1リットルの涙
第4週 - 二人の孤独 -
 
亜矢は水野医師から「脊髄小脳変性症」であることを告げられた。帰りの車内でも亜矢は何も言わずに前を見つめていた。両親も何も声をかけることが出来なかった。
 
家路に着いた亜矢は母から「着替えてきなさい」と言われて子供部屋に入ったが、食事が出来ても娘は部屋から出てこなかった。様子を見に行くと、娘は椅子に座って呆然としていたので優しく声をかけた。
「どうした?」
肩をポンポンと叩いてみる。
「...母さん、私頑張るから。だから大丈夫だよ!」
娘は健気に笑顔を見せて母を安心させようとする。
「...そうね。水野先生がおっしゃったように希望持ってやっていこうね。難しい病気だけど出来ることはいっぱいあるから!亜矢が頑張ってるうちに特効薬や治療法が見つかるかもしれない。ね?」
 
娘は無言でうなずいたあと、涙を浮かべ...
 
「でも、やっぱり分かんないよ。何で私なの?どうして病気は私を選んだの?」
その問いには答えることが出来ない。
「私...まだ15歳だよ?こんなのないよ。ひどいよ。神様は意地悪だよ...どうして?」
つらいのは母も同じだった。
「...ごめんね。お母さん、代わってあげられなくて...ごめんなさい」
母は思わず娘を抱きしめた。娘も感情をおさえられなくなり、声をあげて泣いた。
 
子供が寝静まった後に夫婦だけの話をした。
「本当に知らせてよかったと思う?病気のことを本当に受け止められるまで、あの子...すごく苦しむと思う。やっぱり様子を見てからにすれば...」
「お前がそんなことでどうすんだ。あいつはそんなやわじゃねえよ。俺とお前の子供だぞ?あいつが折れそうになったら俺たちが全力で支えてやりゃいいんだ。俺は諦めないからな。世界中の病院回ってでも、どんなことしてでも亜矢を治してくれる医者探してやるからな」
母は父の心強い言葉を受けて、強くうなずいた。
 
次の日、亜矢は「遅刻しちゃった」といつものように何事もなかったかのように元気に登校した。両親は驚きを隠せない。
 
登校中のバスの中、周りの景色や人々が車窓から見える。亜矢はその時のことをノートにまとめている。
 
昨日と同じ景色を見て 同じ道を歩いているのに
私の世界は まるで変わってしまった
きっと もう あんな風には笑えない
昨日までの私は もうどこにもいない
 
期末試験が終わったので、亜矢はマリと早希から夏休みは何して遊ぼうかと話しかけられた。亜矢はどこか元気がない。徹朗は元気のない背中を後ろから見つめていた。
 
徹朗は冨田から「夏休みに別荘で遊ぼうか」と誘われたが、「生物研究が忙しいからダメだ」と断っている。
 
7月を境に、亜矢の症状は悪化の一途をたどり、距離感が掴めなかったり、力が入らないため思うようなプレーが出来ず、交代させられたり怒鳴られたりと部活動に支障をきたすようになった。「いつもと違う」亜矢の姿にマリたちは心配を隠せない。
 
7月上旬、母は一人で水野のもとを訪ねた。
「告知は思ったよりしっかりと受け止めてくれたみたいです」
安堵の表情を見せる母とは対照的に、水野は深刻な表情を見せていた。
「お母さん。本当につらいのはこれからです」
水野はまっすぐな目で母を見た。
「亜矢さんはこれから徐々に、しかも確実に体のコントロールを失っていくんです。今まで出来ていたことが少しずつ出来なくなっていくんです。出来れば早急に入院していただいて、薬の効果やリハビリ方法を確認したいと思っています。検討しておいてください」
 
部活動で怒られた日の夜、亜矢はノートにこう綴った。
 
こんな風に 毎日少しずつ 何かが出来なくなるの?
目を閉じて 次の日がくるのが こわい
朝がきて 悪くなってたらと思うと こわい
時間がたつのが こわい
 
次の日、亜矢は、マリが同じクラスの恩田に告白されて付き合っていると報告を受けた。
「亜矢はどうなの?ほら、あのバスケ部の先輩!」
「え?あれは先輩ってだけで...」
そのとき、教室に河本先輩が入ってきた。
「先輩!どうしたんですか?」
「池内、終業式の日の花火大会なんだけど...良かったら一緒にどうかな?」
デートのお誘いである。
「それから...8月7日の日曜日も空けといてもらえるかな?その日、実は俺の誕生日なんだ。ダメかな?」
「あ、いえ!ダメじゃないです」
「良かった。東武動物公園に行こうと思ってるんだけど」
「はい!」
先輩が帰った後にマリたちが「きっと告白するつもりなんだ」と冷やかしてきた。亜矢は素直に笑えない。
 
その日の夜、亜矢がぼーっとしているので母が「何かあったの?」と聞いている。
「河本先輩に...花火大会誘われちゃった」
「え?」
「先輩の誕生日にも動物園行こうって...」
「そっか!それじゃあぼーっとしちゃうのも無理ないわね。でもお父さんが聞いたら大変ね、ついてく!なんて言い出すかも」
しかし、娘からの返事は思いがけないものだった。
「どうやって断ったらいいかな?」
「何で?」
「だって、私...病気になったんだよ?だから、先輩に迷惑かけちゃ悪いよ」
「そんなの変よ。亜矢は「神様は意地悪だ」って言ったけど、意地悪なことしようとしてるのは亜矢の方じゃないの?」
「え?」
「高校生だもん。好きな人と一緒に花火大会行ったり、誕生日にデートしたいって...それって誰でも普通に思うことよね?」
「いや、でも...」
「でも、じゃないの。病気のせいにして出来ることを自分から投げ出すなんて、神様は意地悪だって言った亜矢がやることなの?言ったよね、頑張るって。お母さんにそう言ってくれたよね?」
しばらくの沈黙の後、亜矢が口を開いた。
「...浴衣、着せてね。花火大会の日!」
亜矢が笑顔で母に抱きつく。
「うん。髪もアップにしてあげるから」
「髪もアップにしたら、先輩きっとビックリするね」
 
カレンダーに「先輩とデート!」と新しく印がつけられた。
 
光が少しだけ 見えてきたような気がする
私は 自分を信じて 行動しよう!
 
花火大会の日、母に浴衣を着せてもらい亜矢は満面の笑みを浮かべて先輩と一緒に出かけていった。
「なあ....亜矢、大丈夫かな?」
「うん。お友達もみんなついてるし」
「でも、亜矢のあんな顔...久しぶりに見たな」
「普通の女の子がやりたいと思うことは、亜矢には出来るだけやらせてあげたい...」
「...当たり前だ」
 
待ち合わせ場所に行くと先輩が立っていた。
「へー、女子って着物着ると雰囲気変わるんだな」
河本も浴衣を着ている。
「着物じゃなくて浴衣です」
「まあ、どっちでもいいじゃん。可愛いよ」
二人は手をつないで花火の見える河川敷へ歩いていく。
 
お祭りには高校の知り合いやバスケ部の後輩も来ており、冷やかしたりしていたが二人は楽しく時間を過ごした。徹朗は冨田と、アコは中学の友達と一緒に来ていた。
 
花火大会が終わり、河本と一緒に駅まで歩いているときに立ちくらみの症状が出てしまう。下駄を履いているため足がもつれて前に倒れた。その時に反射が鈍っているため頭からコンクリートに打ち付けてしまい出血を起こしてしまう。
 
「池内!!」
河本が慌てて体を起こして呼び掛けるも、亜矢の応答はない。アコも悲鳴や騒ぎ声がしたので現場に行くと、姉が倒れていたので人波を掻き分けて姉のもとへ。
「ねえ、早く救急車呼んで!何してんの!」
動揺する河本は公衆電話から救急車を呼び、15分ほどして亜矢は病院に搬送された。
 
両親がリカを連れて病院に駆けつけると、アコとヒロが険しい顔をして待合室のソファーに座っていた。アコが同じくお祭りにいたヒロを病院に連れてきたのだ。両親が救護室に入っていく。
 
「出血のわりに額の怪我はそれほどひどくなく、レントゲンで見る限り異常は見られませんでした」
両親は胸をなで下ろした。
「この病気は人によって症状や進行の速度が大きく違いますが、亜矢さんの場合、若年性で進行が早いようです。なるべく早く、亜矢さんに適した薬やリハビリ方法を見つける必要があります。夏休みを利用して検査入院をされてはいかがですか?」
「それで少しでも病気の進行を食い止めることが出来るんですか?」
「個人差があるので実際に試してみないと何とも言えません...」
 
母は亜矢の入院の手続きを行った。父と子供たちは車の中で待機。重い空気が流れる。
「あいつ...あんなに夏休み楽しみにしてたのにな」
父がタバコを吸いながらつぶやく。
「お前ら、姉ちゃんは体の具合を調べるために入院することになった。少し長くなるかもしれないから良い子で待ってるんだぞ」
ヒロとリカは大人しくうなずいた。アコは...
「姉ちゃん変だったよ。普通あんな転び方する?顔からまっすぐ...それも二度目だよ。絶対おかしいよ」
「あいつ、ほら...生意気にデートなんかしてたから、きっと浮かれすぎて周りが目に入らなかったんだよ。ハハッ、ドジなやつだ」
父の笑い声はどこか悲しさを帯びていた。「母ちゃんの様子見てくる」と言って車を降り、病院のロビーでやり場のない感情を押さえきれず一人号泣した。
 
翌日、検査入院をすることになった亜矢はリハビリ担当の田辺医師を紹介された。
「一緒に頑張ろうね」
亜矢と母が別の医師から説明を受けている間、廊下で田辺と水野は話を交わしている。
「15歳の女の子に告知は早すぎたんじゃないですか?」
「遅らせたら何か良い影響があるのか。あの子は自分の病気に気づいていたんだ。生半可な返事をして甘い幻想は持たせない方がいい」
「言われた方のショックも考えてくださいよ」
「俺は病気に立ち向かうために告知を選んだ。将来、有効な新薬や治療法が見つかる可能性はゼロじゃない。それまで出来るだけ病気の進行を遅らせたいんだ。だからリハビリで時間稼ぎをする必要がある。いずれにしろ長期戦だ。医者も患者も治療に専念する覚悟がいるんだよ」
水野は真剣な眼差しで田辺を見つめた。
 
この頃、バスケ部にも亜矢の入院が告げられた。河本たちの耳にも入ってきた。
「何かお前、選ぶ相手間違えたんじゃねーの?責任取ってお見舞い行かなきゃな」
「...そうだな」
 
池内家は共働きなので、炊事や洗濯などの家事はきょうだいで分担してやるのが当たり前の光景だった。亜矢がいないため、残りのきょうだいでやることになる。
 
「見舞い行って遅くなるから。夕飯の支度は、お父さんとやってもらっていい?」
「困るよ、友達と約束あるのに」
「我慢してよ。今は家族が一致団結する時なのよ」
「私ばっかり...姉ちゃんのせいで」
「そんなこと言わないでよ」母ににらまれる。
「何よ...わかりましたよ。やりますよ」
 
数日後、病室に友達たちが見舞いに来た。そこには冨田もおり、ケーキを持ってきてくれた。しかしそこに徹朗はいなかった。
 
見舞い終わりの帰り道で、徹朗がいないことに関して話になる。
「麻生くんって団体行動とか嫌いなの?」
「中学の頃はそんなことなかったんだけどね。お兄ちゃんの事故で何か感じが変わったというか...」
「事故って何?」
「去年の夏にお兄ちゃんと二人で渓流に釣りに行ったの。途中まで一緒にいたけど、いつの間にかお兄ちゃんの姿が見えなくなって...翌日に川下で発見されたの」
 
アコはガンモちゃんの散歩中に徹朗と会った。
「...池内、入院したんだって?」
「うん。なんか検査で夏休みずーっと入院みたい。おかげでこっちに全部とばっちり来ちゃう!」
「そんなに悪いの?」
「何の病気かも教えてくれないし。私、あの家であんまり信用されてないんだよね」
「別にそんなことないんじゃないの?」
徹朗はガンモちゃんの頭を撫で、足早に立ち去ろうとする。
「あの!8月7日にお姉ちゃんと東武動物園行くの?姉ちゃん、カレンダーにしるし付けてニヤついてたから。麻生さんと行くのかなと思って」
「俺、知らないよ」
徹朗は立ち去る。
 
翌日、リハビリに励む亜矢のもとに河本先輩が来た。亜矢は中学の時にもらったサイン入りリストバンドをはめている。母から家から持ってきてもらった。
「先輩!来てくれたんですか!」
「...ああ。どう、調子」
「大丈夫です。すいませんでした、この前は迷惑かけちゃって」
「うん。いいよ、そんなの」
水野と田辺もいたので、亜矢は二人を紹介。
「病院行ったらここだって言われて...これ」
河本は見舞いの花を渡した。彼は居心地の悪そうな態度を取っている。
「あの、私...夏休みの間、入院することになったので7日は無理です。ごめんなさい」
「...いいよ。気にするな」
河本は足早に部屋を出た。
 
「デートの約束してたの?やるな、亜矢ちゃん!」
田辺が冷やかしてきたので「入院してるから無理ですよね」と謙遜していると...
「外出してもいいよ。ここでやることだけがリハビリじゃないから」
水野が外出を許可してくれた。
「本当ですか、ありがとうございます!」
河本はドアの前の死角から話を聞いていた。複雑な表情を浮かべて気づかれないように帰っていった。
 
亜矢は入院中に様々な検査を受けた。投薬で吐き気や発熱などの副作用が出ることがあったが、リストバンドをつけて懸命に頑張り続けた。田辺がずっと冷やかしてくる。
「デートに行けるとなったら、いきなり張り切ってんな」
「そんなことないですよ」
「やっぱり恋の力はすごいね。こうなったら毎日先輩に来てもらわないと!
「もう、先生ったら」
そのとき、ドアの向こうから徹朗が覗いていることに気づいた。
 
亜矢と徹朗は病院のテラスで会話を交わした。
「思ったより元気そうじゃん」
「まあね。検査は嫌いだけど、主治医の水野先生って男前だし」
「なんか地味な運動してんだな、さっきの...」
「リハビリだよ。今出来ること頑張るって決めたの」
「お前、何の病気なんだよ」
「不治の病。もう長くないみたい」
徹朗がじーっと亜矢を見つめている。
「嘘です!」
「は?」
「本当は水虫」
「っていうのも....」
「もちろん嘘!」
「お前、遊んでんだろ!」
「この前のお返しだよ」
亜矢は微笑んで空を見つめた。徹朗もその姿を見て笑みをこぼした。
 
家に帰った徹朗は父の書斎から職員名簿を取り出し、水野という名前を探した。そこで徹朗は水野医師が神経内科専門、脊髄小脳変性症の専門医であると知る。医学辞典でそれを調べると「有効な治療法はない」と書いてある。
不治の病...?」
亜矢の言葉が頭によぎった。
 
8月7日、亜矢のデート当日。徹朗が理科室でたたずんでいると外から声が聞こえてきた。
「じゃあ、結局今日の池内のデートは却下したわけ?」
「どうしようかと思ってさぁ...」
「俺だったらやめとくけどね。せっかくの誕生日に暗い気分になりたくねーじゃん。電話して断れよ」
「そうだな」
徹朗は病院に向かった。
 
その頃、亜矢は河本へのプレゼントとしてスニーカーと靴下を用意していた。母が水野と一緒に微笑んでいる。
「ちゃんと確認した?」
「あれほど何度も言われましたもの」
「良かった、ありがとう!」
亜矢は口紅をつけ、ワンピースを着てニコニコ。母がふざけて「一緒に途中まで行こうか」と質問してきた。
「親つきのデートなんか聞いたことない。先輩も戦々恐々になっちゃうよ」
「そうだよね。じゃ、気をつけて。楽しんできてね!」
亜矢は東武動物公園までバスで向かっていった。
 
しばらくして徹朗が病院に到着。誰もいない。
「池内亜矢さんは?」
通りかかったナースに聞く。
「さっきおめかしして出ていったよ。デートなんだって!そうだ、亜矢ちゃんに河本さんっていう方から電話が入ってるんだけど...」
それがデートの断りの電話だと知ってるので、それを無視して東武動物公園に向かっていった。
 
雨が降ってきた。亜矢は傘を持ってくるのを忘れたので木の下に入り、プレゼントを抱えて待ち続けていた。
 
徹朗はタクシーに乗って動物公園へ向かったが、渋滞に巻き込まれて進まなくなったので足早にタクシーを降り、全速力で亜矢の元へ急いだ。
 
閉園時間が近づいても先輩は来ない。亜矢が下を向いて座り込んだときに誰が傘を差してくれた。
「...麻生くん!」
「何...雨の中ぼーっとしてんだよ。風邪引いて入院長引いても知らないからな」
傘を亜矢のほうに向けて濡れないようにする。
「あいつ...来ないよ」
「え?」
「急な用事が入ったと...さっき病院に連絡あった」
「麻生くん...それ言いにきてくれたの?」
「ああ。あのさ...お前、ペンギン知ってるか?」
「え?知ってるけど...」
コウテイペンギンっているだろ?子育てする夫婦は絶対に浮気しないんだって。オスが卵を温めているあいだ、メスはエサを探しに出かけるんだけど、その間、どんなに腹が減ろうが、吹雪にさらされようが、ずっと卵を守って待ってんだ。動物の親ってすごいよな
「...ありがとう、来てくれて」
「別にいいよ」
「私、本当は先輩来ないかもってどこかで思ってた。来ない方がいいのかもって」
「何で?」
「私、歩けなくなるんだって。言葉もだんだん発音がおかしくなって、何言ってるか分からなくなるんだって。最後は寝たきりになって、喋ることも、ご飯を食べることも出来なくなるんだって...」
 
亜矢は涙を流して、徹朗に問いかける。
 
「前に言ったよね、人間だけが欲張って余分に生きようとするんだって。...やっぱり欲張りかな?無理に生きようとするのは間違いなのかな?
徹朗は何も言葉を返せない。少しでも濡れないようにと傘を差してやることしか出来なかった...。
 
タイムマシンをつかって 過去にもどりたい
こんな病気でなかったら 恋だってできるのに
誰かにすがりつきたくて たまらないのです
 
 
(参考・どらまのーとドラマレビュー)