お待たせいたしました。早くも第8回目の連載です。編集作業遅れて申し訳ございません。この作品は12週で完結します。第9回目は6月14日に掲載予定です。


ラストフレンズ

第8週 - 最後の手紙 -

ルカは不動産屋に案内され、とあるワンルームマンションの内見をしていた。
「都心に比べるとお家賃は大分お安いですよ。敷金礼金も頂きませんし」
「ありがたいです。半年ぐらいしか住めないと思うんで」
「どういうご事情で?」
「半年経ったら海外に行くつもりなんです」
「へー、海外。すごいですね!」

不動産屋の営業トークに、ルカは適当に相づちを打っていた。

朝、シェアハウスではミチルがお弁当を作っている。
「おはよう!...何作ってんの?」

エリが起きてきた。
「タケルくんと二人分のお弁当。ヘアメイクの仕事教えてもらうからそのお礼に」
「...そう」
「エリちゃんも味見してみる?」
「ううん。大丈夫。ありがとね」

エリは笑みを浮かべ、自分の部屋に戻った。

「...どうなってるんだろう?」

エリはこの前、酔った勢いでタケルにキスしている。その時に彼が青ざめた顔で自分のことを突き飛ばしてきたので、もしかしてゲイなのかなとやんわり確認すると、彼がその事実を認めた。てっきりゲイだと思っていたら、ミチルちゃんとそういう仲なの?と少し違和感を感じた。

(このやりとりは第5話を参照)


「タケルくん、この前のことだけど」
ミチルは言葉を選びながら切り出した。タケルは台所でいつものようにコーヒーを入れている。
「気にしないでね。私、なんか変なこと言っちゃったけど、私はただ、タケルくんがつらかったり寂しかったりしたときに、そばにいてあげたいって思っただけ。何か特別なこと期待してるわけじゃないから」
「...ありがとう」

タケルはその言葉の意味をしばらく頭の中で考えてから、ミチルのほうを向き、穏やかに笑みを返した。

その夜、お好み焼きをホットプレートでみんなでワイワイと焼いていた時に、あることが起きた。
「じゃあ、ミチルはとうぶんタケルのアシスタントやるってこと?」

「うん。ミチルちゃんよく働いてくれるし、礼儀正しいから事務所の社長にも気に入られちゃって」

ルカの質問にタケルが答えた。

「でも給料安いんでしょ?大丈夫?」

エリがそう言いながら缶ビールを人数分持ってくる。
「全然!勉強にもなるし」

ミチルは微笑んでいる。
「よかったな。これからは、仕事でつらいことがあったり、嫌な事があったら、タケルに相談するといいよ。先輩なんだから」

ルカがミチルに微笑みかけると、彼女はうなずいた。
「あ!先輩といえば林田さん!どうなのその後!上手くいってんの?」

エリがルカにたずねる。
「え?」
「連れてきなよ。こうやってお好み焼きとかやるときは、大勢の方が楽しいんだし」
「誘ってみるけど、多分来ないんじゃないかな。なんか若い人たちと話合わないって言ってたから」
「若い人って...そんな年変わらないでしょ俺と」

オグリンがビールを飲みながら言う。
「年変わんないって言ってるけど、悪いけどオグリンそこに入ってないからね」
「え、うそ?」
「うそ?じゃないよ」

エリとオグリンが話していると、インターホンが鳴った。
「誰か来た。はいはーい」

エリが立ち上がって玄関へ向かった。

玄関の戸を開けると、小学生ぐらいの男の子が立っていた。
「こんばんは。どうしたのかな?回覧板?」
「ミチルって人に、これ」
男の子がエリに手紙を差し出した。
「うん?」

エリがしばらく帰ってこないので嫌な予感がして、ルカも玄関に来た。
「手紙、ミチルちゃんにだって」

何気なくルカが手紙を裏返すと『S』と署名があった。
「宗佑...あいつだ」

「あいつ...?」
なんでこの子がと思ったが、男の子は気づいた時には走り去っていた。ルカは迷うことなく手紙を開封し、読み始めた。


ミチルへ

僕は今 常陽総合病院に入院しています

やっと 手を動かせるようになって

この手紙を書いている 会いたい

一度 会いに来てくれないか? 君に会いたいんだ

待ってる 宗佑より


「...罠に決まってる。ミチルに渡すことないよ」

ルカはエリの手に手紙を残し、リビングへ戻った。


宗佑は直也くんを追いかけて踏み切りに飛び込んだ時、ひかれこそしなかったが、電車に接触して大怪我を負った。ようやく右手だけは動くようになったので、ミチルへ手紙を贈ることにしたのだ。

「及川さん、お客さまです」

宗佑はミチルが来たと思った。顔を上げると、
「...ご無沙汰してます。お見舞いにメロン持ってきました」
入ってきたのはエリだった。宗佑はシェアハウスを双眼鏡で監視し、彼女がルカの友人であることも知っていた。もちろん勤め先まで調べていた。

「ミチルちゃんが来ると思いました?残念でした。ついでに手紙も返しておきます。芝居じゃないかと思ってたんですけど、怪我したのは本当だったんですね」
包帯でぐるぐる巻きの足を見て、手紙を病室のテーブルに置いた。
「哀れですね。彼女のことあんなに叩いたり殴ったりしてたのに、手足ふさがれたら何も出来ないんですから。力でしか女の子を引きとめておけないなんて、情けないと思いませんか?」
笑顔でキツイ言葉を浴びせた後、エリは背を向けた。
「メロン食べてくださいね。失礼します」
「ちょっと待って。頼みがあるんだ」
エリを呼び止め、サイドテーブルの引き出しに手を伸ばした。その途端、激しい痛みが全身に走り、顔をゆがめていると、エリが駆け寄り、引き出しを開けてくれた。
「ミチルに渡してくれませんか?」

引き出しの中にはぎっしりと手紙の束が詰まっていた。
「...また手紙?」
「新しいメアドはわからないし、送ってもどうせまた誰かに邪魔されるし」
「そうですよ。私だって渡さないし」
「渡してくれますよね?あなたは、優しいから」

宗佑は確信に満ちた口調だった。彼女はあっさりと振る舞っているが、おそらく誰よりも情が深いに違いないと思った。
「...私は、あんたみたいな男大嫌い!」

エリは動揺したのか声を荒げた。
「ひとりよがりで、押しつ
けがましくて、好きだ好きだってうるさいけど、結局は自分が可愛がってほしいだけじゃん!甘ったれ!自己愛のかたまりじゃん!」

「なんとでも言えよ。でも僕は、ミチルを愛してる。誰よりも、いつまでも」


「シェアハウスを出ようと思っています」

ルカはカウンセリングで近況を報告していた。

「そうですか」
「誰も知らない場所で、新しく生活を始めたいんです。落ち着いたらいずれ海外に行こうと思っています。出来れば、その時に手術を受けたいと思っています」
「何か、焦ってるんじゃないですか?それにまだ、あなたを性同一性障害だと診断できているわけでもありません。今の段階では、性別違和症候群と呼ばれる症例にあたります。どうしてそんなに急ぐんですか?」
「苦しいんです」

ルカは訴えた。
「大声で叫び出したいくらい苦しいんです。でも、今カミングアウトすることは、すべてを壊すことになるから」
「すべてとは限らないんじゃないんですか?」

医師は穏やかな口調で続けた。
「一番そばにいる人に、ありのままの自分を認めてもらいたい。人間なら誰もが願うことです。その切実な思いが少しでも満たされれば、あなたもあえて出ていきたいとは思わなくなるんじゃないですか?身近な人と、もう一度話し合われてはいかがですか?」
ルカは深く考え込んだ。


『ミチル、愛してる』『君のいない日々を過ごすのはあまりにもむなしい』『もう独りになるのはごめんだ。君とまたひとつになりたい』

エリは宗佑のラブレターの山をひとつひとつ読んでいた。手紙すべてにミチルに対する愛情が書き綴られていた。

「エリちゃーん、お邪魔します」

オグリンが部屋に入ってきた。
「ダメ、今取り込み中なの」
「いいじゃないの別に」

「ダメって言ったでしょ?聞こえてなかった?」
「ねーねー、今度の休みさ温泉行かない?いいとこ見つけたんだよね」

勝手に部屋に入ってきたオグリンに呆れながらも、なぜか許してしまう。オグリンは大きな休みが取れたのでエリと二人きりで温泉に行こうと計画していた。

「何読んでんの?」
「うん?ラブレター」
「え?どういうこと?」
「私モテモテだから、いろんな人にもらったラブレターがあるの。何年にもわたって!」
「本当に?えっ、嘘でしょ?」
「でもオグリン?私が外で誰と愛を語らってても、オグリンは文句言えないんだよ」
「え?」
「奥さんと会ってたでしょう?私、見ちゃった」

この間、会社の近くの喫茶店でオグリンと奥さんが談笑しているのを見た。
「...見てたの?参ったなあ。別に会いたくて会ってたわけじゃなくて、あの、夫婦っていろいろあるんだよ。
生活費の分担とか町内の役員会とのこととか。話し合っておかなきゃいけないことがさ」

「ふーん」

「...さては信用してないな?」

「さあ...どうでしょう」エリがニヤリ。



エリと入れ替わりに直也くんが病室を訪ねてきた。

「ガタンゴトン、ガタンゴトン」

直也くんは無邪気な笑顔でプラレールをベッドの縁に沿わせて、宗佑の足元から手元の方へと走らせていく。
「もう帰ったほうがいいよ。お母さん帰ってきたんだろ?」

「お兄ちゃんもさみしそうだから」
宗佑が優しく言うと、直也くんは顔を上げて言った。
「ひとりだとさみしいでしょう?」
ストレートな言葉に心を打たれ、宗佑は微笑みながら直也くんを見つめた。

ミチルはヘアメイクの仕事帰りになんとなく本屋へ入ってみた。すると前方に美容師時代の先輩がいるのに気づいた。あまりにも熱心に本を読んでいるので何となく見ていると、先輩がミチルに気づき、慌てて本を戻して出ていってしまう。先輩のいた場所に行くと、そこにはDV関連の本が並んでいた。「もしかして先輩も?」とミチルは少し動揺した。

その頃、シェアハウスではガイドブックを手に、エリとオグリンは温泉宿に片っ端から電話をかけ始めていた。

「ダメだ。予約しようと思ったとこ全部満室で泊まれないよ」

「二人で1泊3万円とか、室内露天風呂つきとか、隠れ宿とか、オグリンが条件つけるから!」

「せっかく泊まるんだからそこはこだわらないと。せっかく二人きりの旅行なんだし」

「とりあえず箱根と秩父と熱海は全滅」

「うーん。じゃあネットの力でも借りますか」
「ネットかあ。でもパソコン、ルカの部屋にしかないんだよな」
エリはためらいつつもルカの部屋に入っていく。
「お邪魔しまーす。パソコン使わせてもらいまーす」
机の上のパソコンを立ち上げると、いきなり海外の性別適合手術についてのホームページが出てきた。
「何、これ...」

思わず見入っていると、

「うん?何かあった?」
オグリンが部屋に入ろうとしたので、慌ててパソコンを閉じた。
「あー、ごめん。私このパソコン使い方よくわかんないや」

エリはルカの部屋を出たが、その時、エリがテーブルに積んであった本と接触し、そのうちの一冊が床に落ちている。エリはそれに気づかなかった。

「性同一性障害?」

タケルはすっとんきょうな声を上げてしまった。タケルが店を開けようと準備していたら、深刻な顔をしたエリが店に来て、ルカが性同一性障害だという話を聞いたことがあるのかと聞いてきたからだ。
「ルカのパソコン開けたら、いきなり出てきたの。アクセスして閉じ忘れてたらしくて」
「だから?」
「ルカがそうかもって感じたこと、全然ない?」

「...俺はないよ、全然」

しばらく考えたが、あっさり否定した。
「そっかあ」
「エリこそ、付き合い長いんだからわかるんじゃないの?」
「うーん。考えてみたこともなかったからなあ。...いや、でも多分違うね!林田さんと付き合ってるし」
エリの言葉に同意したかったが胸が痛くて言葉が出なかった。
「うん。それに、こんなイイ女がそばにいるのに、そんな目で見られたことないし」
「なるほどね」タケルがにやける。
「ところでさ、タケル」
「何?」
「確かめておきたいんだけど...タケルは、女を好きにならないんだよね?ミチルちゃんのことは、どう思ってるわけ?」
「友だちだよ」

エリが上目遣いで遠慮がちにたずねてきたが、タケルは即答した。
「え、でも...」
「ミチルちゃんも、俺のこと友だち以上には思ってないよ」
「そうかな?そんな風には見えないけどなあ」
「そうだよ」
「...なんかね、タケルが私との時はあんなだったのに、ミチルちゃんはオッケーなんだったら、私的にちょっとショックだなと思ってさ。女としては」

エリがいつになくしおらしい感じで言った。最初は彼女が何を言いたいのかよくわからなかったが、だんだんわかってきてタケルも心苦しくなってきた。
「そんなことないよ」

タケルは精一杯気持ちを込めて答えた。
「そんなことないって?それはどういう意味のそんなことない?ミチルちゃんはタイプじゃないっていう意味?それとも自分はゲイじゃないってこと?それか、ただ単にあの時は体調が悪かったとか?」
答えはその中のどれでもない。タケルが苦笑いを浮かべていると、
「笑ってごまかすな!」
カウンター越しにエリに、笑顔ではたかれた。


帰宅したルカはパソコンを開こうとして、ふと机の上にあった本が下に落ちているのに気づいた。なんだかモヤっとした気持ちになり、首をひねりながらリビングへ向かった。

「わっ、お、おかえり」
オグリンはバスタオル一丁で風呂から上がってきて、ルカの存在に驚いている。

「ただいま」

ルカは何も動揺せず淡々と言った。
「ねえ。私のパソコン ...」
「え?」
「...なんでもない」やっぱりやめようと思ったが、
「あ、パソコン、エリちゃんが使った。ごめん」

オグリンの言葉にドキッとした。
「...で?」
「なんか、使い方よくわかんないとか言って、すぐ出てきたけど。ごめん。やっぱ気になるよね。人の部屋、勝手に入っちゃダメだよね」
恐縮するオグリンに何も言葉を返せず、ルカは無言のまま部屋へ戻っていった。

結局、タケルはエリと一緒にシェアハウスに帰ってきた。
エリは着替えてくると言って部屋に入った。ポストに入っていた郵便物をテーブルでタケルが整理していると、ルカ宛の大きな封筒があった。


東京都武蔵野市 吉祥寺西町 3-8-65

岸本ルカさま 興明不動産


「ルカ、興明不動産って?」

たまたま部屋から出てきたルカに声をかけた。
「あ、サンキュ」
ルカはタケルとは目を合わさずに受け取った。
「何なの?」

ひるまずにもう一度聞いてみる。
「引っ越そうかなと思って」
「引っ越す?じゃあ、ここを出ていくってこと?」
「そうだよ」
「どうして?」
「バイクの為だよ。そっちのほうが練習場に通いやすいし」
「だけど...」
「私、もともと一人が好きなんだよ。こういうとこで、人に気を使って暮らすのって向いてなかったんだ。窮屈だし、もうこりごりなんだよ」

ルカは封筒を手に、部屋に戻っていく。


翌日、タケルは撮影現場でミスばかりしていた。ルカが引っ越す、遠くへ行くんだと思うと、何も手につかない。

昼休み、ぼんやりと撮影所の外で座っていると、
「お弁当、食べて」

ミチルが手作り弁当を渡しに来た。
「ああ、いつもありがとう」
「忙しいとつい食べるの後回しになっちゃうでしょ?でも、ちゃんと栄養とか取っておかないと体に毒だから」
弁当の中身は色とりどりの野菜が入っていて、丹精を込めて作ったのだろうと誰でもわかるものだった。でも、タケルはまったく食欲がわかなかった。
「...あとで食べるよ。今日は残ってても、もう仕事ないと思うし、ミチルちゃんは先に
帰ってていいよ」

「私じゃ、役に立たない?」

ミチルは不安げな表情を浮かべている。
「今日、タケルくんずっと変だよね。何かあるなら言ってほしい」
「...ルカが家を出ていくんだ」

どうしようかと悩んだが、タケルは正直に答えた。
「家って、シェアハウスのこと?」
「福生のほうで、ひとり暮らしするんだって」
「そんな...どうして?」
「...わからないよ、俺にも」
二人はそれぞれの思いを胸に、途方に暮れていた。

その日、オフだったルカが部屋にいると、たまたま同じ日にオフだったエリがドアをノックした。宗佑の手紙を一緒に処分してほしいという。ルカはうなずき、庭で缶の中に手紙を入れて燃やすことにした。
「いいんだよね、これで」
「うん。こんなもの、ミチルに見せちゃいけない」

エリは決心がついてなかったが、ルカはきっぱりと答えた。
「そうだよね...」

「中身は、読んだの?」

「愛してるとか、待ってるとか、そんなのばっかり」

「...やっぱりね」
「でもなあ...」

エリは小さくため息をついた。
「私は「絶対の愛」なんて信じないんだ。今まで色んな男と付き合ってきたんだけど、一時はすごくパーッと燃えたとしても、燃え尽きた後に
「なんだったんだアレ」って思うこともあって

エリは続ける。

「...だから私は「ずっと愛して」なんて言わないし、そんなこと相手に求めるの野暮だって思ってた。でも、この手紙読んでると、なんか「絶対変わらない愛」みたいなのが、この世のどこかに存在するかもって思えてくるんだよね。不思議なことに」
「バカだなあ」
「バカ?...やっぱりそう思う?」
「自分が苦しいからって、好きだ好きだって気持ちを、こんな風に叫び散らすことは愛だと思う?違うよ。自分の気持ちを抑えて相手の為に引けない愛は、愛じゃないよ」
ルカは自分に言い聞かせるように言い、「さあ、火をつけよう」とライターで手紙に火をつけた。

リビングに戻ると、ミチルが帰ってきていた。
「帰ってきてたんだ。おかえり」
「ルカ、ここを出ていくって本当なの?」

ルカが何気なく声をかけると、ミチルが真剣な顔をしてたずねてきた。

「ルカが引っ越すってことエリちゃん知ってた?」
「...え、なにそれ。ルカ、それ本当?」

ミチルからの問いかけにエリも驚いてしまう。
「うん。もう契約してきた。あさって引っ越す」
「え、すごい急だよね?どうして?」
「わけわかんないよ。みんなで仲良くやってきたのに、どうしてなの?」

エリとミチルが問いかけてくる。
「そういうのに飽きた。人と合わせるのが面倒になったんだ」
「私、ルカがいないとやっていけない。心細いよ」
「タケルがいるじゃん。エリもいるし大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないよ!」

ミチルは涙を浮かべて訴えてくる。
「大丈夫...になってもらわないと困るんだよ」

ルカはあえて厳しく、愛情をこめて答えた。
「あんたの面倒...一生見てられないもん」

その晩、ミチルは眠れなかった。リビングに行くと、タケルが台所で食器を拭いていた。タケルが持っているのはルカのマグカップだった。ミチルは見てはいけないものを見たと思い、すぐに部屋に戻ろうとしたが目が合ってしまった。
「...眠れなくて」
「ハーブティー入れようか?」
いつものようにタケルが優しく声をかけてきた。うなずいて台所へ行くと、ダイニングテーブルにミチルの手作り弁当が中身がそのまま入ったまま置いてあった。
「食べられなかった?」
「あ、ごめん。食欲なくて」
「...ルカのことが気になって?タケルくんって、もしかしてルカのこと」

ミチルの質問にタケルは答えなかった。それが何よりの答えだった。
「...そうなんだ、やっぱり。だったら私、あんなこと言わなきゃよかったな」
「あんなこと?」
「好きになってもいい?なんて言っちゃったから。困ったでしょ?ごめんね」
「別に困らないよ。ミチルちゃんが、優しい気持ちで言ってくれたのは、わかってるから」

タケルは穏やかな口調で答えたが、ミチルは胸が痛くなった。
「それにルカの気持ちは、俺にはないし」
ふたりはしばらく黙りこんだが、ミチルは沈黙を破ってつぶやいた。
「...何でルカは行っちゃうんだろうね。どうしてひとりになろうとするんだろう」

引っ越し前日、ルカは部屋の荷物を片付け始めた。
「...本当に行っちゃうんだ」
「出発明日かあ。あさってからルカの顔見れなくなるの?なんか実感わかないなあ」

エリとオグリンは寂しそう。
「大げさに言うなよ。会えなくなるわけじゃないし」
「でも福生って東京の端っこでしょう?遠いよ!」
「今夜は送別会しよう。なるべく早く帰るよ」
「私も!タケルとミチルちゃんも帰れるよね?」
エリとオグリンの問いかけに、ミチルはうなずいたが、タケルはつらさから無言でその場を立ち去ってしまう。
「ほら。エリとオグリンは仕事でしょ?さっさと行ってきな」
ルカは笑顔で強引にエリとオグリンをシェアハウスから追い出した。

明日、ルカが引っ越してしまう。タケルはミチルと一緒に仕事に出たが、その日はずっと鬱々としていた。
「お疲れさま。家で送別会の準備するね。ルカの荷作りも手伝ってあげたいし。タケルくんも一緒に帰る?」

今夜は送別会をする。でもその前に確かめておきたいことがあった。

「ごめん、今日は用事が入ってるから、別で帰るわ」
「うん。じゃあ、お先に」
ミチルを先に帰らせた。


仕事帰りにタケルはモトクロス練習場を訪ね、林田監督をつかまえた。
「林田さん?ルカが福生に引っ越すことで、何か相談を受けました?」
「引っ越し?...いや、初めて聞いた」
「何も言ってないんですか?」
監督は初耳だという。
「最近、スランプで悩んでるって...」
「それはない。いいタイム出してるよ!」
「...そうですか」
「でも、悩んでるとしたらあれだな」
「あれって?」
「聞いてないのか?変なビラがまかれたんだよ。あいつのことを中傷して、なんだかんだ書いて」
「なんだかんだって?」

監督は顔をしかめた。
「...俺もあいつが何を考えてるのか、今ひとつ分からないところがある。何でもひとりで抱え込むタイプだろ?レース前なんか、自分にプレッシャーかけすぎるから見てて痛々しくなるんだよな。他のレディースの連中みたいに、男と適当に遊んでてくれりゃ、かえって安心なんだが、あいつの場合そういうこともないからな」
「でも、林田さんが付き合ってるんじゃ?」
「え?...ああ、そうだったな」
監督は我に返ったように笑ってタケルの肩を叩いたが、様子が変だった。ふたりは付き合っていないらしい。タケルはホッとした気持ちと腑に落ちない気持ち、どちらも感じた。

監督と別れ、タケルは考え込みながら歩いた。監督が中傷のビラの内容に触れなかったのはよほどひどいことが書いてあったからに違いない。その時、更衣室のそばのゴミ箱の下からはみ出している紙くずを見つけた。その紙くずには文字が書いてある。それを疑心暗鬼になって開いてみると、そこには信じられない言葉が書いてあった。


ルカはシェアハウスで最後の荷物を段ボール箱に詰めていた。引き出しの中からシェアハウスで撮った写真が何枚も出てくる。高校時代のルカとミチルの写真、タケルとオグリンも一緒にバーベキューしたときの写真、エリとルカを見て微笑むタケルの写真、そして肩を並べて微笑んでいるミチルとタケルの写真。ルカはかすかに笑みを浮かべ、そして丁寧に段ボールに詰めた。


台所に出ると、マグカップが残っていた。マグカップはミチルとの再会のキッカケだった。そしてタケルとの出会いとのキッカケでもあった。ルカはマグカップと一緒にモヤモヤした気持ちも段ボールに詰めた。

引っ越し屋のトラックに段ボールを積み込んでもらっていると、ミチルが買い物袋を両手に下げて帰ってきた。
「今日、荷物運んじゃうの?」

ミチルは驚いている。
「うん。私も今日、出ていくよ」

ルカは、できるだけあっさりと言った。
「え?だって送別会...

「送別会なんて、うざったくて嫌なんだよ」
「それでわざと、明日って言ったの?」
「本当は、誰にも気づかれないで出ていきたかったんだけどね」

苦笑いを浮かべ、もう行くよと言うと、ミチルは駅まで送ると言った。ボストンバッグを肩に下げ、ルカは駅までの道を並んで歩き始めた。

「この公園で、雨に濡れている私を、ルカが見つけてくれたんだよね」

井の頭公園にさしかかり、ステージが見えてくると、ミチルは歩調を緩めた。

「あの日、ルカに会えてなかったら、私は今ごろダメになってた。宗佑のところを出る決心がつかなくて。ルカの言った通り、私も一人でやっていけるようになろうと思う」
「二度とあいつのところに戻っちゃダメだよ」

少し心細げにつぶやくミチルにルカは力強く言った。
「うん」
「ミチルには、もっとふさわしい男がいるよ。タケルだっているし」

ミチルはその言葉にうなずかなかった。
「あ、コーヒー屋さんが出てる。飲んでいかない?」
「うん、いいよ」

これを最後の思い出にしよう。ルカはミチルに笑顔で答えた。

タケルがシェアハウスに帰ると、誰もいなかった。

「ルカ?」

部屋をのぞくと、段ボールがすっかりなくなっている。
「...嘘だろ?

あまりのショックを受け、彼は頭を抱えた。すると、机の上に一通の封筒が置いてあるのに気づいた。見てみると、「タケルへ」と書いてある。タケルはそれを開けて読み始めた。


タケルへ

私は引っ越し先で 半年ほど過ごしたら

海外に行こうと思っています

向こうで ある手術を受けたいと思っています

タケルにだけは 本当のことを伝えておきます

タケル? 好きだって言ってもらえて うれしかったよ

あのとき 打ち明けておけばよかったんだけど

勇気がなくて 言えなかったんだ

好きだなんて言われて びびったよ それで欲が出た

タケルに 幻滅されたくなかったんだ

面と向かって言うのは やっぱり怖い

だから手紙に書くことにしました

私は 今まで 自分に嘘をついて人と接してきた

でも タケルは 私のこと 好きだって言ってくれた

初めての人だから 私に 心を開いてくれた人だから

だから あなたに嘘はつけない

タケル? 本当の私は...


ルカが手紙を書くのをためらっているのが文字を見ているだけでも分かった。タケルはそしてシェアハウスを飛び出し、ルカのもとへ走っていった。

「じゃあ、私そろそろ行くね」
ミチルとルカはコーヒーを飲み終え、歩いていると公園の出口まで来てしまった。
「ここまででいい。ただの引越しなのに駅まで見送られんの、なんか感じ出すぎちゃうからさ。じゃあね、ミチル」
ルカはあっさりと言った。
「...うん。頑張ってね」
ミチルが出した手を、ルカが優しく握り返してくる。ミチルはその手をどうしても離すことが出来なかった。でも、ルカはそっと自分から手を抜き、ミチルに笑顔を向け、ボストンバッグを肩に下げなおして駅のほうへ向かっていく。

「ルカ!」
その時、タケルの声がして、ミチルとルカが振り返ると、タケルが全速力で駆け込んでくるところだった。
「行くな、ルカ!」

タケルは荒い息をしながら叫んだ。
「手紙は読んだ!気持ちはわかった!なんで俺にこたえられないって言ったかも。...でも、それでも俺は、ルカ
が好きだ!」

タケルは人目もはばからずハッキリと告げた。
「人間としてか、女としてか、どっちかなんて聞くなよ?俺にもよくわかんないんだから!でも、俺はルカを支えたい!」

彼の目は真剣だ。ルカは黙って聞いている。

「ルカがどんなふうに変わっていくとしても、それをそばで見続けたいんだよ!ルカを見失いたくないんだよ!」
タケルの言葉を聞いて、ルカの目に涙があふれてきた。あふれる涙を拭いもせずに立ち尽くすルカに、タケルはゆっくりと近づいていった。そして、ルカの肩を抱きしめた。抱きすくめられたルカは、タケルをしっかりと抱き返し、声を上げて泣いた。


そんな二人を見て、ミチルの目にも涙がにじんでいた。

私は その時 ひとつの愛が生まれたのを見たと思った

ルカ? 私は あなたのことを知らなかった

こんなにも好きな あなたのことを
 
(参考・どらまのーとドラマレビュー)