お待たせいたしました。早くも第7話です。これまでのあらすじはカテゴリ内で閲覧できます。先日アマチュア作家の方から返事をいただきました。第8話はあした掲載予定です。
ラストフレンズ
ルカは自分がこれまで隠してきたことをタケルに打ち明けようとしたが、タケルから「その前に俺も話しておきたいことがある」と言われ、「ルカのことが好きだ」と告白を受けた。
ルカはあまりに突然のこと過ぎて、混乱してしまう。
「俺、めったに人を好きにならないし、この気持ちは揺るがないって自信がある。だから、何でも安心して打ち明けてほしいんだ」
タケルはルカに訴えかけた。
「俺は、君の味方だから」
「...ごめん」
ルカはようやく口を開いた。
「タケルの気持ちには答えられない。私...」
ルカは黙り込んでしまう。
「他に、好きな人がいるから?」
ルカはこくりとうなずいた。
「...そうか」
「ごめん」
「...いいよ。いいんだ。わかってた」
タケルは薄ら笑いを浮かべ、目をそらした。
ルカは沈黙に耐えられなくなり、歩き出した。
タケルに呼び止められた。
「...話はまだ途中だろ?俺に打ち明けたいことが、なんかあるんじゃないの?」
「ああ。それはもう...」
今の話を聞いた後に言える話ではなかった。でも何か言わないと、ルカは必死に話を探し、
「ミチルのことだよ」
なるべくあっさりと言った。
「ほら、私最近、すぐにイライラしてミチルにあたっちゃっただろ?ミチルは私を頼ってくれるのに、なんか私、すぐカッとなって。だから、タケルが優しくしてやってよ。私の分も」
「...うん」
「好きになってやって」
「俺は好きだよ、ミチルちゃん」
「もっとだよ!もっと好きになってやって」
「...どういう意味だよ?」
「ミチルは寂しがりやだから、誰かが支えてやんなきゃダメなんだ。だから、タケルが支えてやって」
ルカの言葉にタケルは釈然としない表情でうなずいた。
二人はシェアハウスに戻り、タケルがホッとしてドアノブに手をかけると、ルカが呼びかけてきた。
「私たち、これまで通りだよな?今まで通り付き合えるよな?」
ルカの真剣な目に気圧され、タケルはうなずいた。それを確認し、ルカは安心した様子で玄関のドアを開けた。
「あー、もうやめてよオグリンったら」
「オグリンじゃないよワリオだよー」
すると、エリとオグリンの声が聞こえてきた。何をしているのかとリビングをのぞくとエリとオグリンとミチルがWiiのマリオカートで遊んでいた。
「ミチルちゃんもやってみ?ほら、こうやって...」
エリに言われてミチルがゲームに挑戦する。
「夜中に何やってんの?」
ルカがエリに聞く。
「観に行った映画があまりにもつまんなかったから、アキバ行ってつい出来心で買っちゃったんだよね」
「もうねだられちゃって。エリちゃんたら強引なんだからホントに」
「いいじゃん、みんなで楽しめるんだから固いこと言わないの」
「あ、そうだ!今日ね、なんと福引きがあたったんだよね!ジャーン!東武動物公園のタダ券六枚!」
オグリンが券を見せてニコニコしている。
「みんなで一緒に行こうよ!タケルもミチルちゃんも一緒に!」
エリが嬉しそうに聞いてきた。
「あ...うん」
ミチルが遠慮がちにルカを見た。
「いいんじゃない?みんなで行こうよ。な、タケル?」
「....うん」
ルカの勢いに圧倒されてうなずくしかなかった。
「たまにはパーっとやろうよ。このメンツで出かけたことって今までなかったからさ」
ルカは明るく言った。
「あ、そういえばそうだね!」
「そうだね。楽しいかもね」
オグリンとミチルが微笑む。
「あ、でも五人しかいないね。あと一人どうする?」
エリがたずねる。
「誰かいるだろ、そんなの」
ルカはぶっきらぼうな言い方をし、
「ねえねえ、これやらして!」
オグリンのリモコンを奪い取り、自分もゲームをやると言ってはしゃぎ出した。そんなルカをタケルは切ない眼差しで見つめていた。
君の重荷になっちゃいけない
傷ついた顔を 君に見せちゃいけない
ルカ? でも君も 同じことを思ってたんだよな
東武動物公園へ出かける日、ルカはシェアハウスに林田監督を連れてきて、みんなに紹介した。人数合わせで監督を誘ったのだ。
「監督さん、ですよね?」
「えー、このたび我々めでたく付き合うことになりまして」
驚いているエリに監督が言った。
「あ、ルカがずっと好きだった人?」
ミチルに言われ、ルカは一瞬キョトンとしたが、そういえばそんなこと言ったっけなと思い出し、
「ああ...そうだよ」慌てて答えた。
「へー、ルカってこういう男の人と付き合ってるイメージなかったけど。そうなんだ意外だね!いいんじゃない?体育会系どうし」
「うん!大人だしね!」
エリとオグリンはニコニコうなずいた。
「ずっと、バイク教わってた人だもんね」
ミチルも納得したように言った。
「そんなこといいじゃん!さ、行こ行こ!」
ルカはいたたまれなくなり、みんなを促した。
東武動物公園に到着した。タケルはひどくショックを受けていたが、その感情を表面に出すことも出来ずに最後尾を歩いていた。先頭を歩くルカと監督の姿を見ると、つらくて仕方がなかった。目が合っては視線をそらす、そんなことの繰り返しだった。
その時、視界に知っている顔が見えた気がした。タケルは目を凝らす。着ぐるみのマスコットと握手している息子を見守る母親の姿が見える。その母親は姉の優子だった。優子は息子を抱きかかえ、着ぐるみのほうを見ながら息子に頬ずりした。
タケルは激しく動揺しながら、みんなの後をついていく。このままだと姉と出くわす。だんだん距離が近づいていった時、優子がタケルに気づいた。しかし優子は次の瞬間、何事もなかったように息子をあやし始めた。
優子の姿を見ると吐き気がした。タケルはとっさにトイレに走った。吐いた後、気持ちを落ち着かせようと外の空気を吸っていると、
「大丈夫?」ミチルに声をかけられた。
「...なんだろう?ちょっと、貧血かな」
どうにか取り繕おうとする。
「ベンチで横になったほうがいいよ」
「...大丈夫だよ」
タケルはまだ気分が悪かった。ミチルが優しく彼の背中をさすってあげた。
「あれ?タケルがいない。ミチルちゃんもだ」
エリが声を上げた。
「ほんとだ」オグリンもキョロキョロしている。
「どうする?」エリがルカにたずねてくる。
「...いいよ、ほっとけば。二人とも子どもじゃないんだし、案外上手くいってるかもしれないじゃん」
わざとぶっきらぼうに答えた。
「...え、え?何?そういう設定ありなの?」
オグリンは驚いている。
「私あれ乗りたいな!乗ろうよ一緒に!」
ルカは無理やり監督をジェットコースターのほうへ引っ張っていく。
エリとオグリンもジェットコースターの乗り場に来た。
「うわー、怖そうだなあ。俺、大人になってからジェットコースター乗るの久しぶりだよ。エリちゃん、いちおう記念撮影しとこうよ」
オグリンが携帯でエリとの写真を撮り始めた。
「もー、そんなガキみたいにはしゃがないの。それに、不倫の証拠写真残すようなことしてどうすんの?」
「...不倫?あんまり、そんな風に思ったことなかったけど」
「離婚の裁判とか調停になったとき不利だと思いますけどね?」
慌ててオグリンは写真を削除しようとしたが、エリは「別にいいよ」と微笑んだ。
「お待たせ。今日は彼氏だからな」
監督が売店でコーヒーを買ってきてくれた。ジェットコースターを降りた後はエリたちと二手に別れた。
「すみません、付き合ってるフリしてくれだなんて」
ルカは恐縮してしまう。
「まあ、たまにはこういうところでお前と会うのもいいかもな。デートみたいで!」
「...そんな、大げさですよ」
笑う監督にルカはぎこちない笑顔を返した。
家に帰るというタケルに、ミチルは付き添ってくれた。リビングでコーヒーがドリップするのを待っていると、
「遅いね、みんな。どっかで外食でもしてくるんだよね、きっと」
ミチルがそわそわと玄関のほうを見る。
「ごめんね。ミチルちゃんまで俺に付き合って、帰ってくることなかったのに」
「いいのいいの。私、ああいう上がったり下がったりする乗り物とか苦手だし」
笑っていたミチルが突然、真剣な顔をして話してきた。
「タケルくん?もし何かつらいこととか、悩んでることとかあるんだったら、言ってね」
「...ミチルちゃん」
「私は、タケルくんに助け出されて、みんなに助けられて、ここにいるんだもん。もしタケルくんが困ってるなら、私も役に立ちたい。寂しい時はそばにいてあげたいし」
「ありがとう」
タケルは心から言った。
「...ただ、今日は本当に疲れただけなんだ。このところ仕事も詰まってたから」
「...そっか。あ、コーヒーできたね」
ミチルが食器棚から自分とタケルの分のマグカップを出そうとしたときに、みんなが帰ってきた。
「ただいま!」「疲れた!」
ルカがソファに飛び込んできた。
「みんなあの...先に帰っちゃってごめんな」
「ああ、いいよ別に」
ルカはそう言いながら、ジャケットを脱ぎ捨てた。
「あれ?ご飯食べてきてないの?」
「ミチル抜きで外で食べたりしないよ」
ミチルの問いかけにルカが答えた。
「なんか盛り下がっちゃって、やっぱり家に帰ろってことになったんだよね」
オグリンがそう言い、ソファに座った。
「はい、おみやげ!」
エリが箱をテーブルに置いた。
「ミチル、開けてみて」
箱を開けてみるとケーキが入っていた。上に乗っている飾りのチョコレートのプレートに大きく、
おかえり MICHIRU
と書かれていた。
「おかえり、ミチル」
ルカが微笑む。
「ルカが、今日はミチルちゃんの歓迎会にしようって」
「ごたごたしちゃってて、歓迎会やる時間なかったから、きちんとお祝いしたかったんだ」
ルカがミチルに心を開いたことが、タケルにも嬉しい。
「まあ...そういうことなんだ」
「これからもよろしくね!」
エリとオグリンが微笑みかける。
「ありがとう」
ミチルは感極まって泣いてしまう。
「...私ね、ずっと、ひとりになるのが怖かったの。ここにいていいんだよって、そばにいる人に、言ってほしくて」
「なに言ってんだよ。泣くなよミチル」
「そうだよ。逆に、私らに愛想尽かさないでね!」
ルカとエリが微笑む。
「とりあえず、コーヒー入れるね」
タケルが台所へ向かう。
「出ました!タケルのコーヒー!」
「コーヒー師匠!お願いします!」
タケルはエリたちの冗談に笑みを浮かべ、人数分のコーヒーを入れ始めた時に、
「おーい、買ってきたぞ!キッチンマカロニ屋のデラックス洋食弁当六人前!」
監督が戻ってきた。
「どうぞ座ってください。お疲れ様!」
エリが監督を招き入れた。
「人使い荒いよな岸本は。大先輩をパシリみたいに使うなよ」
「お疲れ様です。コーヒー入れますから」
ルカはタケルのいる台所へ来て、
「借りるね」
タケルのマグカップを監督のところへ持っていった。元々はルカが買ったマグカップをタケルが修繕して、ふたりが出会ったきっかけになったものだ。
「ありがとな」
そうとは知らずに出されたコーヒーを飲む監督を見て、タケルは胸がえぐられる思いがした。
夜中、ルカは自分の部屋でノートパソコンに向かい、性同一性障害についての情報や、手術の出来る病院などを調べていた。
ノックが聞こえ、ルカは慌ててパソコンを閉じた。
「今、いい?ルカ?」ミチルの声がしたので、
「どうした?」ドアを開ける。
「...私ね、宗佑と話す。きっぱり別れるって話すね。今だったら、言える気がするんだ」
「でも...会って話すつもりじゃないよな?」
さすがに不安だった。もし何かあったら...
「大丈夫だよ」
「エリか私が電話したほうがいいんじゃない?」
「ううん。一人で大丈夫。何でも人にしてもらってるようじゃダメなんだよ。私が自分で、きちんとケジメつけないと」
ルカはミチルの思いを汲み取り、優しくうなずいた。
翌日、ミチルはマンションまで行き、ベランダを見上げながら電話をかけた。
「もうすぐ帰ってくるんだね」
宗佑がたずねてくるが、ミチルは返す言葉が見つからなかった。
「帰ってくると思ってたんだ。君のいる場所は、ここしかないから」
たたみかけるように言ってくる。
「...宗佑?私、宗佑と別れようと思う」
ミチルは振り絞るように言った。彼は絶句してしまう。
「別れたいの」
「連中に洗脳された?」
「...連中って?」
「シェアハウスの連中のことだよ。やつらはそりゃ、色々いい事を言うだろうね。でも所詮は他人だ。君を最後には見捨てる連中だ」
「宗佑は違うの?」
「僕は死ぬまで君を見捨てない」
「...私ね、宗佑といると、自分がなくなっちゃう。宗佑のことで、いっぱいいっぱいになって、自分のことを考えられなくなるの」
「それでいいんだよ。僕も君の事で頭がいっぱいだよ」
「それでいいと思ったこともある。でも、違うと思う。私はもっと自分の頭で考えて、自分の人生を生きたいの」
「言ってることわかんないよ。こんなに君を大切にしてるのに」
「宗佑は私を殴るよね。どうしてなの?」
思わぬ質問に宗佑は言葉に詰まってしまう。
「私を自分の思い通りにしたいから?私より自分が大事だからなんじゃないの?」
こんなこと言うのはつらかった。でも言わなくてはいけない。必死に言葉をつむいでいく。
「違うよ」
宗佑はハッキリと答えた。
「君とひとつになりたいんだ」
「...ごめん。私も宗佑が言ってること、わかんない」
「ちょっと待ってよ」
「ごめんね」
「ちょっと待って!」
「...さようなら」
ミチルは電話を切り、マンションに背を向けて歩き出した。込み上げる感情をおさえながらひたすら歩き続けた。
男のようないやらしい目で 親しい女のことを見ている
ゆがんだ精神の持ち主です
「おい、何だこれ」
監督に声をかけられたルカは、無言で紙をはがし、更衣室に入ろうとしたが監督に腕を掴まれた。
「何なんだ、これは」
「知りませんよ」
「誰がやったか心当たりはあるのか?」
「たぶん、友だちのミチルの元カレです。そいつ最低のDV野郎なんですよ。私がミチルとの仲を裂いたって逆恨みでもしてるんじゃないですか?」
「じゃあ、これは全部、嘘なんだな?」
監督はルカの腕を掴んだまま真意を確かめようとする。
「...そんなこと信じるんですか?」
ルカはあえて毅然とした態度に出た。
「いや。信じないけど...」
考え込む監督を降り切って、ルカは更衣室へ入っていき、そのままシャワー室へこもった。思い切り栓をひねり、頭から水を浴びながらライダースーツを着たまま号泣していた。悲しくて、悔しくて、苦しくて...この気持ちをぶつける場所がない。
ミチルはシェアハウスの帰り道で、美容院の先輩と久しぶりに会った。
「男と暮らしてるんでしょう?いいよね、それで生活出来るんなら」
先輩はすれ違いざまに嫌味を言ってきた。ミチルは何も言うことが出来なかった。
会社の喫煙室でオグリンがタバコを吸っていると、エリが入ってきた。
「小倉さん!」
「エリちゃん?どうしたの?」
「いちおう職場では敬語で話そうと思いまして」
「...そう」オグリンはタバコを灰皿に押し付けた。
「明日、コンサートのチケットが手に入ったんですけど、どうします?サザンですけど」
「...あ、ごめん。明日、残業の予定入っちゃってて」
「そう。ま、いいけど。友達誘って行きますわ。じゃ、また後ほど」
エリは自分の部署へ戻っていく。
仕事が手につかず、宗佑はいつもの公園でぼんやりブランコに乗っていた。すると、直也くんが宗佑を見つけて近づいてくる。
「今日はパンないの?」
「...ないよ」
直也くんはガッカリしたような顔をした。
「お母さんは?」
「まだ帰ってこない」
「いつからいないの?」
「覚えてない」
宗佑は直也くんを連れて彼の家を見に行った。鍵の開いた無用心な玄関から中に入ると、室内は空き缶やカップラーメンの容器などが散乱し、荒れ放題だった。
「うちにあるものは全部食べちゃった」
そうつぶやく直也くんを、宗佑はマンションに連れて帰り、カレーを作ってあげた。
「美味しい?」
「うん!」
直也くんはカレーを美味しそうに食べている。
「お兄ちゃんのお母さんは?」
「いないよ。ずっと前から」
「結婚してるの?」
「してない。でも、彼女はいた」
「いなくなっちゃったの?」
「...うん」
「さみしい?」
「さみしくないよ」
「なんで?」
「だって、彼女はまた戻ってくるから」
宗佑は直也くんに笑いかけた。
「ただいま」
タケルが仕事から帰宅すると、家の中は真っ暗だった。リビングの電気を点けた時に、玄関が開いた音がした。振り返るとルカだった。ルカはタケルから目をそらして自分の部屋へ入っていく。
「ルカ、何があったの?」
タケルはドアを叩いた。
「この前話してくれたこと、あれで全部じゃないよな?」
部屋から応答はない。
「なにか悩んでるなら言ってほしい。俺には何でも言えるって、いちばん安らぐって、そう言ってくれたじゃん。俺は君の味方だから。そうだろ、ルカ?」
タケルはルカの気持ちを解きほぐそうと必死だったが、ルカの部屋からドアに何かが投げつけられた音がした。
「うるせえんだよ!」
ルカの叫び声が聞こえてくる。
「...人の悩みにいちいち首つっこむんじゃねえよ。味方味方って。人にはな、死んだって言いたくないこともあるんだよ!」
あまりに激しい拒絶に、タケルはうなだれてドアの前から離れた。
全身の力が抜け、タケルはベッドに倒れ込んだ。そしてそのまま眠ってしまい、ある夢を見た。
「タケル?タケル?」
どこかで優しい声がする。
「お姉ちゃん!」
幼い頃のタケルは、姉の優子を探していた。どこかきれいな花畑のような場所で、優子のスカートが見え隠れしている。タケル少年はそっちへ走っていった。
「タケル、こっちこっち」
笑いながら逃げていた優子は途中で振り返り、足を止めた。タケル少年が胸に飛び込んでいくと優子はぎゅっと抱きしめた。
「タケル?お姉ちゃんが、いいことしてあげようか」
「わーい」
「お父さんには秘密だよ」
甘い香りとやわらかい肌が...そこでタケルは目が覚めた。
鏡を見ると目に涙がこぼれていたので、指でぬぐった。すっかり目が覚めて、眠れそうになかった。お茶でも飲もうとリビングに行くと、ミチルがダイニングテーブルで泣いているのが見えた。タケルはかける言葉が見つからず、黙って部屋に戻った。
翌朝、朝食の時間はルカが黙り込んでいるので重苦しい空気が漂っていた。ルカが食事を終えて立ち上がる。
「もういいの?」
タケルは声をかけたが、ルカは無視して食器を片付けている。
「どうしたの?」
エリは驚き、オグリンも心配そうに見ている。
「ルカ、何かあったなら、言ったほうがいいよ」
ミチルは思い切って声をかけてみる。
「みんなで考えてあげられることかもしれないし」
ルカはみんなを見回して口を開いた。
「...今、スランプなんだ。練習でいいタイムが出せない。それだけだよ」
「本当に?」
「ああ、そうだよ」
「今までも何回かあったもんね。大丈夫だよ、また乗り越えられるって」
エリが安心したように言う。
「あ、こんな時間だ。エリちゃん行かないと!」
「うん。ごちそうさまでした!」
エリとオグリンがバタバタと出勤していく。
「私、練習まで時間あるから寝るわ」
ルカはソファでクッションを顔の上に乗せて仰向けに寝転がった。
「昨日、練習がハードだったから疲れてるんだ」
あまりにぞんさいな態度のルカにミチルは、
「私、宗佑と別れたよ」
話を切り出してみた。
「ちゃんと、さよならって言えたんだね」
返事をしたのはタケルだった。
「言えた。ちゃんと、別れられたよ」
タケルの顔を見ながら、本当はルカに言っていた。
「今度こそあきらめてくれるといいね。...ルカ、聞いてる?」
タケルがルカに問う。
「...聞いてる。よかったんじゃない?」
ルカはクッションをどけて起き上がり、「練習行くわ」と出かけていった。
ミチルは洗い物を始めた。タケルは手伝おうと台所へ向かう途中に、ソファの上にルカの携帯があることに気づいた。いつもは追いかけて届けてやるが、今はそんなことのできる雰囲気ではなかった。
「昨日の夜、泣いてた?」
タケルはミチルに声をかけた。
「彼のこと思い出して?」
「...なんでもわかっちゃうんだね、タケルくんは」
ミチルは洗い物をしながら話を続けた。
「宗佑のことを考えると、絶対に戻れない、綺麗な懐かしい場所を思い出しているみたいに悲しくなる。変だよね。本当は地獄だったのに」
「...わかるよ」タケルは言った。
「わかるの?」
「俺にも、そういう経験あるから。大好きだったのに、あとで大嫌いになった人がいる」
タケルの言葉にミチルは驚いて振り返った。
「大丈夫だよ。きっと、少しずつ変わっていく。他に好きな人もできて、友達もできて、まぎれていく。心に傷が残っても、自分でなだめられるくらい、小さくなるから」
タケルは自分に言い聞かせるように言った。タケルの顔を見つめていたミチルは、そっと寄り添い、タケルの胸にもたれてきた。
「...タケルくん。好きになってもいいかな?」
ミチルの口から出てきたのは意外な言葉だった。
「タケルくんのこと、好きになってもいいのかな」
もう一度たずねてくる。タケルは嫌悪感に包まれていた。決してミチルが嫌いなわけではない。自分の中で激しく葛藤していたタケルは、ためらいつつもミチルの肩にそっと手を置いた。これが今、精いっぱい出せる気持ちだった。
タケルの胸に顔を寄せ、ミチルは肩に手のぬくもりを感じながら幸福感に浸っていた。このままタケルの優しさに包まれていたいと目をつぶった瞬間に外からガタンと音がした。
「...ルカ?」
二人はビクッとしてリビングを振り向いた。ソファを見ると携帯がなくなっていた。ルカがいたことに気づく。
ルカはドキドキしながら携帯を手に外に出ていった。寂しかったが、もしあの二人が幸せになってくれるのなら、ミチルが幸せになってくれるのならそれでよかった。だって、タケルに「ミチルのこと好きになってやって」と言ったのは自分自身だから。
動揺して鉢植えを蹴って倒してしまった。でもそれを直すゆとりもなく、ルカは自転車にまたがり、どこかへ向かっていく。
その頃、宗佑は直也くんを家に送り届けるために手をつないで歩いていた。自宅近くまで来たところで踏切にさしかかる。カンカンと警告音が鳴ったので止まっていると、踏み切りの向こうで直也くんの母が男と一緒に歩いていることに気づいた。
「ママ!」
突然、直也くんは声を上げて、遮断機をくぐって母のもとへ向かおうとする。電車が轟音ともに突っ込んでくる。
「危ない!」
宗佑はとっさに彼を守るために、線路内へ飛び込んだ。
ミチルは気が詰まって外に出た。すると、玄関脇の鉢植えが倒れているのが目に入ってきた。花が無惨に散っているのを見て、なぜかゾクゾクと体が震えるのを感じていた。
人と人との絆は ほんとうに儚くて
愛は 淡雪みたいに こわれやすい
あの時 私がルカといられる時間
私の幸せの残り時間は 思ったよりずっと少なかった
(参考・どらまのーとドラマレビュー)