【概要】

1985年8月12日午後6時過ぎ、羽田空港発伊丹空港行きの日本航空ジャンボジェット123便(ボーイング747型機)が長野県と群馬県の県境付近で消息を絶った。長野県南佐久郡臼田町の警察署に「大きなセスナ機が山中に落ちたらしい。墜落する際にぐるぐる旋回し、黒煙が上がっているように見えた」と一般市民からの通報があったという。お盆ということもあり、当機は満席状態。乗員15名、乗客509名、合計524名が搭乗していた。搭乗理由も様々。


・関西の親戚、友達の家に行くため

 (関東在住の搭乗者にいちばん多かった理由)

・東京旅行、ディズニーランドの帰り

 (関西在住の搭乗者にいちばん多かった理由)

・会社の日帰り出張のため

・全日空のチケットが取れなかったから

・甲子園に高校野球を見に行くため

(搭乗者には高校球児の父親もいた)

 

JAL123便 運命の52分間

18:04:00 羽田空港からJAL123便が定刻通り出発

18:12:20 JAL123便 羽田空港離陸

18:24:30 当機の尾翼の水平安定板センサーが破損

18:24:44 当機が急降下。緊急アナウンス発令

18:25:20 東京航空交通管制部に緊急遭難信号を出す


この頃、機体は大きく物音を立てて揺れ、乗客の前に酸素マスクが落ちてきた。


18:26:00 CAたちによる救命胴衣の指示

18:27:10 東京航空交通管制部に「操縦不能」という連絡が来る

18:31:35 航空機関士が「荷物の収納スペースのところが落っこちていますね」と機長に報告

18:46:20 CAたちが乗客たちに再度アナウンス

18:46:33 機長「これはだめかもわからんね」発言

18:47:06 当機が管制部に羽田までのレーダー誘導を要求

18:47:58 コックピットにて機体の出力を上げる

18:48:58 機長「もうだめだ」発言

18:49:46 機長「ストール(失速)」指示

18:50:04 機長「どーんといこうや」発言


この頃、機内はパニックとなっていた。乗客の中には子供も含まれており、泣き叫ぶ子供や、酸素マスクをつけたまま失神している子供もいたという。CAたちは万が一に備え、乗客に安全姿勢を取るように必死に伝えていた。


18:51:04 機長 機体の頭を細かく上下させるよう指示

18:54:30 当機が現在位置が知りたいと管制部に要求

18:54:55 管制部 当機が熊谷から西へ25マイルの位置にあることを確認

18:56:02 当機 高度2950m、時速560kmの表示を残しレーダーから消える

18:56:14 対地接近警報装置作動

18:56:23 フライトレコーダーに衝突音が記録

18:56:26 フライトレコーダーに激突音が記録

18:56:28 フライトレコーダー記録終了

 

123便がレーダーから消えたため、東京航空交通管制部は、「日航機不明」を自衛隊、警察庁外勤課、海上保安庁警備救難課、運輸省航空局管制保安部運用課に連絡している。墜落から5分後の19時1分に、茨城県の百里基地から、自衛隊がファントム戦闘機を発進した。そして20時42分、横田基地から北西に32マイルの位置に炎上する物体を発見した。ここで「墜落」は確実なものとなったが、墜落地点が1500m級の山が連なる山岳地帯であったこと、夜間のため明かりがなく、目印となる建造物もないため、地図を使っての位置確認が出来なかった。日付が変わる頃に、警視庁の機動隊員200名、埼玉県警機動隊員220名、他県からの救援部隊、計450人以上が群馬県警に到着した。現場に近い群馬県上野村に対策本部が設置され、本部からと他県からの派遣隊員1186名が揃う。しかし、この時点でも墜落現場は特定できず、陸上自衛隊は長野県北相木村に待機。この頃、123便の到着予定地であった伊丹空港ではパニックが発生しており、テレビでは各局で報道特番が組まれた。

 

13日午前4時30分頃、夜明けを迎え、墜落現場が群馬県上野村の御巣鷹山の尾根付近であることが特定され、北相木村で待機していた陸上自衛隊が移動を開始、午前7時55分に長野県警のレスキュー隊員2人がまず、墜落現場に到着し、8時49分に陸上自衛隊73名がヘリコプターから降下し、生存者の確認と現場の状況確認が本格的にスタートした。なお、同日午前8時より、日本航空は日航オペレーションセンターにて記者会見を行っている。各社新聞では搭乗者名簿を公開した。(当時は個人情報保護法が制定されていなかったため、搭乗者の実名や住所、役職などが記載されていた)

 

現場は地獄絵図であった。123便は主翼だけを残して大破しており、周りの木々は焼け焦げ、枝には破れた衣類が引っかかっており、近くには当機の残骸とともに、ちぎれた手足が散乱していた。レスキュー隊員たちは、そんな中でも生存者を4名確認している。10時54分に残骸の山から手を突き出していた26歳の女性客室乗務員、11時3分に近くで倒れていた34歳の女性と8歳の娘の親子、11時5分に近くで逆立ちした状態で埋もれていた12歳の女の子が発見された。しかし、生存者の確認はこれが最後となってしまう。12時30分頃に、日赤の医者1名と看護師3名がヘリコプターで現場に到着し、生存者の応急処置を施したあと、生存者はヘリコプターに収容した後、群馬県藤岡市の多野総合病院(現・公立藤岡総合病院)に搬送された。

 

残る520名の遺体は群馬県藤岡市の市民体育館へ運び込まれ、14日から、遺族たちによる確認作業が行われた。遺体の多くは損傷が激しく、判別が難しいものもあった。そのため、わずかな手がかりで確認するしかなかった。犠牲になった歌手、坂本九の妻である由紀子夫人は、夫が普段から身に着けていた笠間稲荷のペンダントが胸に突き刺さっていたことと、首の太さから夫であることを確認したという。なお、墜落当時、所持していたボストンバッグとウォークマンは発見され、坂本家に返還されている。遺族の中には、死を覚悟したのか「母さん(妻)をたのむ」「パパは本当に残念だ」と手帳やメモ書きに殴り書きで遺言を記している人もいる。由紀子夫人はウォークマンに遺言を録音しているかもしれないとテープを再生したが、生前よく聴いていた「We are the world」しか入っていなかったという。遺体を発見した隊員によると、即死であったという。

 

10月22日、大阪城ホールにて大阪地区追悼慰霊祭が執り行われた。10月24日に、日比谷公会堂でも東京地区追悼慰霊祭が執り行われた。しかし、遺族の中にはまだ死んだことを受け入れられない人もいたため、犠牲者名簿に名前を記載することを拒否した遺族もいた。

 

【犠牲になった著名人】

・坂本九(大島九)... 歌手。所用のため 享年43

・北原遥子(吉田由美子)... 元宝塚雪組スター。大阪の友人に会うため 享年24

・中埜肇 ... 阪急電車専務。都内での会議への帰り 享年52

・浦上郁夫 ... ハウス食品社長。東大阪市の大阪本社への移動中 享年48


【搭乗予定だった著名人】

・明石家さんま ... ヤングタウン収録のために搭乗予定だったが、ひょうきん族の収録が早めに終わったので一便早い全日空の便にチェンジした。


・麻美れい ... さんま同様に仕事が早く終わったので、一つ早い便にチェンジした。


・稲川淳二 ... 事故当日に大阪入りする予定だった。しかし当日に体調を崩し、飛行機ではなく新幹線で移動することにしたので命拾いした。しかし、仕事の関係者はこの便に乗り、亡くなっている。


・笑点メンバー全員 ... 13日に徳島の阿波踊りに参加するために徳島行きの便を予約していたが、悪天候のため遅延。話し合いのなかで「123便に乗って、神戸から船で徳島に行く」というプランが出たが、林家こん平が「ゆっくり行けばいい」「変えなくてもいいじゃない」と言ったことで、メンバーは徳島便に乗ることになり命拾いした。しかし、広告代理店の関係者は123便に乗り、亡くなっている。


・ジャニー喜多川 ... 11日から大阪の歌舞伎座で始まったマッチ(近藤真彦)の主演舞台を見に行くために、少年隊の3人と搭乗予定だったが、マッチから初日に記者会見をするから見に来てほしいと言われ、前倒しで大阪入り。少年隊は東京にとどまることになり、難を逃れた。


・逸見政孝 ... 大阪の実家に家族で帰省するために搭乗しようとしていたが、息子から「新幹線の方が安い」と言われ、なおかつ妻が飛行機嫌いであったため、家族は新幹線で大阪に戻ることにした。大阪の実家にいる時に、大惨事を知ることになり、アナウンサーという職業柄、「テレビ局に戻って情報を伝えた方が良いのでは」と考えたが、「今戻っても良いとこどりをするだけだ」と判断し、先輩の露木茂が担当する報道特番を大阪から見守ることにした。著書にて、10時間にわたって台本なしで視聴者に情報を伝えた露木アナを賞賛している。


【坂本九のエピソード】

生前、坂本は航空機のチケットを全日空で取っていた。事務所や妻にも「予約は全日空でお願い」と指定していた。しかし、全日空のチケットはお盆ということもあり、当日の全日空便は全て満席。大阪の事務所はやむなく日本航空123便のチケットを取ることになった。事故の数日前に、友人から「全日空に変えてもらえ」と言われたが、坂本は「せっかく取ってもらったのに申し訳ない」と言って変えなかったという。


また、事故当日にテレビで速報が流れたが、妻は「夫はいつも全日空だから」という理由でさほど気にしていなかった。しかし、新聞の搭乗者名簿に夫の名前と、夫のマネージャーの名前が記されているのを受け、ようやく事実を確認した。この時、マネージャーは早めに羽田空港へ出向き、何度も全日空へ振り替えてほしいと交渉していたが、盆のためキャンセルが出ず、願い叶わず、この便に乗ることになった。なお、坂本が搭乗していたのは2階席で、同じ階にいた乗員乗客は全員亡くなっている。