夜分遅くに失礼します。早くも第9話です。いよいよ最終章に突入していきます。続きは本日の夜中に出します。お楽しみに!
ラストフレンズ
「何やってんの?」
オグリンがたずねる。
「ルカの試合やってないかなあと思って」
「やってないよ。番組表見ればわかるでしょう?」
「CS加入して45チャンネルもあるのに。使えないなあ」
「それって、もしかして遠まわしにテレビの持ち主のこと批判してる?」
オグリンが珍しくいらついた声を出している。
「そんなこと言ってないじゃん!なんか最近、機嫌悪くない?」
「やめなよ、なんか長年連れ添った夫婦のケンカみたいだよ」
「...うーん、なんかしっくりこない。ルカがいないからかな?」
タケルがやんわりと止めると、エリは首をかしげた。
その時、電話が鳴った。ミチルは弾かれるように立ち上がって電話に出た。
「もしもし、ルカ?...そう、よかった!おめでとう!」
ルカは遠征先から電話していた。ミチルが笑顔でルカの優勝を報告するとみんな笑顔で立ち上がり、テンションが一気に上がった。
「シャンパン開けよ!タケル、冷蔵庫!」
エリたちが台所へ飛んでいく。
「みんな揃ってるよ。エリちゃんもオグリンもタケルくんも。代わろうか?」
「いいよ、いちいち照れくさいし。明日東京に戻るから一度シェアハウスに顔出すよ」
「本当に?」
「うん」
「ルカ、本当におめでとう」
ミチルは心をこめて、電話の向こうに呼びかけた。
「ありがとう。じゃあみんなにヨロシク伝えといて」
ルカも気持ちのこもった言葉を返した。
「あ、待って!」
ミチルが呼びかけた時には既に電話は切れていた。ミチルが電話を切るのを見て、グラスを持ったエリたちがガッカリしている。
「ごめん。ルカ、照れくさいんじゃないかな」
「電話口でシャンパン開けてやろうと思ってたのに」
タケルがワインを持ってガッカリしている。
「でも、明日ここに顔出すって。遠征先から戻るって」
「了解。タケル?明日帰ってくるんだからどっちにしろ乾杯しよ。前祝いで!」
エリに言われてタケルはシャンパンを開けた。
「ルカ、おめでとう!」
ポーンと音がするのと同時にタケルはみんなのグラスにシャンパンを注いた。
「ルカ、おめでとう!乾杯!」
みんなで声をそろえ、ルカの優勝を祝った。
夜、タケルはルカの部屋へ行き、がらんとした部屋の片隅に残っているベッドに腰掛けながら、物思いにふけっていると、様子を見ていたミチルが部屋に入ってきた。
「明日会えるね、ルカに」
「...うん」
ミチルが声をかけると、タケルはふっと微笑んだ。
「結局、引っ越した後は、キャンプだの遠征旅行だのって続いちゃって、ルカに会う機会なかったもんね」
ミチルは思いきって気になっていたことをたずねた。
「ねえ、ルカってタケル君と...なんでしょ?林田さんじゃないんだよね?」
「俺とルカは友だちだよ」
タケルはきっぱりと答えた。
「友だち?」
「死ぬまでずっと変わらない友だち。そうありたいと思ってる」
穏やかな、でも確信に満ちた口調のタケルを、ミチルはじっと見つめていた。
翌日、ルカは久しぶりに東京に帰ってきた。宿舎で優勝記念で貰った花束を抱え、シェアハウスを訪ねた。
インターホンを押したが、応答がなかった。おかしいなと思いドアノブを回してみると、鍵はかかっていない。
「あれ?開いてんじゃん」
部屋は静かで人の気配がしない。恐る恐る中に入っていくといきなりリビングの電気がついた。
「カントリーロード~この道~ずっと~ゆけば~」
テンガロンハットにマント姿のタケルがギターを弾き、エリがマラカスを鳴らし、ミチルもタンバリンを叩いている。オグリンもエリと一緒にマラカスを鳴らしている。
「ルカ、おかえりなさーい!」
エリたちが歌い終わると同時に四人はクラッカーを鳴らし、紙吹雪が舞い、「優勝おめでとう!」という垂れ幕が降りてきた。
「おめでとう!ルカ!」「おかえりなさい!」
みんなが口々に祝福していると、
「さあ、ヒーローインタビューです。岸本選手、今の気持ちをお願いします!」
オグリンがクラッカーをマイクに見立ててルカに近づいていく。
「バカかお前ら!」
ルカは胸がいっぱいで笑いながら、いつもの調子でツッコんでみる。
「いいねえ、その冷たいリアクション」
「ルカだあ」
エリとオグリンが笑い、ルカも笑みを浮かべた。
ディナーの支度をするのでベランダで涼んで待っててほしいと言われ、ルカはベランダの椅子に腰かけ、みんなの様子を見ていた。
「ルカ、おめでとう!」
タケルがコーヒーを持ってきてくれた。
「ありがとう。タケルのおかげだよ」
「俺の?」
「タケルのおかげで自信がついた。この世にひとりでも自分のことをわかってくれる人がいるってことが、こんなに心強いと思わなかったんだ」
ルカは素直な気持ちを話した。
「なんていうかさ、いつも頭の上に掛かっていた雲が、少し晴れてきたみたいな...そんな感じなんだ」
「これからは、どんどん晴れていくよ」
「そうかなあ」
「うん。ルカ?シェアハウスに戻ってきなよ」
タケルは真面目な口調でたずねた。
「ルカがいないと調子が出ない。俺だけじゃない。みんなもそうだよ」
「七面鳥が焼けたよー。ルカちゃん呼んできて」
オグリンはオーブンから七面鳥を出しながら、忙しそうにしているので、
「私、呼んでくるね」
ミチルは返事して、ベランダに面したガラス戸を開けようとすると、ルカとタケルが二人で談笑していた。ルカは時折タケルの肩をバシバシ叩きながら笑い、タケルはおどけている。それはミチルの知らない二人の顔だった。ミチルは声をかけることが出来ず、ガラス戸の桟にかけていた手をそっと外した。
私が ずっと探し求めて手に入れることの出来なかった
翌朝、ミチルが目を覚ますと、朝陽がリビングにさし込んでいた。昨夜はどんちゃん騒ぎをし、リビングでそのままみんな眠ってしまった。オグリンはエリにしがみつくように、隣り合っているタケルとルカはソファにもたれて。その光景を微笑ましく見ていると、インターホンが鳴った。
玄関を開けると、30歳くらいの女性が立っていた。
「朝早く申し訳ありません。あの、こちらに水島タケルはおりますでしょうか?タケルの姉で、白幡と申します」
「お姉さんですか?」
「実家で祖父の法事がありまして、タケルも当然来るものと思ったんですけど、連絡が取れないもので、家の者も心配しておりまして」
優子は玄関に並んだ靴を見た。そこには男性サイズの大きなスニーカーがある。
「そちらに、おりますんでしょうか?」
「あ、はい。でも今はちょっと...」
リビングは片付けしていないし、みんな寝ている。しかし優子はミチルを無視し強引に部屋へ上がっていった。慌てて後を追うと、優子はルカと寄り添い眠るタケルを見下ろしていた。嫉妬心むき出しの恋人のように。
「あの、起こしましょうか?」
「いえ」
優子は小さな包みをカバンから出し、テーブルにそれを置いた。
「手作りのバナナブレッドです。目が覚めたら渡してください」
優子は背を向けてとっとと帰ってしまった。ミチルが玄関先まで見送り、リビングに戻るとタケルが目を覚ました。
「おはよう」
タケルがふとテーブルのほうを見ると小さな包みが置いてあることに気づいた。
「これ何?」
「今、お姉さんがいらしてたの。ご実家の法事に向かう途中とかで、それ、バナナブレッドだって」
「なんでわかったんだ...?」
タケルは青ざめ、菓子を直に触らないようにリボンの部分を指でつまみ、ゴミ箱へそれを捨てた。
「姉が来たってこと、誰にも言わないで」
「...でも」
「言わないで」
強い口調のタケルにミチルは気圧され、うなずくしかなかった。
しばらくしてルカが起きてきた。今日は日曜日だ。
「頭痛っ...、二日酔いだよコレ。おえ」
エリが台所で頭痛薬を飲んでいる。
「今何時だ?」
ルカが時計を見ると、8時を過ぎている。
「あれ、タケルがいない。どこ行った?」
ルカがキョロキョロ。
「もう出てったみたいだよ。タケルくんのリュックがもうない」
オグリンはタバコを吸って一服している。
「じゃあ、私も出よっかな」
ルカが立ち上がる。
「え、もう行っちゃうの?ゆっくりしていきなって」
エリが下を向いてダウンしている。
「実家にも寄りたいし、また時間あいたらここ寄るよ」
ルカは洗面台に行き、歯を磨いて軽く髪の毛をといた。
「きっとだよ。また遊びに来てよ?」
「うん。じゃあ!」
ルカは上着を羽織り、笑顔でシェアハウスを出ていった。
夕方、ミチルがベランダ洗濯物を干していると、仕事から帰ってきたタケルが声をかけてきた。
「大変そうだね。手伝おうか?」
「え、でも、全部女の子のだし。じゃあ、シーツと枕カバーだけお願いしてもいいかな」
「了解」
横で洗濯物を干しながらも、ミチルは今朝のことが気になっていた。
「ミチルちゃん、ちょっと話いい?」
エリが封筒を持ってベランダに出てきた。
「なんか住民票みたいなのを大家さんに出さなくちゃいけないらしくて。そしたらさ、ミチルちゃんの場合、今のところ定職についてないし、保証人を立ててくれっていうの。ミチルちゃんの場合は、お母さんだよね?」
「会ってないな、ずっと」
母のことを考えると暗い気持ちになる。
「多分、男の人と、暮らしたりしてるんじゃないかな。私が出てったら、すぐにでもそうしたそうだったし」
「一緒に行こうか?」タケルが申し出てくれた。
「タケルくんが?」
「うん。このシェアハウスのこと俺が説明するよ。そのほうが、お母さんもサインしやすいだろうし」
「あ、そうだね。そうしてあげて」
翌日、エリは仕事帰りに宗佑の病室を訪ねた。手紙を燃やしたが、なんとなく気になっていた。しかし、ネームプレートに名前はあるが、ベッドに姿はない。
「あの、入院してた及川宗佑さんって退院されたんですか?」
通りがかりの看護師にたずねてみる。
「ご家族の方ですか?」
「いえ、ただの知り合いです」
「実は、急にいなくなってしまって。まだ退院できる状態じゃなかったのに」
「...そうなんですか」
エリは待合室を通った時に、怪我をした若い女性と付き添いの男性の会話を聞いている。
「本当にごめんね。もうしないから」
どうやら男性が女性を怪我させた様子だった。エリは宗佑が病院を抜け出したことを知らせるために急いでシェアハウスへ帰った。
ミチルはタケル付き添いで実家へ帰っていた。
「この書類のここに保証人としてサインしていただきたいんです」
タケルは書類を差し出し、母はサインをしながらジロジロとタケルを見ている。
「男女五人で部屋を分け合って暮らしているんです。家賃も五等分して」
「男も女もごっちゃなんですか?」
「ええ。でも、それぞれ個室あるんで心配なさらないでください」
タケルが微笑むと、母は娘の袖を引っ張って隣の部屋へ連れていった。
「あの人、何?あれはカタギのナリじゃないね。夜の仕事でしょ?あんたに貢がせてるんじゃないの?」
「違うよ。タケルくんはそんなんじゃないよ」
「前に付き合ってた及川さんは、服装だって何だってきちっとしてたじゃないの。仕事だって役所勤めで固いし、どうしてそういう人と長続きしないかねえ」
「お母さん...いつ宗佑に会ったの?」
ミチルは怪訝な顔で母を見た。
「...心配なんだよ、お母さんは。私も男に苦労したクチだからね。ああいう顔のキレイすぎる男は」
母がそう言うと、タケルが顔を出した。
「すみません、ひとつお願いがあるんですけど」
「何?」
「その及川さんって人が訪ねてきても、部屋に上げたり、彼女のことを教えたりしないでほしいんです」
「そんなのこっちの勝手でしょ?それに、あの人には私だって多少の恩義があるし」
「恩義って何?」
ミチルはハッとしてたずねた。
「まさか、お金借りたの?」
「よっぽど困ってたときに、ちょちょいね」
開き直った母を見て、ミチルはショックを受けた。
「そういうことも、もうやめてもらえますか?」
タケルが言う。
「はい?」
「彼はミチルさんを家で虐待してたんです。気に入らないことがあると殴ったり蹴ったり」
「...そういうことは、男だったら多少は誰だってやるんじゃないんですか?」
「誰でもじゃありません。そんなふうに何気なく、許されていいことじゃありません」
タケルは目を伏せて静かに続けた。
「母親として、そういうことからミチルさんを守ってあげてほしいんです。お願いします!」
「...わかったわよ」
母は観念したように約束してくれた。
夜、母はタケルと飲んで上機嫌になった。若い男と酒を飲むのは久しぶりらしい。
「最近そういうの流行ってんのね。男と女が一緒に住んで入り混じって生活するっていうの?」
「そうみたいなんですよねえ」
「あ、私の頃もあったわね!なんて言ったかしら、フラワーチルドレン。そんな感じよ!歴史は繰り返されるっていうけど本当なのねえ」
「昔流行ってたものって、今振り返ってみてもいいですもん。デザインも服装もそうだし音楽も」
「ローリングストーンズ!ボブディラン!私の好きなのはね、ミックジャガー」
「僕はジョンが好きです、ジョンレノン!」
「なんだ真面目なんじゃないのよ!もう、こんな頭しちゃって!」
懐に入るのが得意なタケルはミチルの母とも仲良くなってしまう。
ミチルは夜道を歩きながらタケルの顔を見つめて微笑んだ。
「ルカが言ってたの、本当だね。タケルくんは人を幸せに出来る男だって」
タケルは母との晩酌に付き合ってくれた。ミチルも知らなかった母の趣味まで引き出し、すっかり上機嫌にさせていた。
「私、もっと早くタケルくんと出会っていればよかった。宗佑に会うより前に」
タケルは黙っているので、冗談ぽくしめてみる。
「それで、もっともっと、好きになっとくんだった」
「俺なんてダメだよ」タケルは苦笑いを浮かべた。
「どうして?全然ダメじゃないよ」
「欠陥人間なんだ」
「欠陥?」
「実は心臓が人より小さくて、ネズミぐらい。これくらいしか」
笑ってもいいのかミチルは困惑してしまう。
「冗談だよ。はんぶん本当だけどね」
「なんだ!びっくり!...雨だ」
ミチルがホッとしたところで雨が降ってきた。
「傘、あったかな...あった!」
リュックから折り畳み傘を出し、傘を広げてミチルを入れてくれる。タケルの腕に触れると何故だか妙にドキドキする。ミチルは立ち止まってしまう。
「ミチルちゃん?」
「あ、私、買いたいものあるからちょっと寄ってく」
「でも、もうすぐ家だよ?」
「すぐ戻るから。タケルくん、先に帰ってて。また後でね」
ミチルは傘を飛び出して走り出した。
雑貨屋で品物を見ていると...
「ミチル?」
聞き慣れた声がし、振り返ると松葉杖姿の宗佑が立っていた。
「久しぶりだね。いつうちに帰ってくるの?」
ミチルは絶句した。
「こんな具合だから、部屋の掃除とか料理とか、ミチルが手伝ってくれると助かる。もちろん出来ることは自分でするけど」
ミチルはもう宗佑のところへ行くつもりはない。
「...私は宗佑と別れたんだよ?」
子供に言うように問いかける。
「手紙読んでくれた?」
宗佑の質問の意味が分からず黙ってしまう。
「読んでくれてないんだね。なんで来てくれないんだろうって思ったけど、だったらしょうがないね」
宗佑を見ているうちに気分が悪くなり、そのまま店の外へ出た。
「ミチル、一緒に帰ろう?」
宗佑がミチルの腕をつかんでくる。振りほどこうとしたが、彼は離そうとしなかった。捨てられた子犬のような目でミチルを見ている。
「宗佑、許して。私をもう自由にして」
ミチルは頼み込むように言った。
「私...好きな人ができたから」
宗佑はスッと手を離した。
「嘘だろ?信じないよ」
「...本当なの」
ミチルは宗佑に背中を向けて走り出した。必死で走っているとタケルの姿が見えた。
「どうしたの?」
タケルは傘を差してずっと待ってくれていた。
「...探してたものなかったから、タケルくんに追いつこうと思って」
「びしょ濡れだね。早くうち帰ろう。風邪引くよ」
タケルと一緒にミチルは寄り添って歩き出した。背後から宗佑がタケルを憎悪に満ちた目で見ていたことなど、二人は知らなかった。
翌日、タケルが仕事を終えてメイク道具を片付けていると、事務所社長がやってきた。
「水島くん。来週からニケ月仕事入れたから」
「は?」タケルは手を止めて社長を見た。
「この前CM撮った監督さん、今度映画撮るんだってさ。君のメイク気に入ったから、お願いできますかって。いいよね?」
「あ...はい!」タケルは顔を輝かせて返事をした。
タケルは、いの一番にルカに電話をかけ、映画の仕事が決まったことを報告した。ルカは自分のことのように喜んでくれた。家に帰ってエリたちにも報告し、気分が良いままバーの仕事に出かけていく。
「ありがとうございました」
最後の客を見送って後片付けをし、外に出てくるともう夜が明けていた。シェアハウスで仮眠しようとバーを出た瞬間に何者かに棒のようなもので殴りつけられ、そのままバランスを崩して下へ続く階段まで転がり落ちた。アスファルトに全身を打ちつけ激痛が走る。
痛みをこらえ起き上がろうとしているタケルの目に、足を引きずりながら階段を降りてくる宗佑の姿が目に入った。さっきの棒みたいなものは松葉杖であることがわかる。宗佑はゆっくりと近づいてきて、タケルめがけて松葉杖を振りかざしてきた。覚悟して目を閉じていると宗佑の声がした。
「ミチルに手を出すな」
目を開けるとすぐ横に松葉杖の先が見えた。
「わかったな?」
宗佑は松葉杖でタケルを何度も殴りつけ、松葉杖の先で商売道具の右手を踏みつけた。
ミチルはインターホンの音で目覚めた。宗佑かもしれないと不安がよぎり、窓から外を見た。しかし宗佑らしき人物はいない。ビクビクしながら玄関の戸を開けると、血だらけのタケルが倒れていた。
「タケルくん!しっかりして!」
ミチルは動揺してしまう。
練習場から連絡を受けたルカは、すぐにシェアハウスに戻った。
「タケル!」
タケルは自分の部屋で治療を受けて眠っていた。オグリンは悲痛な表情を浮かべ、エリは泣いているミチルを優しく介抱していた。机には血痕の付いたガーゼや包帯を切った跡が置いてあり、右手を包帯で巻かれたタケルは、全身に擦り傷や打撲の跡があった。ルカはベッドで横になるタケルの手をそっと握った。
「...おかえり」
タケルは青ざめた表情で微笑んだ。
「...私のせいなの」
ミチルは部屋を飛び出してしまう。
「どういうことなの?」
ルカの問いかけに、ミチルは自分の部屋にルカを連れていき、タケルが怪我をした経緯を全て話した。
「...ミチルのせいじゃないよ」
ルカはやりきれなかった。
「悪いのはあいつで、ミチルじゃない」
「でも、タケルくんのことは私のせいなの。私が宗佑に言ったから。好きな人が出来たって。そう言わなきゃ宗佑があきらめてくれない、そう思ったから言ったの。でも、そんなの嘘じゃない」
ミチルはうつむいてしまった。
「タケルが、好きなの?」
ルカは微笑みながらミチルの前にかがんだ。
「自分でもよくわからないの。でも、タケルくんはルカのことが好きだし、ルカはタケルくんのことを...」
「タケルと私は友だちだよ」
ルカは穏やかに言った。
「ミチルが思ってるのとは違うんだ」
リビングに出ると、エリとオグリンが深刻な顔をしてソファに座っていた。
「私、油断してた。多分もう何も起きないんじゃないかって思ってたんだよね」
「...なんでタケルくんが襲われたのかな?まるで思い出したみたいに。これから先、俺らひとりひとり、ずっとビクビクして暮らしてかなきゃいけないってことなのかな」
オグリンの発言がルカの胸にひっかかる。
「オグリン?まるでミチルに出ていけって言ってるみたいに聞こえる!」
「そんなこと言ってないよ!」
「でもそのほうが楽だし、安全だって思ってるだろ?」
ルカはオグリンを責め立てた。
「心配なら家に帰ってなよ。私はアパート引き払って、ここに戻ってくる。この家で、たとえひとりになってもミチルを守るから」
タケルは怪我から数日経っても仕事に復帰できなかった。ミチルはタケルを付きっきりで看病し、この日も野菜スープを作ってあげた。
「ありがとう」
傷ついていない左手でぎこちなくスプーンを使う。
「大丈夫?」
「うん。休んでれば、治るよ」
「...でも」
ミチルはタケルの右手を手に取った。
「病院行って、医者にちゃんとよく診てもらおう」
病院へ行き、レントゲン写真を撮ってもらうと、右手の人差し指が変形していた。松葉杖で強く押さえつけられたからである。復帰には数ヶ月かかると言われた。
ルカがシェアハウスに帰ってくると、『タケルくんと病院行ってくる』というミチルからのメモがテーブルに置いてあった。息をつき、ソファに座ろうとした瞬間に電話がなった。なんとなく嫌な予感がして、受話器を取ると男の声がした。
「もしもし...」
電話の声の主は宗佑だった。
電話を受け、ルカは宗佑のマンションへひとりで訪ねた。
「どうぞ」
宗佑はドアの内側から鍵をかけた。ルカは覚悟を決めて、宗佑の部屋に乗り込んでいく。
「すごい活躍だね」
宗佑はわざとルカが紹介されているスポーツ雑誌をゴミ箱に捨てた。そしてタバコに火をつけ、
「君の家族に手紙を書くことにした。君の通っている精神科のことも、何もかも。わかりやすく説明する。解説本も添えてね。お父さんやお母さんも、きっと君のことを理解するだろうね。もしもそうされたくないんだったら...」
リビングにルカを通し、タバコをふかしながら脅しをかけてくる。
「勝手にしなよ。私はもう何も怖くない」
「ミチルは?」
その質問にルカは答えない。
「あの男と一緒か?」
「だとしたら何?ミチルはもう、あんたの彼女でもなんでもないんだよ」
「君が全部仕組んだんだろう?」
宗佑はタバコを灰皿に押しつけた。
「違うよ。ミチルは変わったんだよ。自分の足で立って、自分の力で生きていこうとしてる。今、ミチルは、ちゃんとした男を...あんたの何倍も優しくて、心が広くて、本当に人を愛せる男を好きになりかけてる」
ルカはミチルからもらったお守りを握りしめた。
「ミチルはこれからいくらでも幸せになれる。その邪魔を、あんたにだけは絶対にさせない」
「なんでそんなことが言えるんだ?」
宗佑はルカから目をそらさずに彼女を睨みつけている。
「ミチルを本当に愛してるのは私だから。あんたの愛なんか本当の愛だとは思わない!」
ルカは核心を突いた。その言葉を聞いた宗佑から激しい憎悪が込み上げてきた。そしてルカの胸元をつかんだ。
「貴様!」
ルカは一瞬ひるんだが、宗佑に膝蹴りを食らわせた。腹を抱えてうずくまる宗佑を突き飛ばそうとしたが、腕をつかまれ、ねじ曲げられ、壁に押しつけられてしまう。ルカは必死に抵抗したが、男の力に抵抗するのは容易ではなかった。
「うっ...!」
宗佑は容赦なくルカの背中に蹴りを入れてきた。そのまま倒れ込み、その時、テーブルが倒れ、上に乗っていたマグカップが音を立てて粉々に割れた。ルカは身の危険を感じ、ドアまで逃げようとしたが宗佑に手をつかまれ、仰向けに床に押しつけられた。マグカップの破片が頬に刺さり、床に血が染まっていく。その体勢のまま、宗佑はルカのシャツを引き裂いた。そして胸を触った。
ルカは嫌悪感と屈辱感に襲われながら、弱々しく声を上げていた。
病院から戻り、ミチルはタケルにコーヒーを入れてあげた。マグカップを手にして飲もうとすると、突然タケルの手の中で補修した取っ手が落ちた。
「あっ...」
嫌な予感が胸にこみあげてくるのをタケルは床に落ちた取っ手を見ながら感じていた...。
(参考・どらまのーとドラマレビュー)