇も甲斐武田のことは知っていて、味方に誘う手紙を出しています。北条政子も甲斐源氏を敵に回す危険性を承知していて、復帰した小笠原長清とともに勝ったなら、畿内七ヶ国の守護にするという破格の条件を出しました。これに乗った信光は、鎌倉に北条義時追討令を届けた使者を、半殺しにして京都に送り返し、東山道軍の指揮官として進軍、再度投降を呼びかける院の使者は殺して首を送り返しました。乱に勝利した後、武田信光小笠原長清は大量の恩賞を得ます。父の信義を隠居させた後、甲斐源氏の勢力は分断されていました。武田本家はあくまでも甲斐のみとされました。信濃の小笠原家は武田からは独立した勢力とされ、このまま戦国時代の武田信玄対小笠原長時の戦いへと続きます。武蔵駿河は奪われ、遠江守だった安田義定も粛清されました。この状態から、承久の乱に勝った信光は、若狭国安芸国上総国に領土を得ました。小笠原長清は、紀伊阿波河内守護職となりました。おそらく2人で畿内7ヶ国守護として、日本で最も実入りの良い地域を管理合法的搾取権しました。この時の所領から、安芸武田家、若狭武田家、上総武田家という家が出て、戦国時代まで続きます。小笠原の領地の阿波からは、三好と苗字を改めた一族が出ます。甲斐源氏は、頼朝に睨まれて戦争一歩前の状態から、あえて屈服を選び、その後時間をかけてここまで勢力を広げたのです。話を武田勝頼に戻します。勝頼が武田信光並の時流を見る目と、残忍さを併せ持っていたなら、こうしたのではないかと考えました。織田信長との和平受諾下位同盟承認反対するであろう甲斐国人や身内、さらには担がれかねない親族も粛清自らは責任を取る形で隠居し、正当な後継者である信勝自身の子を当主とする隠居という自由な立場で、縁がある小田原北条家や越後上杉家の織田家従を斡旋、反対したなら自ら潰す妹の松姫と織田信忠の婚儀を復活させる親戚となる卑屈と言われようが何と言われても、織田信長に従う領土直接だと危険なので、別な形での勢力拡大を、信長の後で狙うこんな感じですかね。織田の威を借りながら、自分の反対勢力を皆殺しにすれば、案外後々で動きやすくなったかもしれません。鎌倉時代は、石和信光時代に敵対勢力を抹殺した為、当主になった時に逆らうのはいなかったそして、上手く信長の死後まで勢力を温存できれば、本博宸フ変後の天正壬午の乱において主役を張れます。上手くいけば、織田家親類衆として、信長後の織田家家督問題に口を出せます。まり、羽柴秀吉徳川家康の対抗馬となり得たかもしれない、ということです。話がかなり飛躍しました。このレベルの政治マジックを実現するには、本当に武田信光並かそれ以上の迫ヘが求められます。秀吉も家康も、政治力的には神がかっている時期がありますし、これに対抗するのは大変でしょう。ではあっても、最悪でも上杉や毛利と同じ、江戸時代の外様大名としての武田本家生き残りくらいなら出来たかもしれません。しかし勝頼はこれを選びませんでした。武田にかけられていた、足利義昭や石山本願寺の期待が大きかったし、裏切れなかったんでしょうね。人間としてまじめで、いい人だったかもしれませんね。しかし、死後に結黒s当な評価家を滅ぼした無狽ネ人間扱いされてるのを見ると、同じ悪名かぶるのだったら卑怯者弱腰信長には尻尾振った癖にと罵られながらも汚く生き抜いた方が良かったかもしれません。具体的には真田昌幸ですかね。風熹芫サとか二股膏薬なんて馬鹿にされながらも、巧みに生き抜いて、家を残すと同時に次男のファンまで作りやがってますから
毎度東北地震でバタバタしてまして久々の更新です。山形市の美容業界も大打撃です。落ち込んでばかりもいられないので山形市の美容師として頑張りますさてさて地震の影響もあり最近少し時間が取れるようになったので子供たちと過ごす時間が増えました。昨日は早めに仕事が終わったので子供たちを、保育園にお迎えに長男の燦斗はいもハイテンションで飛びいて来ます。最近やっとトイレでオシッコが出来るようになって来たみたいでいも担当の先生が今日もトイレ頑張って出来ましたと報告してくれます。う〇こも早く出来るようになるとええねんけどな次男の楓は僕の顔を見ると寂しかったのか泣きながら駆け寄って来ます。抱き上げるとすぐ笑顔に戻りキャッキャと笑ってます。帰宅後子供をあやしながら速攻晩飯の準備ご飯を炊きおかずの酢豚を作りバタバタしてたらママの帰宅。久々に炊き立てのご飯と出来立ておかずみんなで食べると美味しいですわ食後は風呂掃除して子供たちをお風呂に入れて歯磨きですわ二人ともボチボチ歯磨き出来るようになって来たので成長してますわそして昨日もには就寝ZZZZZzzzzz。僕は寝るもりなかってんけど長男に寝室に連れて行かれたパパ寝ん寝しようってこれには勝たれへんですわ。