概要

2009年6月11日、ギャル雑誌「小悪魔ageha」モデルの純恋 (すみれ)さんが自宅マンションで亡くなっているのが雑誌担当者によって発見された。彼女はまだ21歳で、上京して3ヶ月しか経っていなかった。


地元での暮らし

1987年に産婦人科勤務の看護師の母のもとに生まれた。本名は石川安里沙さん。兄がいたが父はいない母子家庭。母の仕事柄、出産風景を幼い頃から何度も見てきて、5歳の頃に初めて障害児が生まれてくるのを見たが、母によると彼女はそういった子にも隔たりなく普通に接する子だったという。

彼女は岩手県胆沢町 (現在の奥州市)で育ち、地元の小中学校を経て、岩手県立水沢第一高校を卒業後に仙台のモデル養成専門の学校に入学した。

高校時代からファッションデザイナーになりたいという夢を持つようになり、その資金集めとして2007年頃から仙台のキャバクラで働き始めた。ここで湘南乃風の「純恋歌」から「純恋」という源氏名をつけて活動するようになった。

キャバクラでNo.1を取るようになり、店に来たギャル雑誌「小悪魔ageha」の編集者の目に留まり、読者モデルとしても活動するようになった。彼女は当初モデル活動はデザイナーとしてデビューするための近道としか考えていなかったが、比較的早く注目された。

2008年に行われた「仙台コレクション」(TGCの仙台版) に出演し、先輩モデルたちとブランドを立ち上げてプロデュースをするなど順風満帆な日々を送っていた。

「小悪魔ageha」の編集長は彼女に関して「謙虚で控えめで前に積極的に出ていくタイプではなかった。でもそれが逆に心配になって応援したくなるのが彼女の魅力だったと思う」と語っている。


上京から亡くなるまでの3ヶ月間

2009年3月、彼女はモデル活動に向けて地元仙台から上京した。モデル活動とキャバクラ勤務の二足のわらじをはいていたが、体調を崩しがちになり両立が困難と判断し、上京と同時にキャバ嬢を辞めた。

5月頃、頭痛がひどくなり病院から処方された鎮痛剤を飲んでも回復しなくなった。彼女は病院を何軒も受診したが「ストレス」「単なる片頭痛」と診断され納得のいく答えがもらえなかった。

上京しても継続していたブログは「今日は頭が痛い」「すこし休みます」と頭痛に関する書き込みが増えた。亡くなる数日前には地元の胆沢で数日間療養していたことをブログ内で明かしていた。

6月10日、この日は「小悪魔ageha」の撮影があったが彼女はスタジオに姿を現さなかった。事務所の担当者が彼女に連絡を入れたが音沙汰がなく、様子を見に彼女の住むマンションに行くと、彼女はベッドの上で呼吸をしていなかった。

担当者はすぐに救急を呼んだが、翌日に死亡が確認された。死因は脳出血と判明し、事件性はないとされた。

6月13日未明にネットニュースで第一報が伝えられ、直後からブログに2万件を超えるコメントが寄せられた。

また、胆沢の地元の友人らはお金を出し合って追悼の意味をこめて花火を上げた。さらに死から4ヶ月後に日本テレビの「ザ!世界仰天ニュース」で脳出血の恐ろしさを伝えるために彼女のことが紹介された。


ボランティア活動

母が看護師ということもあり、彼女も中学生のころから地元の福祉施設でボランティアを行っていた。2009年4月から日本児童家庭文化協会で脳性麻痺の子供たちと触れあうボランティアを始めた。5月頃から激しい頭痛に悩まされていたがボランティアは続行していた。


ボランティアをするうちに難病や障害をもつ子供たちのために無償で行われるイルカセラピーを知り、セラピー開催の資金集めのために自ら製作したネックレスの収入を協会に寄付することを考え、体をおしてデザインを練っていた。

なおネックレスのデザインは亡くなる4日前に出来上がっており、亡くなってから9日後に現物が完成し、8月に発売され、大きな反響を呼んだ。

最終的に彼女の思いを引き継いだ者によって売上収入は全て協会に寄付され、イルカセラピーは開催された。後にこの活動は「H=and project」として有志らによって引き継がれた。

Hにはいくつかの意味が込められている。
Heart ... やさしさの「心」
Heal ... 誰かの心を「癒す」
Home ... 考えを行動に移す、動く「場所」
Hand ... 手と手を取り合って未来へつなぐ

なおこの活動は現在も続けられている。


ページ作成者・さやか