1リットルの涙
第2週 - 15歳 忍び寄る病魔 -
 
 
脊髄小脳変性症。何らかの病変で小脳が萎縮し、そこに存在する神経細胞が破壊されていく。次第に身体を動かすことが難しくなり、完治した例はないという「不治の病」である。
 
診察した神経内科医である水野医師に、母は娘の検査データを借りたいと申し出た。セカンドオピニオンを求めるつもりだからである。
「お嬢さんが自由に動ける時間は限られています。限られた時間を有意義に過ごすためには、お母さんがお嬢さんの病気を認めることが必要です」
「娘が「不治の病」と言われて...そんなに簡単に納得したり、認めたり出来ません」
母の言いたいことはもっともだった。
「...とりあえず、進行を抑制する錠剤を処方します。毎晩服用させてください」
 
その頃、学校はお昼休み。亜矢はマリと早希とお弁当を食べていた。彩り良く野菜が入っていて手間隙かけて作ったものだとすぐに分かる。
「いつも亜矢の弁当って美味しそうだよね」
「うちのお母さんは保健師だから。栄養のこととかうるさくて食事のことだけは絶対に手を抜かないの」
 
亜矢は改めて冨田に合唱コンクールのピアノ伴奏をお願いした。冨田は渋っていたが、徹朗が...
「冨田、伴奏上手いじゃん。中学時代の合唱コンクールは冨田がやってただろう、やってよ」
冨田は徹朗と同じ中学校卒業だった。
「え、まぁ...あんたが言うならしょうがないか」
彼女はあっさりと承諾したので、亜矢はさっきまでの渋りは何だったのかと思ってしまう。
 
放課後のバスケ部練習の空き時間、マリと早希は「冨田は徹朗のことが好き」と噂していた。顧問が北高校との練習試合が決まったことを報告。部長が出場選手の名前を読み上げる。
「1年生から一人。池内亜矢... 以上のメンバーで」
新入部員として亜矢だけがスタメン入り。
 
その様子を2階から男子バスケ部先輩の河本が友達と見ていた。
「お前さ、あいつのこと選手としていいと思ってんの?それとも女の子としていいと思ってんの?
「いや...それは」河本は笑ってごまかす。
亜矢が河本に気づいたので、彼はガッツポーズで返事。憧れの先輩に祝福されて亜矢はご満悦。
 
「こんなことまで生物研究会の仕事かよ」
理科室で徹朗たちは水槽の生物に餌をあげていた。
「当たり前ですよ。僕たちが世話をしないと彼らは生きていけないから...」
別の部員が水槽内のゴミを網ですくっている。
「麻生、そういえばお前...麻生圭輔の弟らしいな。お前の兄貴もそうやって生き物の世話をしてたよ」
顧問も部屋にいた。
「ええ。去年、亡くなりましたけどね」
徹朗の言葉に顧問は「聞いてはいけないことを聞いた」と思ってしまう。
 
母は連日、別の神経内科を回って事実確認を行ったが望む答えを言う医師は一人もいなかった。
「城南大学で診てもらったのなら間違いないと思います。この病気を画像で判断するのは難しくないのです」
医師からはっきりと言われ、母は呆然としてしまう。
 
その日の夜、亜矢の入学式の日に撮った写真が現像できたと父たちははしゃいでいた。
「それぐらいの写真なら誰でも撮れたりして」
アコがいつものように憎まれ口を叩いている。
「アコもちっちゃい頃はこんなに可愛かったのになァ、いつからこんな憎まれ口を...」
昔のアルバムも開いてみんなで見てみる。
「うわー、これ幼稚園のお遊戯会のやつだね」
アコも笑顔で自分の懐かしい姿を眺めている。
「ただいま!」
亜矢が帰ってきた。台所で夕食の準備をする母は娘の顔をつらくて直視出来ない。
「お帰りなさい」
母は背を向けている。
「そうだ、今度の日曜日の練習試合ね、私メンバー入りしたの」
母の顔色が一変。父とヒロは大喜び。
「よし、ビールで乾杯だ!」
「お母さんも!」
母も笑顔で亜矢に駆け寄った。
「...なんか焦げ臭いよ」
アコの言葉を受け、母が「あっ!」と言い台所へ。焼き魚を焦がしてしまった。
「母さん、疲れてるみたいだね。私が手伝います」
「いいから早く着替えてきなさい」
「平気だってこんなの」
亜矢は気を利かして焼き魚を皿に乗っけて、居間のテーブルへ持っていった。が、やはり皿を落として割ってしまい、その破片が父の足に刺さった。不安が的中。
「大丈夫!?」
母が亜矢のもとへ。
「お前、心配する相手間違ってるぞ!」
この時、アコは「何かがおかしい」と思った。
 
麻生家でも夕食の時間。亜矢の家のように明るさはない。
「もうすぐ実力テストがあるそうだな」
「...はい」
「頑張らないとね。テストの結果次第で2年生からの特進クラスに行けるかどうか決まるんでしょう?」
「ちゃんとやれば医学部に合格できる。期待しているからな」
両親の話に一切耳を傾けずに徹朗は食事を残して、自分の部屋へ。
 
徹朗は部屋で亡き兄の事を思い出した。幼稚園の頃に家族でキャンプに行ったときに兄と話したことを。
「ウサギは単独行動が好きなんだ」
茂みには野ウサギがいる。
「ウサギは寂しいと死んじゃうんじゃないの?」
「いいや、逆に仲間が一緒にいるとストレスを感じるんだ。徹朗にそっくりだ」
「お兄ちゃんは動物のこと色々知ってて好きなら、動物のお医者さんになればいいのに」
「動物も好きだけど、人間の方が俺は好きだな」
 
母は亜矢に「ふらつきを抑える薬」と説明し、薬を服用させた。父がそのことを聞いてくる。
「おい、薬だの検査だの...何なんだよ」
「最近、亜矢が体がふらつくことがあるでしょう?念のために検査してもらったの」
「んで、結果は?」
「自律神経のバランスの乱れだって。思春期にはよくあることだって」
「...なら、心配ないんだな」
「なんともなかったでしょ?」亜矢と母が微笑む。
「うん。病院に予約入れてあるから、傷の消毒は部活前に行きなさい」
「わかってますよ」
「リカもほしい」
リカが薬をねだってきたので亜矢は「魔女の薬だよ」と言い、苦しそうな真似をしてごまかした。
 
夜中、子供たちが寝静まってから母は図書館で借りた医学書を何冊も読み、徹底的に調べあげ「望みは0ではない」と自分に言い聞かせていた。
「何してんの?」子供部屋からアコが出てきた。
「いや...どうしたの?」母は座布団に本を隠した。
「...トイレだけど。母さんは?」
「なんか寝そびれちゃってねェ...、早く寝なさいね」
アコはしばらく母の顔を見つめてトイレへ向かっていった。「何かがおかしい」と母が平穏ではないと思った。
 
亜矢は次の日、怪我の消毒のために病院を訪れた。その時に待合室にいた優花ちゃんという女の子と話になる。父親の見舞いで来ているらしい。手にはビニールボールが。
「ちょっと、お姉ちゃんと遊ぼっか」
病院のテラスでボール遊びをしたが、一瞬だけ手が動かなくなって顔面にボールが直撃した。
「お姉ちゃんも病気なの?」
「いいや。私は怪我したから消毒しに来たの」
私のパパもアゴに怪我したことあるんだよ
突然、優花ちゃんが一人の医師のもとへ走っていった。その医師は亜矢の担当医の水野医師であった。
「水野先生!」
亜矢がその光景を見ていると、彼女の父がナース付き添いで娘のもとへ戻ってきた。彼は電動車椅子に乗っている。亜矢に得体の知れない不安がよぎる。
 
母は乳幼児検診に来なかった家庭へ訪問指導に出掛けた。
「子育てで何かお困りなことはありませんか?」
「いえ、別に」
「3人もいらっしゃると大変でしょう。私も4人子供がおりますのでよく分かります」
「まァ、楽じゃないけど」
台所には食べかけのカップラーメンやレトルト食品が置かれていた。子供部屋では小さい子供がオモチャで遊びながらスナック菓子を食べていた。
「もうお昼は食べた?」子供は首を振った。
「これから作るところですから」
母親は投げやりな返事をしてポットに水を入れた。
「好きなものは何かな?朝は何を食べたの?」
「...カップ麺」
「ああ、そう」
「もういいでしょ!」
母親がキレてきた。すぐに話を切り上げようとする。
「小さいお子さんの食事って大変でしょう。栄養バランスも考えなきゃいけないし、好き嫌いしないように工夫も必要だし、毎日の食事や生活習慣ってとても大切なことなんですよ」
「うちの子供たちは病気ひとつしたことないし元気ですから。お構い無く」
「今元気だからって...これから先もずっと元気だって保証はどこにもないのよ!」
「何ですか!」
「...いえ、すいません」
 
亜矢は学校帰りに捨て犬と出会った。子犬でまだ小さい。眺めていると徹朗が来た。
「可哀想に。捨てられたんだろう。首輪もしてない」
「そうかもね...」亜矢は犬の頭をなでた。
徹朗は犬に菓子パンをあげた。
「遠慮せずに食えよ。俺たちはこうやってずっと生きてきたんだからよ」
「どういう意味?」
人間と犬は5万年前から一緒に生きてきた。人間が狩りをして生きてた頃に、猛獣が近づくと犬が鳴いて危険を知らせてくれたんだ。だから人間は安心して眠ることが出来た。その代わりに人間は犬に食べ物を与えた、そうやって、持ちつ持たれつ生きてきたんだ
「へぇー、そうなんだ」
 
母はその日の夜、借りてきた本の著者に「宮下昌行教授、特に専門とする領域は脊髄小脳変性症。治療法開発研究班の主任研究者である」とあり、すがる思いで宮下教授を訪ねてみることにした。
 
家族には「独り暮らしの高齢者宅の訪問」と嘘をつき、配達車を借りて宮下教授の病院へ。
 
家族はお留守番。居間でくつろぎながら話をした。
「亜矢、薬飲んだか?」
「あぁ、忘れてた」
「仕事でこんなに遅くなることなかったよね。もしかして不倫でもしてるんじゃないの?」
「親をからかうのもいい加減にしろ」
アコを小突き、父はタバコをふかす。机にはウエストを直すためにスカートが置かれている。
「また痩せたの?」
「そうみたい」
「どんなダイエットしてんのよ。何にもしてないのに痩せるとか変な病気なんじゃないの?」
「え、怖...」
 
母は千葉まで車を走らせて宮下教授のいる関東医科大学病院へ。母は娘のレントゲン写真を見せた。
「城南大学の水野先生には完治しないと言われました。でも宮下先生なら何か新しい治療法や完治したケースをご存知じゃないかと思いまして。手術とか薬とか何か方法ありますよね?」
宮下は険しい顔をし...
「私は神経内科医になって以来、この病気の研究を続けてきました。だが、気が付いたら30年の月日が経っていた。未だに有効な治療法が見つからないことに、じくじたる思いを抱いております」
「海外では何か良い治療法があるのではないですか?」
「今のところ、海外でも同じです。むしろ日本の方が研究が進んでいます」
残酷な現実を告げられ、母は動揺してしまう。
「...先生、あの子を助けてください。お金ならいくらかかっても構いません!私、どんなことでもしますから!」
「お母様、この病気は日常生活に支障をきたす可能性はありますが、ただちに命に関わる病気じゃありません」
「だからって...このままじゃあの子は」
「こうしている間にも研究は進められています。新しい治療法や薬の開発も徐々にではありますが、進んでいます」
「本当に...何も方法がないんですか?」
「まずは投薬とリハビリを開始して、この病気とどう上手く付き合っていくかということを考えていただいた方が良いでしょう。希望を捨てずに娘さんを支えてあげてください」
「先生...あの子はまだ15歳なんですよ?たった...15歳なんです」
「城南大学の水野くんは私の教え子の中で、最も優秀な医師の一人です」
宮下教授も胸が詰まる思いであった。
 
家に帰ると父と子供たちはもう寝ていた。テーブルに書き置きがあった。
 
母さん 仕事ご苦労さま
今日 ちゃんと病院行きました
アゴの傷はもう心配ないって
傷あともキレイに消えてるって
安心してね おやすみなさい
 
母は居間で一人泣き崩れた。
 
午前3時、父が寝ぼけ眼で寝室から水を飲みに台所にやって来た。
「なんだ帰ってきてたのか」
夫の呼びかけに全く応じない。
「あのじいさんどうだった?また入院か?近いうちに見舞いでも行ってやるか」
母は憔悴した様子でどこかを見ている。
「亜矢の病気ってね...脊髄小脳変性症っていうの」
「え、何が?」
「脊髄小脳変性症...」
「なんだ、その小難しい名前は」
「だんだん身体が動かなくなるって...」
「誰が?」
「...亜矢が」
「亜矢が...何で?」
妻が何を言っているのか理解できない。
「あの子、自律神経が崩れてるとか...そんなのじゃない」
「何だよ?その脊髄なんとかっていうのは」
「だんだん自分の足で立つのも難しくなって、車椅子になって、いつか寝たきりになって...」
「そんなはずねえよ。亜矢は元気じゃないか」
「文字を書くのも、しゃべるのも、難しくなるって」
「...治るんだろう?薬飲めば治るんだろう、な?」
母は泣きながら首を横に振った。
「手術したら治るんだろう?」
「治療法...ないって」
母は号泣。
「どこの薮医者に診せたんだ!他の医者に診てもらってこい!」
父は母を怒鳴り散らす。
「診てもらったわよ!本も何冊も借りて調べたの!この病気の第一人者にも会ってきたの!でも...今の医学じゃ治せないって...」
妻が机に伏せて号泣している。突然のことで状況が呑み込めない。
 
夜が明けた。この日は亜矢の高校に入ってから初の練習試合の日だった。
「おはよう!」
亜矢が元気に部屋から出てきた。父はつらくて娘を見られない。
「おはよう!今日の試合、頑張りなさい」
母は弁当を亜矢に渡した。
「...今日は家族みんなで応援に行くぞ」
父の提案にアコは「たかが練習試合に家族全員で行く必要ない」と言い、応援を拒否。
「ダメだ!」
父が声を荒げた。子供たちが驚く。
「全員そろって応援に行くんだよ」
「日曜くらいゆっくりさせてよ」
「行くのよ!」
母に強く言われ、アコは仕方なく応援に同伴。
 
亜矢は試合に出場し、コート内を走り回っている。父たちは大きな声援を送っていたが、アコは馬鹿馬鹿しくなり体育館の2階へ。
「...おかしいだろう。ちゃんと走ってるじゃねえかよ、あんなに上手いじゃねえかよ、なんで亜矢が!」
父は思わず涙をタオルでぬぐった。
 
亜矢は思わず転んでしまう。父が思わず駆け寄ろうと動くが、母に制止される。亜矢は自力で立ち上がって、試合に戻る。
「バカじゃないの、転んだくらいで」
アコは呆れて外へ行った。
 
亜矢は仲間に合図を送ってボールを受け止めようとしたが、身体が動かなくなった自分の真横をボールがすり抜けていった。背後にいた仲間の「亜矢!」の言葉に我に返り、ボールを相手から奪い返してシュート。シュートは決まって仲間も家族も大喜び。亜矢は自分の身体の異変を感じた。
 
試合後に河本先輩に話しかけられた。
「良かったよ。きっとレギュラー間違いなしだな」
「そんなに甘くないと思いますけど...」
「あ、まだ持っててくれてたんだ」
亜矢の腕にはリストバンドが。中学時代に河本にサインしてもらった宝物である。
「俺、合格発表で池内見つけた時...マジで嬉しかったんだよな」
「...えっ」
 
その日の帰り、亜矢は捨て犬のところへ。
「さっきね、河本先輩に褒められたんだ」
「良かったワン!」
背後から声がしたので振り向くと、徹朗だった。
「なんでいるの?」
「メシやろうかと思って」
「そう...またね」
亜矢はそそくさと帰ろうとするが、犬がついてくる。
「連れて帰ってあげたいけど、きっとダメだろうな」
「なんで?」
「うち、食べ物扱ってるから動物飼えないの」
雨が降ってきた。徹朗は傘を持っていたが、亜矢は傘を持っていなかった。亜矢は徹朗と相合い傘をして家に帰ることに。
 
「大事件!姉ちゃんが男連れてきた!」
きょうだいの言葉に父の表情が一変。
「あの...お姉ちゃんの彼氏ですか?」
ヒロが恐る恐る聞いてみる。
「違います。...はじめまして、麻生といいます」
「あ...そう。亜矢の父です」
父に睨みつけられて徹朗は固まってしまう。
「入試の日に助けてくれた子だよ」
「お前が!手つなぎ事件の男か!」
父がまた睨む。ア徹朗が子犬を抱いていることに気づく。
 
「ダメに決まってるじゃん
「でも可哀想だと思わない?」
「しょうがないじゃん。うちは豆腐屋だから動物飼えないの。ね、父さん?」
アコの返答に父は黙ったまま何も言わない。
「でも、雨降ってるし今夜だけでも」
「しつこいね。私だって小学校の時に野良猫拾ってきたけどダメだったじゃん!」
...いいわよ
母の言葉にきょうだいが驚く。
「今夜だけなんて言っても、一晩一緒にいたら情が移って手放せなくなるんだから」
「飼ってもいいの?」亜矢の目がキラキラしている。
「まあ...母ちゃんが言うならしょうがねえや」
父も母に同調。
「なんで、そーなるの!?」アコが立ち上がる。
「亜矢、ちゃんと世話するのよ?」
「ありがとう!」
「じゃあ、俺はこれで。全然楽勝だったじゃねえか」
徹朗が帰ろうとする。
「せっかくだから、晩ごはん食べていったら?」
「え、でも...」
「食っていきなさい」
両親の提案に徹朗は夕食を食べていくことにした。
 
「いつもこんな感じ?」
徹朗にとってにぎやかな食卓は初めて。亜矢は醤油瓶を取ろうとするが、距離がつかめずに手をバタバタさせている。父が慌てて瓶を亜矢に渡した。
「それって何かのギャグ?」
徹朗は何も知らないので笑っている。父は話題を変えようと犬の名前決めをしようと言い出した。
「豆腐屋だから「もめん」とか「あつあげ」とか...」
「もめん?木綿のハンカチーフって曲あったよね」
「ガンモとかは?なんかアニメでありましたよね」
徹朗の提案に父は渋る。
「あ!guguガンモみたいで可愛いかも!」
亜矢が賛成すると、両親は「ガンモで決まり!」と言い、犬をガンモと命名。アコは両親の亜矢に対する態度に不満たらたら。
 
次の日、両親は揃って水野医師のもとを訪ねた。
「...この病気についてまだご理解いただけませんか?」
水野医師もこんなことを言うのはつらかった。
「理解は出来ました。ただ、気持ちがついていかないんです」
母はまっすぐな目で水野医師を見た。
「私は保健師として何度注意しても酒やタバコをやめない人たち、子供にろくな食事を与えない親、そういう健康を省みない人たちを指導してきました。だから自分の家族の健康については人一倍気を使ってきました。うちは共働きで子供も4人いますが、どんなに忙しくても食事だけは絶対に手を抜かないように15年間やってきたんです。なのに...どうして亜矢なんですか?どうして!」
母は嗚咽して、言葉に詰まってしまった。父が続ける。
「昨日、亜矢はバスケの試合に出たんです。まだ一年生なのに先輩より上手いからって...めちゃめちゃ格好良かったですよ。足も速かったし、シュートだって決めたんです」
父の目には涙が浮かんでいた。
しかしね先生、まだ娘は15歳です。たったの15歳なんです!娘はこれから大人になって、色んなことに挑戦できるはずだ。そんなこと信じられるはずがないでしょう?
「...たいへん申し上げにくいのですが、残念ながら事実です」
残酷な現実が背中に重くのしかかる。
 
この日の帰り道、夫婦だけの話に。
「病気のこと知ったら...あいつ、どうなるんだ。言えるわけないだろう、人間ってのはそんなに強いもんじゃないんだ。15歳の娘にそんなこと言えるかよ
「あなた...つらいけど、私たちがあの子の病気を理解して向き合わなくちゃいけないのかも。あの子のためにも」
 
亜矢は一人で水野医師の診察を受けた。日記帳を差し出して病状報告。
「よく書けていますね。これで症状がよく分かります。これからも続けてください」
「え、これからもですか?」
引き続き病状を書くように言われ、不安になる。
「薬も今まで通り服用してください。それから、ふらつきをある程度コントロールするために簡単なリハビリをしてもらいます」
リハビリ...?」
 
亜矢はまた優花ちゃんと会った。両手に買い物袋を持っていて重そうにしていたので父の病室まで持つのを手伝ってあげた。
 
母は亜矢に病気のことを言うのを渋っていた。
「どんな病気でも患者さん本人が自分の病気を理解することが治療の第一歩なんです」
水野医師は強いまなざしで母を見た。
「...わかっています。でも告知はまだしないでください」
「お嬢さんは非常に聡明な子です。いつまでも隠し通せないと思いますが...」
「お願いします。あと少し...あと少しでいいんです!
母は必死に頭を下げた。
 
「パパ、このお姉ちゃんが手伝ってくれたんだよ」
病室に入ると、大きな可動式ベッドに横たわり、痩せ細った優花ちゃんの父がいた。ベッドに名前が書いてある。
 
主治医 水野宏 (神経内科)
 
父は言葉を話すことが出来ないのか、五十音の文字盤を使ってコミュニケーションを取っている。自分の主治医が担当している患者の様子...、また亜矢の不安がつのる。
 
ある日の通院帰りに母と話になった。
「薬飲んだり、リハビリしたり、大変だと思うけど頑張ろうね」
「...うん」
「バスケの試合って今度いつ?」
「まだ決まってない」
「また応援行くから。部活頑張りなさいね。そうだ、ガンモちゃんの予防接種もしなきゃね」
「ねぇ、母さん?」
「うん?」
私の病気って何?
亜矢は遂に本題をぶつけてきた。母は頭が真っ白になり、その問いに答えることはなかった...。
 
お母さん 私の心のなかにいつも
私を信じてくれる お母さんがいる
心配とか いっぱいかけちゃうかもしれないけど
これからも よろしくお願いします
 
 
(参考・どらまのーとドラマレビュー)
 
木綿のハンカチーフ (曲)
1975年にヒットした太田裕美の曲。
guguガンモ (テレビアニメ)
1984年にフジテレビで放送されていたアニメ。