魔女裁判とは


中世ヨーロッパで盛んに行われた「魔女狩り」の総称。魔女信仰はヨーロッパから古くからあった。キリスト教はこれを継承しさまざまな俗信を展開させ、「地上での魔王の手下として特に悪魔との性交によって超能力を獲得し人畜に災いをもたらす」として悪魔を恐れた。

12世紀頃から魔女取り締まりが行われるようになり、1484年にインノケンチウス教皇が作成した教書やドミニコ会士が執筆した体系的な悪魔学の書を基礎にヨーロッパで大規模な迫害が行われた。

主に被害を受けたのはユダヤ人で、思想や精神的、身体的に社会に異質であるとされた人々も魔女だと疑われ、不条理な迫害を受けた。


魔女裁判のやりかた


まず魔女の疑いをかけられた女を全裸にし、髪の毛などの全ての体毛を剃り落とした。

次に体の至るところを針で刺していく。これはなぜかというと、魔女は何をしても痛みを感じないという迷信が根強く残っていたからだ。刺しても痛がらない部分がわかるまで針を刺しまくる。

だがそんなことをしても魔女という証拠は出るはずがない。最終手段として手足を縛って水の中に投げ込んだ。体が水面に浮かんできたら魔女、沈めば無罪が確定する。それも「聖なる水が悪を受け入れるはずがないし、魔女は体が軽いから浮いてくるはずだ」という迷信からきている。

たとえ沈んだとしても水から引き上げるころには溺死しているため、助かる見込みは0に等しかった。

女性たちは「私は魔女ではありません」と言うので、フランスやドイツでは魔女であることを自白させるために「指をネジで締めつける」「釘のついた台の上でムチ打ちにする」「刺し傷に硫酸を流し込む」「骨を砕く」といった常軌を逸した拷問が存在していた。

拷問に耐えきれず「魔女です」と自白すると、すぐに絞首刑、火あぶり刑、最悪の場合は大きな鍋に入れられ、そのまま煮られるという刑が行われた。すなわち魔女の疑いをかけられたら死しか選択肢がないのだ。

最終的に200年間で魔女裁判の被害にあった女性は少なくとも10万人、あるいは30万人にのぼるとされる。