【事件概要】
1979年9月9日、埼玉県上福岡市のマンション「グロリアハイツ」中庭で中学1年生の男子が柔道着を来て血まみれで亡くなっているのが発見された。死因は上階から飛び降りたことによる全身強打。即死であった。
身元は、市立上福岡第三中学校1年生の林賢一くんであると判明。家族構成は、ともに34歳の両親、ひとつ上の姉、ふたつ下に弟がいる。父親は、韓国に本籍を置く在日朝鮮人であり、林くんは在日二世にあたるが、彼も家族も学校側も特に気にしていなかった。
【イジメはこうしてはじまった】
1979年4月20日、林くんはクラスメイトと取っ組み合いのケンカになった。途中に相手側に加勢が入って、体を押さえつけられたので林くんは相手の腕を噛んで抵抗した。このことで「チビのくせに生意気」という印象がつき、クラスでも「噛みついた林が悪い」ということになった。この日を境に、林くんは複数名からいじめられることになった。
担任は29歳の女教師で、家庭訪問の際に「林くんが友達の腕に噛みついてケンカになった」と説明している。母は断片的な解釈から「息子が学校で悪さをしているかもしれない」と感じた。
林くんはいじめられても反抗していたが、身長が142cmと小柄だったため、あまり抵抗できなかった。むしろその反抗ぶりが「面白い」と笑われていた。次第にクラス内で「浮いた」存在になり、誰も話しかけてくれなくなった。話し相手がいなくなったことをいいことにクラスメイトに「壁」とアダ名を付けられていた。
話し相手がいないので、休憩時間は職員室の前でいつも立っていた。教室に戻ると、クラスメイトからからかわれるので、職員室から出てきた教師と一緒に教室に戻るようにしていた。
入学から2ヵ月経った6月18日、林くんは書き置きを残して家を出ていった。書いてあったのは...
(3人の同級生の実名) にいじめられて
学校に行くのがいやになって
生きているのがいやになりました
ぼくは自殺します さようならみなさん
母は書き置きを見て気が動転し、担任に電話したが「警察への連絡はちょっと待ってください」と言われている。
夜8時過ぎ、林くんは大量の生汗をかいて帰ってきた。そして「怖かったよう」と母親に抱きついた。話を聞くと、駅前のマンションから飛び降りようとしたが、下を見るとこれまで感じたことのない強い恐怖に襲われたという。
母は、息子が名指しした同級生の親たちに「仲良くしてくれるように子供さんに言ってほしい」、担任にも「息子の自殺未遂は狂言ではなく本心からのことだから、二度とこんなことのないように学校で処置してほしい」と話している。
翌日、担任はホームルームで「林くんはイジメられるのがつらくて家出しました。一人をみんなでイジメることはやめてほしい」と注意した。さらに「いじめた人は手を挙げなさい」と言うと、6人の生徒が挙手したので図書室に呼び出した。「本当に死ぬかもしれないよ」と厳しく注意したが、担任のデリカシーに欠ける行動により、イジメはエスカレートしていく。
呼び出された6人は教室内で「自殺野郎」「家出っ子」「死ぬ勇気もないくせに変なことしやがって」と林くんをからかった。同級生たちは、教師のいない時間を見計らっていじめるようになった。
7月頃に、父の姉が上福岡駅前で経営していた雀荘を母が引き継ぐことになり、それをかぎつけた一部生徒が「本日開店 林こじき商店」と黒板に書いてからかった。林くんは必死にそれを消そうとしたが、集団で取り押さえられて殴られた。
いじめ内容は「蛇のおもちゃを机に入れられる」といった古典的ないたずらや「学生服に大量のマヨネーズを塗る」といった常軌を逸したもの、卓球部に所属しており「球拾いの最中に部員に脈絡なく蹴られる、もしくは殴られる」といったものが挙げられた。さらに新学期になると、部活中に不特定多数による集団暴行が1週間連続で続いた。
林くんはそんな状況でも「強くなりたい」と思ったのか、日曜になると父親の知り合いのところへ空手を習いに行くようになった。
【自殺】
9月8日、林くんは家を出たきり、学校に姿を見せずに行方不明になった。通学カバンは友達の家の近くに捨てられていた。父が車で探し回ったところ、上福岡市内の路上で息子を発見した。
父と息子はとりあえず喫茶店に入り、これまであったことを洗いざらい聞いた。父は「あと2年半じゃないか」と励ましていたが、息子からは「僕はずっと我慢してきた。でももう我慢できないよ」と返事が返ってきた。息子の話によると、前日も逆立ちで教室を歩かされたという。
喫茶店で3時間説得した結果、息子は父の思いをくみ取った。家族の話では、その日の夜は普通に過ごしていたという。
そして次の日、林くんは日曜ということで柔道着を着て家を出た。マンションから飛び降りたのはその直後だった。第一発見者は新聞を下のポストに取りに来たマンションの住人。靴に「林」と書いてあったため、駆けつけた警察が市内の「林」姓の家を片っ端から電話したところ、身元が判明した。
【自殺後の動き】
翌日に学校で林くんの自殺が伝えられると、いじめていた生徒は「あいつ死んじゃった」と反省する素振りもなくふざけていた。さらに告別式の翌日に、同じクラスの生徒に「今度はお前の番だから」と脅しをかけている。その生徒はストレスで神経性胃炎になり、学年末に転校している。
教育委員会は報告書を作成したが「イジメの事実はない」「いざこざの多い生徒であった」とまとめられている。
上福岡市教育委員会は両親に「今回の自殺は全く不幸な出来事ではございましたが、学校当局及び担任の教師は教育者としてあたうる限りの指導と対策を講じており、それでも自殺を阻止出来なかったのは遺憾なことではありました。しかしそれは学校及び教師の責任の範疇を超えるものであると考えます。なお原因は様々な複雑な要因が噛み合っており、何が直接的な原因かは断定出来ない」とコメントした。
両親は、ぞんざいに息子の自殺を扱われているとして、同級生や保護者たちに話を聞いて回っている。同級生からは「死んだのは親の責任」と言われ、地域からは白い目で見られることがあったが、それを受けて、息子のいじめのすさまじさを実感することが出来たという。
しばらくして、姉が遺品整理をしていると、弟の小学校の寄せ書きが出てきた。それを見ると...
「林へ、一生のお願いです。死んでください。ただ嬉しいことといえば林と別れられることだ」
「お前とは絶対同じクラスになりたくない」
「好きな人、林以外の人。嫌いな人、林。林のバカ」
「林のバカ、アホ、トンマ、マヌケ、死ねというのはほんの重い冗談」
「牛→でかい→菌→汚い→ウンコ→林のするもの→自殺→田宮二郎」
21人のうち10人が誹謗中傷を書いており、筆圧や字体がそれぞれ違うことから、不特定多数の同級生が寄せ書きに参加していることが分かった。小学校の担任は「なぜあの子たちが?」と動揺してしまった。
彼の「我慢できない」は募り募ったものかもしれない。