お待たせいたしました。早くも第5話です。これまでのあらすじはカテゴリ内で閲覧できます。なおこの作品は12回に分けて作成しています。


ラストフレンズ

第5週 - 想いつづける者たち -

朝、ミチルはゴミを捨てに行ったときにびしょ濡れのスーツを着た宗佑を発見した。一晩中雨の中、シェアハウスの前でずっとミチルを待っていたという。宗佑は「君を待つのはつらくない」と泣きながら見つめ、ミチルは考えるよりも先に彼を抱きしめていた。その光景をルカが見てしまう。


ミチル あなたはいつか 私に言ったよね

人は 人を傷つけて 無傷ではいられない と

ミチルとあいつのことを 引き裂こうとして

傷ついていたのは 自分だった

ルカは黙って後ずさり、家に戻ってきた。玄関先でぼんやりしているとタケルが出てきた。

「おはよう...あれ?ゴミ袋ないけど」

「今、出した」

なんとか答え、タケルと一緒にリビングに戻ると、エリとオグリンが起きてきた。

「ミチルちゃんは?」

タケルの問いかけに答えられずにいると、ルカの携帯が鳴った。

「ルカ?あのね、これから美容室行ってくる」

ミチルからだった。

「店長さんにはお世話になったし、このままズルズル辞められないから。一回顔出さなきゃと思って」

「そう...これから行くんだ」

「すぐ戻るから心配しないで」ここで電話が切れた。

「何?ミチルちゃんから?」エリが聞いてくる。

「うん。美容室に挨拶しに行ってくるって」

ルカはつらかった。


タクシーでマンションに戻ったミチルは寝室で宗佑を着替えさせてベッドに寝かせた。体温を測ってみると、39度1分あった。
「やっぱり熱がある。一応薬あるけど、あとで必ず病院行ってね。鍋におかゆ作ってあるから食べてね」

カバンを持って部屋を出ようとする。
「行かないで」
ミチルの腕を宗佑が掴んでくる。
「行かないで、ミチル」
「帰らなきゃ」
「帰るの?ずっとここにいて」

彼は手を離そうとしない。
「...ダメだよ。私はもう宗佑と一緒にはいられない。また同じことの繰り返しになる」
こんなことは言いたくなかったが、心を鬼にした。
「もう二度としないから」

彼が涙目で見つめてくる。
「...宗佑、我慢のできる人になって。私とずっと一緒にいたくても、仕事場の前で待ったり、マンションの前で待ったり、友だちを待ち伏せしてつけたり、そういうことをしないでいられる人になって」

ミチルは涙ぐんでいた。
「そしたら、私はいつか宗佑のところに戻ってこられる。...お願い」

マンションを出て、美容院を訪ねた。店長に詫びを入れたが冷たいもので取り合ってもらえない。
「何日も休んで、ご迷惑をおかけしました」
「辞めるならどうぞご自由に。さっさと帰りな」
「すみません...私、働きたいんです。またここで働かせてください」
店長は呆れて何も言えない。
「何でもしますから。もう迷惑をかけるようなことは一切言いませんから」

その日、ルカは練習でガムシャラに飛ばした。するとコースアウトして地面に叩きつけられた。

「慎重に走らんか!怪我したら元も子もないんだぞ!」

林田監督に怒られたが、それでもなかなか気持ちを静めることが出来ずにいた。


ルカがシェアハウスに帰ってきた。
「ただいま」
疲れ果てて仮眠しようとリビングに行くと、タケルが食器類を全部並べて磨いている。

「これ、どうしたの?」
「ああ、おかえり。暇だったからみんなの食器、磨いてた。けっこう茶渋とかついてるんだよね」
「へえ。サンキュ」
「ルカ、おかえり」

部屋からエリとオグリンが出てきた。
「あれ、ミチルは?」
「まだだよ。美容室に挨拶に行ったきり」

タケルが答える。
「ね、やっぱりその美容室で彼に連れていかれて...」

オグリンが突然そんなことを言うので「ちょっと!」エリが腕をつねった。


その時、ミチルの「ただいま」という声がした。
「おかえり。今日の晩ごはんはシチューでいい?」

「おかえり。あ、そうだ!晩ごはん出来るまでみんなでトランプしようよ。ミチルちゃんもどう?」

タケルとエリが穏やかに迎える。
「美容室、ずいぶん手間取ったね」

ルカはついトゲのある言い方をしてしまう。
「ごめんね、ルカ。私やっぱりもう一度あそこで働く事にしたの」

店長に頭を下げ続けて、なんとか美容師の仕事を継続することが出来た。
「でも、それってあいつの知ってる場所でしょ、危なくない?」

エリがたずねる。
「自分さえしっかりしていれば大丈夫だと思う。もう宗佑の言いなりにはならない」
「え、でも...どうなの?それって」

エリがルカの顔を見る。
「ミチルちゃんがそう思うなら、それでいいんじゃないかな」
タケルが口を開いた。
「ミチル、本当に大丈夫?」
「うん。心配しないで」

ルカの問いかけにミチルは微笑みかける。
「ミチルちゃんに鍵、渡しておくね。今日からミチルちゃんもこのシェアハウスの一員ってことで...OK?」

エリがシェアハウスの鍵を渡す。
「OKです!よろしく」
「よろしくね!」エリが微笑む。
  


美容院に復帰したが、仕事は雑用ばかりだった。片付けを終えて警戒しながら店を出ると、宗佑の姿はなかった。携帯にも着信やメールもなかった。ホッとしたような寂しいような、そんな気持ちで道に出ると、突然バイクが目の前を通った。びくっとして足を止めるとそれはタケルだった。
「お疲れさま」
「わざわざ迎えに来てくれたの?」

「ボディーガード代わりかな、ルカに頼まれたんだ。それに今夜、ルカの実家でパーティーするんだって。だから仕事帰りにミチルちゃんとこ寄って連れてきてって言われまして」
タケルはミチルを後ろに乗せて、ルカの実家へ向かった。

「こんばんは、お久しぶりです」

ベルを押して、ルカの実家のドアを開けると、
「久しぶりね、ミチルちゃん。まあ綺麗になって。どうぞあがって。美味しいごちそうが待ってるわよ」

母の陽子さんが出迎えてくれた。ミチルにとって陽子さんは理想の母親像であった。
「美味しいごちそうとかあんまり自分で言わないんだよ普通」

ルカが母の隣で微笑んでいると、
「こんばんは」

ミチルの背後からタケルが遠慮がちに顔を出した。
「あなたがタケルくん?カッコイイのねえ。もしかしてミチルちゃんの彼氏?」
「いえ、違います」
「違いますってことは...」

タケルが答えると母はルカの顔を見た。
「どうでもいいからさ、ね!早く食べよう」

テーブルには豪勢な料理が並んでいた。
「すごいですねえ。これ全部お母さんが作られたんですか?」
「料理教室で覚えたての洋食みんなに食べさせたくてしょうがないみたい!」

タケルの問いかけにルカが微笑みながら答える。
「味の保証はしかねますがね。ぜひ食べてください」
「あら、岸本さんは筋がいいって褒められたのよ」

両親のやり取りを聞いてミチルが微笑む。
「エリとオグリンも誘ったんだけど、今夜は映画デートなんだって」
「そうなんだ」
「今、ローストビーフ出すからちょっと待っててね」

「私、手伝いますよ。何でも言ってください」

ミチルが台所へ行き、母を手伝いに行った。
「ミチルちゃんはほんとによく気がつくし女の子らしいのよね。ルカに爪のアカ煎じて飲ませたいくらいだわ」

母の言葉がルカの胸に突き刺さる。
「僕も手伝います。いい香りですね。ローズマリーですか?」

すかさずタケルも立ち上がった。
「あら、わかる?料理得意なの?」
「ええ。仕事がらみで料理は多少勉強しました」
「違うのね、最近の男の子は。ルカ、少しはあなたも見習いなさいね」
「もうどうでもいいからさ、早く食べようよ」
「その乱暴な言葉づかい、いい加減直しなさいよ。お嫁に行ってから困るわよ」
「嫁になんか行かないし」
「失礼ねえ。連れてきた人の前で。そんなそっけないこと言っていいの?ごめんなさいね」

母は完全にタケルを娘の恋人だと勘違いしている。その様子を見てミチルがルカに笑いかけてきた。ルカはもうこの際そういうことでいいと苦笑いを浮かべた。



その頃、エリとオグリンは目黒のとあるマンションに来ていた。オグリンが奥さんと住む家である。
「どう?行けそう?」
「...うん。行くよ。行かなきゃな」
ゆっくりと深呼吸してみる。
「離婚届も印鑑も持ったし、ちゃんと話つけてくるよ」
「うん。じゃあ頑張って」
オグリンがマンションに乗り込む。



食事が終わり、ミチルたちはルカの両親と談笑していた。

「家に男連れてくるの初めてで、岸本家の今年いちばんの大事件!」

ルカの弟の省吾がルカの肩を叩く。

「大げさだって!」ルカが微笑む。

「タケルさん、うちの姉ちゃんは超個性的だけど今後ともよろしくお願いします」

「うん、わかったよ」

タケルが省吾の頭をなでた。
「でも、久しぶりで本当に楽しかったです。昔よく、お夕飯ごちそうになりましたよね。ルカの部屋で試験勉強してて遅くなっちゃって」

ミチルが両親と話している。
「ねえ、もう遅いからミチルちゃん泊まっていけば?」

母が言ってくる。父も「遅いからそうしなさい」と言っている。
「そうしなよ」ルカも言っている。
「でも、迷惑じゃない?」
「ううん。全然!タケルもよかったら泊まる?」
「いや、俺は帰るよ。あとは二人で楽しんで」

タケルは母がタッパーに詰めてくれた料理を持ってシェアハウスに帰っていく。


オグリンがマンションに乗り込んでから一時間以上過ぎても帰ってこない。エリが苛立って腕時計を見ながら近くの公園でタバコを吸って時間を潰しているとオグリンから電話が入った。
「ごめん。やっぱりすぐに話終わらなくて」
「...そう」
「今夜、こっちに泊まっていくから、やっぱり帰ってて。ほんとごめんね。じゃあ」
電話を切るとエリは灰皿にタバコを押しつけ、ため息をついてタクシーを拾ってシェアハウスに帰っていった。


タケルがシェアハウスに帰ってくると、エリがひとりで飲んだくれていた。
「あれ、オグリンは?」
「今夜は奥さんとこ泊まるんだって。帰ってくんのかなー、あれは。全然わかんない」

明るく笑い飛ばしているがどこか元気がない。
「そういう雰囲気なの?」
「そう。まあオグリンは元々奥さんに未練タラタラだったからね」

エリとオグリンは最近いい感じだった。酔った勢いで関係を持ったことはタケルもルカも知っていた。ふたりはペアのマグカップを買い、今日も「離婚届を奥さんに突き付けてくる」とふたりで出掛けたはずだった。
「あー、酒こぼしてるよ。飲み過ぎなんじゃないの?」
タケルは布巾を出して、エリのこぼした酒を拭いた。

「酔いざましに緑茶でも入れてやるよ」
「ねえ、タケル?私っていい女?」

「急にどうしたの?」
「結構いい女だよね。美人だし、性格もさ、ネチネチしてなくて、竹を割ったみたいってよく言われるんだあ」
「エリは綺麗だと思うよ。それにすごく優しいし」
タケルは濡れた床とエリの服を拭いてやる。
「優しいのはタケルじゃん」
エリがタケルの首に両腕を回してきた。
「ミチルちゃんとルカは?」
「...ルカんち泊まってるよ」
「じゃあ今夜は誰も帰ってこないね。タケル、どうにかなっちゃおうか?」

エリはタケルにキスした。そしてそのまま顔をタケルの胸元に近づけて、タケルのシャツのボタンを外し始めた。タケルは混乱し硬直してしまう。でも不意に計り知れない嫌悪感が込み上げてきた。限界に達し、エリを突き飛ばして、トイレに駆け込んだ。吐いた後、キスされた唇を念入りに洗った。鏡を見ると、青ざめた自分の顔が映っていた。

「...ごめん。エリがダメっていうわけじゃなくて」

タケルは気持ちを落ち着かせてからリビングに戻った。
「こっちこそごめん。タケルってやっぱ...そうなんだ」


エリの言いたいことはタケルにも分かった。仕事場のモデルたちにもゲイだとうわさされている。決してそんなことはないが、今はエリを傷つけないためにもそういうことにしておくことにした。タケルは曖昧にうなずいた。


「そうかなとは思ってたんだけど、そっか。いいよ。だったらあれだ。まんま友達でいよう!ね!」
エリはあえて明るく振る舞ってくれている。
「飲み直そうか!飲もう飲もう!」

エリは夜明けまで飲み、テーブルに突っ伏して眠ってしまう。タケルは肩に毛布をかけてやり、ルカとお揃いのマグカップにコーヒーを注ぎ、ひとりで静かにコーヒーを飲んだ。

ミチルとルカは夜、部屋でこんな話をした。
「ごめんね。ベッド占領しちゃって」
「ううん。こっちも案外落ち着くし」
ルカはベッドの横に布団を敷き、あぐらをかいて座っていた。
「懐かしいな。ルカのこの部屋。変わってない。ルカのお父さんも、お母さんも変わってない。いい家族だよね。私もこういう家を作りたかったんだ。早く家を出て、幸せになりたかった」
「あの男とは無理だよ。キツいかもしれないけど、ミチルのために言っとく。あの宗佑ってヤツはミチルを幸せにできる男じゃない」

ミチルが黙り込んでしまう。
「ねえ、タケルってどう?」
ルカが明るく言ってみる。
「タケルみたいなヤツだよ、人を幸せにできるのは。ミチルもああいうやつ好きになればいいのに」
「ルカはどうなの?誰かを好きになったことってないの?」
聞き返され、言葉に詰まる。
「考えてみたら中学の頃からルカの好きな人の話って聞いたことない。いつも私のほうが相談に乗ってもらってて」
「そうかなあ?

「好きな人、いないの?」
「...いるよ」

ルカはしばらく考えてから答えた。
「ずっと前から、ずっと思ってる」
「ずっと前っていつから?」
「何年も」
「その人は知ってるの?ルカの気持ち」
「気づいてない」
「伝えないの?」
「伝えない。伝えたってしょうがないし」

ルカは膝を抱えた。
「なんでしょうがないの?そんな風に決めつけることないよ。だって...」
「しょうがないものはしょうがないの!...いいじゃん、こんなことどっちでもさ」

ルカはミチルの言葉をさえぎってきつい口調で言った。
「私はミチルに元気になってほしかった。自分を取り戻してほしかっただけなんだ。だからここに連れてきたんだよ」
「...そっか。ごめんね、ルカ。心配かけて」
微笑むミチルを複雑な思いでルカは見つめながら、小さく首を振った。

人は いつだって人が思うほど単純じゃない

胸に 小さな秘密や 悩みを抱えて生きている

ルカ? 僕らはいつか 幸せになれるのかな

ルカはミチルと一緒に家を出た後、いつも通り午前中から練習を開始した。

「いいか、一周三秒切るつもりでいけ」

監督が声をかけてくる。ルカの気持ちを汲み取って、監督も真剣に次のレースまでの目標を立ててくれた。

「はい!」

ルカは思いきりバイクを走らせた。

ミチル 私にできることは もう何もない

あなたが自分で自分を救うのを 待っているしか

昼休みにミチルは携帯を取り出して着信を確認した。あれから宗佑から音沙汰がない。思い立って宗佑の職場に電話をかけた。
「はい、児童福祉課です」
「あの、及川宗佑さんは...」
「及川ですか?少々お待ち下さい」
「つながなくて結構です。そちらに今いらっしゃるかどうか知りたいだけなので」
「すみません。及川は風邪で、この一週間欠勤しておりますが」
「あ...そうですか」
風邪をこじらせて肺炎になったのかもしれない。心配になってミチルは仕事帰りにマンションに寄ることにした。おかゆの材料と風邪薬を買い、部屋を訪ねたがインターホンの応答がなかった。合鍵を使って中に入る。

宗佑は寝室のベッドの中にいた。
「ごめん、どうせ新聞の勧誘か何かだと思ったから」
起き上がった宗佑は激しく咳き込んだ。
「大丈夫?具合悪そうだね。熱はないみたいだけど...痩せた気がする」

顔を見るとやつれており目が窪んでいる。
「ミチルがいないから食べる気になれないんだ」
「ダメだよ。ちゃんと食べないと。今おかゆ作るから」

「ミチルがいてくれるなら、ずっと病気でいたいな」

おかゆを作って食べさせていると、宗佑がしんみりした口調でつぶやいた。
「長くはいられないの。宗佑が食べ終わったら帰るね」
「帰さない」
宗佑は手を伸ばして、ミチルの肩を後ろから抱いた。
「宗佑...やめて」

許してしまったらまた同じことになる。
「今こんなことしたら絶対にダメ。ねえ、わかって」
ミチルは腕を無理やり振りほどいた。
「ごめんね。今日は帰るから」

荒い息をしながら帰ろうとする。
「どうしてこんなになっちゃったんだ。ミチルをこんなにしたやつが憎いよ。タダじゃおかない。あのルカってやつ」
「そんなこと言わないでって言ったでしょ!約束を守れない人と、私、一緒にいられないよ!」

ミチルはルカのことを言われて口調を荒げた。
「それはこっちの台詞だ。約束を守れないのはそっちだろう!」
彼は茶碗を壁に思いきり投げつけた。茶碗は音を立てて割れ、破片と米粒があたりに飛び散った。
「やめて...お願いだから」
彼女は反射的に耳をおさえて怯えていた。起き上がった彼が彼女の手首を掴み、ベッドに押し倒した。

宗佑に襲われてしまった。深呼吸して気を取り直して、明るくシェアハウスのドアを開けた。

「おかえり、ミチルちゃん」

タケルとエリは明るく迎えてくれたが、ルカは昨晩の件の気まずさから黙っていた。
「最後のお客さん注文が多い人で、いろいろやったら遅くなっちゃって」
「そう。...早く食べなよ。パエリア冷めるよ」

ルカが素っ気なく言った。
「わあ美味しそう!これ、タケルくんが?」

テーブルの上には出来立てのパエリアがある。
「うん。俺、食器持ってくるから」
「いいよ。私がやる。タケルくんも食べるでしょ?」
立ち上がってタケルを追い、出してくれた皿に手を伸ばした時にタケルがミチルの手首を凝視した。さっき宗佑に強く握られた跡である。慌ててブラウスの袖で隠した。

「ねえ、オグリンはまだ帰ってこないのかな?」
ミチルは急いでテーブルに戻った。
「ていうか、もう帰ってこないんじゃない?奥さんとヨリ戻す気かもね」
「いい加減なヤツだな。エリにずるずる頼って、ペアのマグカップまで買ったくせに」

ルカがエリの代わりに怒っている。
「別にいいのよ。私だって最初から期間限定のつもりだったから」

エリが言った時にミチルの携帯が鳴り出した。ミチルは飛び上がって驚き、携帯を手に廊下に出て着信画面を見ると、「店長」だったので一安心。ホッとして電話に出て、すぐにリビングに戻った。

「美容院の人?」
「うん。明日、早い時間帯に予約が入ったから少し早めに来てくれって」

エリにたずねられミチルが答える。
「ミチル...まだその携帯使ってんの?」

ルカが苛立った声で聞いてくる。
「...うん」
「捨てなよその携帯。それが鳴るたびにこっちもビクっとする。ミチルがあいつにつきまとわれてるみたいな気持ちになる」

ルカは強い目線でミチルを見つめた。
「...わかった。捨てるね」
席を立ち、台所のゴミ箱へ向かうと
「待って!」

ルカが追いかけてきた。
「...いいよ。捨てなくていい。こんなの嫌だ。これじゃまるでミチルの彼がやってることと変わらないよね」
ルカは頭をかかえる。
「...ちょっと走ってくる」
ルカは外へ出ていってしまう。

タケルはミチルにコーヒーを入れた。
「わかってるんでしょ?私がルカに嘘ついていること。タケルくんには全部見破られてる気がするんだ」
「...彼に会ったの?」

タケルの問いにミチルは涙ぐみながらうなずいた。
「一緒にいても幸せになれない人だってルカに言われた。
その通りだなってだんだんわかってきた。でも、まだ彼に惹かれてるの。宗佑を好きじゃなくなりたいのに、なりきれない」
「しょうがないよ。彼が変わるのを待てるか、待てずに心が離れていくか、決めるのは他人じゃなくて自分だけだから」

ミチルが顔を上げた。
「優しいね。タケルくんみたいな人を好きになればいいのにって、ルカが言ってた」
「ルカが?」タケルはドキッとした。
「ルカもね、好きな人がいるんだって。何年も前から、ずっと気持ち伝えられずに思い続けてるんだって。そう言ってた」
「...そう」タケルはショックを受けた。
「人生って簡単じゃないよね。急いで幸せになろうとしてもうまくいかない」
タケルとミチルはお互い黙ってコーヒーを飲んで、自分の部屋に戻った。この時、エリはベランダで話を聞いていたがあえて何も言わず、二人の方を見ずにタバコを吸っていた。

俺は馬鹿だ 人の話の聞き役になって 

いちばん俺が 傷ついているじゃないか

ルカの弱さ ルカの苦しさ わかっているのは

自分だけだと思っていたのに

数日後、ルカはパソコンで調べた心療内科を訪ねた。

「性同一性障害と言っても、その症状は人それぞれ違うんです。本を読んで自分の症状だと思い込んでこちらに来られますが、実際には違うというケースもあるんです。あまり性急に結論を出さないように慎重に考えていきましょう」
「...はい」
「自分が性同一性障害だと思うのはどのような点ですか?」
「自分の体が嫌なんです」

ルカはひとつひとつ正直に答えていく。
「どういう風に?」
「小さい頃から、女の子の服を着させられるのが嫌で仕方がありませんでした。幼稚園の時も、スカートが嫌でズボンをはいていました」
「今でもその違和感は続いていますか?」
「続いています。自分の胸を見るのが嫌で、シャワーを浴びる時は目をそらしています」
「相談相手とか好きな人はいますか?」

その質問にルカは答えなかった。

「男の人は?」
「友達や仲間って感じです。恋愛感情を持ったことはありません」
「どんなことがつらいのですか?」
「身近な人の前で
本当の自分を見せられないことです。好きな人や家族に嘘をついて暮らしている。それが苦しいんです。時々たまらなく...」


ルカは病院帰りにタケルを井の頭公園に呼んだ。タケルは自転車に乗ってやって来る。
「何?話って」
「いや。なんてことないんだけどね。タケルの顔が見たくなった」
「いつでも会えるだろ?同じところに住んでるんだからさ」

タケルが微笑む。
「タケルと二人がいいんだよ。なんでかなあ、タケルといると安心するんだよな。自分を飾らなくて済む気がする」
二人は自転車を押しながら並んで歩いた。
「五月晴れだなあ。紫外線が良くないとかいうけど、素っ裸で日光浴したくなるよね。この空見ると」

この日は晴天。ルカは自転車を停めて、思いきり伸びをした。
「ルカ、好きな人がいるんだって?」
タケルがたずねるとルカは一瞬ドキッとした顔をした。
「ミチルちゃんから聞いたんだ」
「...ああ。片思いもいいとこだけどね」
「そっか」
「そんなことより、今の私はレース。次の第五戦には絶対に勝たなきゃ。日本選手権に出るためにもね!」

ルカは遠くを見つめている。

「...強くなりたいんだ。誰にも負けないぐらい、強い人間になって、いつか堂々と、好きな人の前に立ちたいんだ」
タケルは複雑な思いでルカを見つめた。


帰り道でルカが「競争して帰ろうよ」と言い、「行くよ!」と急に走り出してしまう。
「なあ待って!...ちょっと!スピード落として!」

タケルは必死でペダルをこぐ。
「ヘタレ!この程度でビビんなよ!」

ルカはスピードを調節しながら時折振り返って、焦るタケルを見て楽しそうに笑っている。そんなルカを見て、タケルも笑った。


ルカ 君の笑顔が好きだ

君が 誰を好きでもかまわない

俺は 君を支えよう 君の笑顔を


レース当日。スタート前にバイクの調整をしていると監督から声をかけられた。
「岸本、今日は48秒切るつもりで行け。48秒切ったら、お前を女じゃなく一人前のレーサーとして見てやる。そしたら飲みに行こう。レーサー同士。な!」
「はい!」ルカは笑顔を返した。

ルカはバイクを引いて、他の選手たちと一緒にスタート位置に並んだ。ルカのユニフォームにはミチルからのお守りが下がっている。応援席には両親、弟、エリ、そしてミチルがいる。精神を集中させ、スタートを切った。  

ミチルはエリたちと一緒にルカを応援していた。ルカが目の前を横切った時に携帯が鳴った。慌ててバッグから取り出すと「及川宗佑」と表示されている。ミチルは少しためらったが、こっそり離れた場所に移動して電話に出た。
「ミチル、今どこ?」

消え入りそうな宗佑の声がする。
「...レース場」
「会いたい。すぐに来てほしい。具合が悪いんだ」

悲痛な声で訴えてくる。
「ごめん、行けない。
ルカの大事なレースだから」

「...僕じゃなく、ルカを取るんだね」
「違うよ。もう、宗佑のわがままに振り回されたくない」

「後悔するよ。今すぐ来ないと」
「...後にして。ごめんね」
ミチルもつらかったが、甘い顔を見せてはお互いのためにならないと思ったので電話を切った。

ルカはこのまま時速を保ったまま、トップでゴールした。息を切らして満足げにヘルメットを取った。真っ先にミチルを探そうと思ったが、目に飛び込んできたのは泣いて喜んでいる監督の姿だった。無言でルカと握手を交わして去っていく。応援席を見ると、白いブラウスのミチルがいた。ルカが笑顔でヘルメットを振った。


祝賀会はタケルのバーで行われた。タケルは仕事
が入っていて応援には来れなかったが、優勝してここへ来られてよかったと、ルカは心から誇らしかった。

「岸本ルカの優勝を祝して、乾杯!」

監督が満面の笑みで音頭をとり、家族、仲間たち、そしてミチルもみんな、ルカのために祝杯を上げる。ルカは達成感にあふれ、みんなの顔を見渡した。

「お前はもう一人前のレーサーだよ。岸本、エライ!」

「ありがとうございます!」

監督がルカの頭をぐしゃぐしゃになでた。

店のソファで家族や監督と談笑しているルカを見て、ミチルは微笑ましくなったが、同時に寂しいような気持ちになった。
「ルカ、素敵だよね」
ミチルがカウンターにいたエリの隣に座る。
「俺も見たかったなあ」

カウンターの中のタケルは口をとがらせた。
「全日本クラスの記録なんだって!すごくない?」
「なんか、遠い人になってっちゃうみたい」

エリに言われ、ミチルは苦笑いを浮かべた。
「何言ってんの。そんなことないよ!ね、タケル?」
その時、マナーモードにしていた携帯がバッグの中で震えた。たぶん宗佑からだと思い、人目を避けるように店の隅に行き、電話に出た。
「ミチル?」やはり宗佑だった。
「さっきはごめんね。今すぐ帰るから待ってて」
「もう来なくていいよ」

なぜか突き放すような口調だった。
「...なんで?」
「今から死ぬことにしたから」
ミチルは絶句した。
「これから死ぬ。さよなら」
彼からの電話が切れた瞬間、ミチルはとっさに店を出ようとする。

「ミチルちゃん?」

エリとタケルは名前を呼んだが、もうミチルの姿はなかった。

「ミチル?」

外で酔いを覚ましていたルカは、店から出てきたミチルに声をかけた。
「どこ行くの、ミチル。あいつのとこ?」
「...違うよ。ちょっと先に帰ってるだけ」

ミチルはルカから目をそらした。
「嘘つくなよ!」
ルカが声を上げると、店から出てきたエリが駆け寄ろうとしたがタケルが制止した。
「...知ってたよ。あんたが嘘ついて、彼と会ってたの。でも黙ってた。いつか気づいてくれるだろうと思って。もっと強くなれよ、ミチル」

ルカはいつの間にか涙ぐんでいた。
「もっと強くなれるはずだよ。何で負けちゃうんだよ」
ルカの問いかけにミチルはじっと唇を震わせていた。そして沈黙の後、ぽつりと口を開いた。
「私、弱虫だもん」

「...え?」
「ルカはいいよ。ルカは強くて、素敵で、家族に愛されてて、才能があって。そうやって輝いてて。でも、私は弱虫だから、宗佑の弱さがわかる」
ミチルは涙を浮かべ、ルカをじっと見つめた。
「...今は、彼のそばにいてあげたいの。ごめんね」
背を向けて彼女は走り去ってしまう。呆然としているとタケルが近づいてくる。

「ルカ...」
「触んなよ!」
肩に手を置こうとしたタケルを激しく拒絶した。
「...触んな」
驚いているタケルに対し、ルカは自分を傷つけるようにもう一度言った...。


(参考・どらまのーとドラマレビュー)