1リットルの涙
第3週 - 病気はなぜ私を選んだの -


ついに亜矢から「私の病気は何?」と聞かれた。母は少し頭が真っ白になったが、とっさに...
「...言ったでしょ?思春期特有のものだって。自律神経のバランスが崩れてるって」
嘘をついた。
「良くなるんだよね?」
「何言ってるの、おかしな子ね。大丈夫!」
母は優しい笑顔で娘の肩をポンと叩いた。

バスケの練習中にも反射が鈍くなったり、突然視界が暗くなることが多くなった。心ここに在らずの状態で、顧問にも「最近ぼーっとしている」と言われた。母の言葉を支えに不安を揉み消そうとしていた。

父と母は二人だけで今後の話をした。
「亜矢にはまだ言わないほうがいいと思う。病気のこと知らせるのは、まだ先にしたい。だって15歳なんて毎日がキラキラ輝いて人生でいちばん良い時じゃない?今はまだ、周りのみんなと同じ高校生活を送らせてやりたい」
「うっとうしいくらい明るくいような。笑って冗談かましてバカ言って、あいつのいちばん良い時がもっと楽しくなるようにな」

次の日、母はひとりで病院を訪ねた。
「だんだん歩けなくなるとか寝たきりになるとか、治らないとか...そういう言葉は亜矢にまだ言わないでやってほしいんです」
「ですが、いつまでも隠し通せませんよ...」
もう娘に病気のことを黙っておくことの限界が近づいていた。
「それでも...もう少しだけ希望を持たせてやりたいんです」
「その場しのぎのことを言ったってどうにかなるわけじゃないでしょう?娘さんの身体はますます...」
「そんなこと分かってます!」
母はつい感情を爆発させてしまった。
「でも...亜矢はまだ15歳なんです」
「じゅうぶん自分の生き方を考えられる年齢です。お嬢さんの人生に関わる大切なことなんです」
「とにかくお願いします。まだ告知はしないでください
母に深く頭を下げられ、水野医師は何も言えなかった。

放課後に亜矢は「合唱コンクールの曲」を録音したカセットテープを徹朗に渡した。徹朗はウォークマンにカセットテープを入れて聴いた。冨田が来る。
「まだウォークマン使ってんの?私もう新しいの買っちゃった」
「俺は物と女は大切にする男なんだよ」
亜矢は楽譜を見ている時に目がかすんだ。さらに手に持っていた指揮棒が床に落ちる。不調が顕著になってきた。

家に帰ると、アコが「友達と遊びに行くときのカバンと美術の授業で使う絵の具」を買いたいからお金がほしいと両親にせびっていた。
「今あるものでいいだろう」
父がタバコを吸いながら却下。
「ねぇー、愛しの頼りになるお父さん」
「よせよ、俺は君の買い物に付き合えるような男じゃないんだ。なーんてな、ダメだ!」
「ご飯食べたらガンモちゃんの散歩に行きなさいね」
「よーし、運動不足解消にみんなで散歩するか!」
「父さんと一緒に散歩とか死んでも友達に見られたくない!」
父がアコにデコピン。母は散歩に行くときに誰か誘うように提案。
「チカンに遭ったら大変だしな。アコはチカンに遭っても向こうから逃げていくだろうがな」
アコはふくれて子供部屋に戻っていく。

数日後、亜矢は放課後に先輩の河本に誘われてスポーツ店に買い物に出掛けた。そこで先輩からおそろいの靴紐をプレゼントされる。
「ありがとうございます!」
二人は喫茶店に寄った後、一緒に駅まで歩いた。
「これ、ありがとうございました」
「本当?良かった、ぼーっとしてたから疲れてるのかなと思って」
「あの...緊張しちゃって。こうして先輩と二人でどっか出掛けるの初めてじゃないですか」
「そっか。じゃあ...これは記念すべき初デートってわけか」
二人が照れくさそうにしていると向かいから子供が走ってきた。亜矢は体が硬直し子供とぶつかってしまう。

自分の体が自分のものじゃないような気がする
私は いったいどうなってしまうのだ

この頃は文字も上手く書けなくなっており、手がしびれることも多くなっていた。

この頃、徹朗は兄が亡くなった川がある秋田県大館のとある寺で行われている兄の法要に参加していた。

「うちは文系志望でしたが偏差値で東大医学部に行けと言われた」
「うちの息子はスタンフォードで博士号を取った」

親戚連中が子供の自慢話ばかりしている。
「馬鹿なんですね。成績良いっていう理由だけで医者になろうとするのは「俺は何も考えていない馬鹿」って言ってるように聞こえますけど」
徹朗は退室し、寺の外の駐車場で音楽を聴いた。

いちご白書をもう一度

いつか 君と行った 映画がまた来る
授業を抜け出して 二人で出かけた
哀しい場面では涙ぐんでた 素直な横顔が今も恋しい
雨に破れかけた 街角のポスターに
過ぎ去った昔が 鮮やかによみがえる
君も 見るだろうか いちご白書を
二人だけのメモリー どこかでもう一度

僕は 無精ヒゲと髪をのばして
学生集会へも ときどき出かけた
就職が決まって 髪を切ってきたとき
もう若くないさと 君に言い訳したね
君も 見るだろうか いちご白書を
二人だけのメモリー どこかでもう一度
二人だけのメモリー どこかでもう一度

この曲は亡き兄がよく聴いていた曲だった。ウォークマンにはマジックペンで「けいすけ」と名前が書いてある。兄の形見であった。
「戻りなさい。子供染みた真似をするな!」
父に怒鳴りつけられた。
「俺、一度もないから。医者になりたいとか思ったことないから」
徹朗は境内へと戻っていく。

日曜日、亜矢は家族に「マリと遊んでくる」と嘘をつき、病院へ行った。その時に一人の医師に話かけられた。
「麻生くんのお父さんなんですか?」
名札を見ると「麻生芳文、城南大学附属病院外科部長」とある。この間、息子と話していた女の子だと気づき話しかけてきたのだ。彼の嘘が本当であったことに気づく。
「真面目な顔してしれっと嘘言うから、私いつも引っ掛かっちゃって。ごめんなさい、お父さんに」
「いいや。でも、愛想のない奴で困るでしょう?クラスでも浮いてるんじゃないかな」
「いえ、人当たりは良いほうじゃないですか?一度、家でご飯食べたときに意外と妹たちと馴染んでましたし」
「徹朗が君の家で?いや...そう、君の家でごちそうになったんだ。それは世話になったね、ありがとう。今日はどうしたの?」
「私、ここの神経内科に通ってるんです。自律神経のバランスが悪いとかで...でも、今日はただのお見舞いなので」
 
亜矢は入院中の優花ちゃんの父のもとを訪ねた。そこに優花ちゃんの母もいたので、勇気を出して病気のことについて聞いてみた。
「人間の器官で体をスムーズに動かす命令を出しているのが小脳と脊髄で、その機能が上手く働かなくてキチンとした命令が筋肉に伝わらなくて思うように体を動かせなくなるの。でも、こっちが話していることはキチンと分かるの。考えたりすることに障害はないの...」
母の話を聞くにつれて、いま自分に起こっている異変が初期症状と思い当たることばかりだということが分かり、恐ろしくなってきた。いてもたってもいられず水野医師の診察室へ走った。

水野は食事のため休憩に出掛けているとナースから聞き、院内食堂に行くと、水野がいたので捕まえて話をすることに。
「初めて一人で担当した患者の男の子が相当な野球バカでね、仕事が山ほど残っているのにキャッチボールによく付き合わされたんだ」
食堂の大きな窓は河川敷に向いていて、地域の少年野球チームが練習している。
「そうですか」
「今日はどうしたの...僕に話があるんじゃないの?」
「先生...あの、私...」
中々本題に切り出せない。まごまごしているので水野は「何かあったら次の診察で言ってくれ」と声をかけた。亜矢は何も言い出せず食堂を後にした。

合唱コンクールの本番が近づいてきた。亜矢は立ちくらみ、楽譜が持てない、指揮棒を落とすといった症状が前よりひどくなっており、何も知らないクラスメイトからは「しっかりしろよ」と怒られてしまう。

気がつくと徹朗がいない。亜矢が理科室を訪ねると徹朗が何か作業をしていた。
「みんな練習してるよ、何してんの?」
「アクアリウムの観察記録。すげえよな、適度な生き物がいて、適度な水草があって、バランスが取れたアクアリウムって、それ自体で自活できる。こんなにちっちゃくても一つの生態系なんだよ」
ノートには事細かに記録がつけられている。
「ふーん、そうなんだ。この間、麻生くんのお父さんと病院で会ったよ。優しそうな人だね。麻生くんも将来お医者さんになるの?」
「俺、医者とか向いてないから。だいたい、人が死のうが生きようがどうでもいいよ。適当に死んで適当に生まれて、そうやって自然にバランスが取れてるんだし
水槽には力尽きて死んだ魚が浮かんでいる。
人間だって同じだ。別に無理して生き延びなくても
「...そうかな?」
「そうだよ」
「そうかな?そんな風に簡単に割り切れないと思うけど」
「何を?」
「生きるとか死ぬとか、バランス取るとか、そういう仕組みとか...そうですね分かりましたって、そんな風に人は簡単に割り切れないよ!」
「そういうのは人間のエゴだよ」
「エゴとかそんなんじゃない!違う!」
「だから、何が?」
「何がって...違うの!とにかく違う!」
「何むきになってるんだよ...」
「じゃあ麻生くんは自分の大切な人が病気になったり死んだりしても...それでいいって思えるの!?」
亜矢は号泣し部屋を飛び出していった。

「まっくろクロスケ!」
リカが台所から大きな声を出したので父が様子を見に行くとコンロの上の焼き魚から火が出ていた。慌ててガスを止めて母を探すと、母は子供部屋で亜矢の日記を必死に読んでいた。
「あの子...このごろおかしいでしょう?何か書いてないかなと思って...昨日もあの子、ぼーっとしてたから...もしかしたら、あの子もう...」
「やめろ!落ち着けよ、俺たちが取り乱してどうすんだ!」

この日、アコが珍しく上機嫌で帰ってきた。市の絵画コンクールに入賞したからである。賞状をもらったことを両親に伝えようとするが、両親は亜矢のことで動揺しているため話をまともに聞いてやれない。
「ごめん、後にして」
「いや、今!」
「忙しいから!」
両親の平穏でない状態に気づき、アコは多分話を聞いてもらえないと察し、子供部屋に入った。

8時近くなり、亜矢が帰ってこないことに対して両親は動揺してしまう。父は「学校まで自転車で様子見に行く」と言い出し...
「正気なの?過保護過ぎるよ二人とも!まだ8時前だよ?」
「あんたは黙ってなさい!」
「私、何か怒られるようなこと言ったっけ?」
「アコ、だいたいどういうつもり?家族のこと考えもしないで、いつもいつも一人で勝手なこと言って!」
父が母を諌める。母は感情的になっている。
「あーあ、そんなに優しくしてもらえるなら私も病気になりたいな」
「アコ!今、なんて言ったんだ!!」
「私も病気になりたいって言ったの!!」
「いい加減にしなさい!!」母はアコの頬を平手打ち。
「...なんでよ、おかしいよ。おかしいよこの家!!」
アコは子供部屋に閉じこもってしまう。

亜矢はこの頃、生物室に本を何冊も持ち出して自分に起きている異変を調べていた。そして調べるにつれて「脊髄小脳変性症」という病気ではないかと疑いが出てきた。

それについて調べると、自分に最近起こっていることばかり書いてあり、優花ちゃんの父の姿と恐ろしく重なる。「現在では進行を遅らせる以外に治療法がない」と書いてある...。疑問が確信へと変わる。

「誰かいるのか?」
急に声がしたので本を片付けて部屋を出ようとする。徹朗である。
「何してんだ、こんな時間に」
「...麻生くんは?」
「昼間死んでた魚がもしかしたら白点病かもって。もしそうなら処置しないと他の魚も死んじまうから」
「変なの」亜矢は小さく笑った。
「何が?」
「人が死ぬのはどうでもいいのに...魚は気になるんだ」
「...うるせーよ」
「...変なの、麻生くん」
徹朗が亜矢を見ると、彼女は下を向いて泣いていた。

徹朗が家に帰ると、父に「こんな遅くまで何をしていたのか」と聞かれた。
「ごめんなさい。友達と会ってた」
「あの子と会ってたのか?池内さんとかいう。夕飯までごちそうになったこともあるそうだな」
徹朗は自分の部屋に入ろうとする。
「お前、あの子と付き合ってるのか?」
「...そうじゃないけど」
「そうか...」
「どういう意味だよ」
「いや...いいんだ」

亜矢が家に帰ると両親が心配して駆け寄ってきた。
「ごめん。合唱の練習あったから」
笑顔で答えて部屋に戻った。家族は一安心。部屋のカレンダーには「合唱コンクール」「診察日」と書いてある。

合唱コンクール当日。舞台リハーサルの練習時に亜矢がいつもと同じ様子なので、クラスメイトたちは一安心。

徹朗と亜矢は会場外で話になる。
「お前...変だよ。昨日、俺に変なのって言ったろ?でも、お前も変だよ。いきなり泣くし、いきなり復活するし、池内って変」
「...今日ね、答えが出るの。聞かなきゃいけないこと。逃げずにちゃんと聞こうと思って。でも...それ聞いたら私、変わっちゃうかもしれない。今が最後なんだ、この私でいられるのも。きっと今が最後なんだよね」
「クイズ?何が言いたいんだよ」
「...だからさ、ちゃんと歌ってね。口パクしたらぶっ飛ばすから」
亜矢は満面の笑みを浮かべて会場に戻っていく。

両親が合唱コンクールに向かおうと身支度をしていると、チャイムが鳴った。母が出ると玄関先に水野医師が立っていた。
「今日の診察の前に、ご両親とお話がしたくて...」
父はリカを保育園に送り届けるために先に家を出た。母が玄関先で話を聞くことに。

「この前も申し上げました通り、主人も告知には反対しています」
「この間の日曜日にお嬢さんが一人で私を訪ねてきたんです。ご存知ありませんでしたか?」
「え...はい」
母の表情が一変。
「結局、何も聞かずに帰っていきました。池内さん...もう限界じゃないでしょうか、お嬢さんは一人で苦しんでいるんじゃないですか?」
「娘が何か気付きはじめているのは分かっています。でも、あの子を傷つけたくないのです」
「それは誰に対する優しさですか?」
「優しさとか、そんなんじゃありません。親だったら誰だって...先生には分からないでしょう?まだお若いし、お子さんもいらっしゃらないし」
水野は目を伏せて話を続けた。
「...返してよって言われたんです」
「はい?」
「ショウタくんという患者がいました。出会った時、彼はまだ小学生でした。はじめて一人で患者を任されて、緊張していた僕の気持ちなんてお構い無しに...患者というより友達でした。彼も同じく進行性の病でした。 彼の両親も「まだ10歳なのだから残酷な運命を知らせるのには幼すぎる。だから告知はしないでくれ」と希望していました。ぎりぎりまで知らせないでって...告知をしたのは発病から1年経ってからです」

水野は話を続ける。

「ショウタくんは、もう自分の足で歩けなくなっていました。治らないと知った時、彼は僕に言ったんです...「知っていたら、友達といっぱい遊んだのに、もっといっぱい走ったのに、野球も毎日やったのに、僕の時間を返せ」って。告知はしないでと言われた時、僕はどこかでホッとしていたのかもしれません。ショウタくんを傷つけたくなかったのではなく、本当は自分が傷つきたくなかったんです。確かに僕に子供はいませんし、親御さんの気持ちは分かりません。でも、お嬢さんに悔いなく生きてもらうためにどうすべきか、それを考えることは出来ます」

母は涙を浮かべて話を聞いている。

「15歳だから...まだ15歳だからこそ真実を話さなくてはいけないのではないでしょうか。まだまだ沢山やれることがある、だから話さなくてはいけないんです。大切な「今」をお嬢さんに悔いなく生きてもらうために...!」

亜矢のクラスの合唱コンクールが始まった。母は曲の途中で駆けつけ、父の隣に座った。
「...俺はただ、なるべく笑って、冗談言って、あいつのいちばん良い時期が、もっと楽しくなるようにって...、そう思ったんだけど...ごめん出来なかった。だって、あいつに隠し事してる間、俺...あいつの目、マトモに見れなかったんだ」
亜矢は指揮棒を振っている。父は涙を流している。

合唱コンクールが終わった後、徹朗は生物の観察のため学校に戻って理科室に行った。机には亜矢が忘れていった本が置いてある。メモ書きが挟んであったのでそのページを見ると...

脊髄小脳変性症
四肢の不自由 筋力の低下 寝たきり...
完治した例は現在 確認されていない

この日の夕方、亜矢は両親と一緒に診察を受けた。
「診察の前に今日は話したいことがあります。君の病気について今まで詳しい説明を避けてきたんだけど...」
「脊髄小脳変性症ですか?」
両親と水野が驚く。
「私の病気は脊髄小脳変性症なんですか?」
「...そうだよ」
「私、将来...優花ちゃんのお父さんみたいになりますか?教えてください...」
「ずっと先のことだけど...なる可能性が高いと思う」
疑問が事実へと変わった。亜矢は下を向いて涙をこぼした。鼻をすする音がする。
「亜矢...今すぐどうこうってわけじゃなくて」
母は娘の肩を抱こうとするが、娘は母の手を払った。
「...ひとつ聞いてもいいですか?」
消え入るような声で水野に問う。
「病気は...どうして私を選んだのですか?
泣き腫れた目で水野をまっすぐ見つめた。
「教えてください。どうして私を選んだの?」
娘の悲痛な質問に、水野と母はどうすることも出来ない。父は母の横で涙を必死にこらえていた。

病気は どうして私を選んだのだろう
運命なんて言葉では 片づけられないよ


(参考・どらまのーとドラマレビュー)

大館 (おおだて) (地名)
秋田県北部の市。豪雪地帯で険しい山々に囲まれた盆地に位置する。人口7万人。
いちご白書をもう一度 (曲)
バンバンの1975年のヒット曲。フォークソングの中でも名曲と言われており、今でも歌い継がれている。