2004年6月1日12時過ぎ、給食時間を迎えた長崎県佐世保市の市立大久保小学校のとある6年生クラス、担任が点呼を取ると女子生徒が2人いないことに気がついた。
12時40分頃にその生徒がひとり帰ってきたが、不自然に服に血が付いていた。担任が言及すると「私の血じゃない」と叫んだ。もうひとりの生徒のことを質問すると、その生徒は少し離れたところにある「学習ルーム」という部屋を指差した。
担任が学習ルームへ行くと、そのもうひとりの生徒が首から大量の血を流して横たわっていたのだ。すぐに119番通報をしたが、すでに心肺停止状態だった。血を付けて帰ってきた生徒に事情を聞くと「カッターナイフで切りつけた」という返事が返ってきた...。
小学生に及ぼす影響力とホームページ
加害者は両親、祖母、姉の5人暮らしで、家は佐世保の山間部にある同じ名字の多い血の濃い集落にある。父が婿入りするかたちで佐世保市に移り住んだ。
加害者が2歳の頃に父が脳梗塞で倒れて寝たきりになった。リハビリで回復したが、母はパート、祖母は農作業をしに畑に出るので、ひとりで遊ぶことが多かった。
小学4年生の時に、被害者が転校してきた。クラスは1学年1クラスと田舎によくある単学級なので自然と仲良くなった。
その頃から映画「バトルロワイヤル」や関連する小説を好んで見るようになった。内容は小さな島に中学生が閉じ込められて、最後の一人になるまで殺し合うという残虐な描写があるため、R15指定がされている。小学生の加害者は強く影響を受け、姉の名義のレンタルカードを使って何度も見るように。ホームページやランドセルの中にあったノートには「バトルロワイヤル」そっくりの自作の小説が書かれていた。ちなみに映画の中で被害者と同じ名字の中学生が殺されるシーンがある。
小学5年生の2月から加害者はホームページを立ち上げている。小学生とは思えない出来映えで、被害者含む友達らにもホームページの作り方を教えたりしていた。また4月には掲示板も開設している。
5年生から加害者はミニバスケットボールをはじめた。しかし成績が落ちはじめたので親から辞めるように言われた。後日、彼女は泣きながら退部を申し出ている。この時ブログには「私には親なんかいない」と書いている。後にメンバーに欠員が出たので試合に出てくれと要望を受けたので2日間の大会に参加。みごと優勝している。ただ彼女のバスケの活動はここで終わっている。
加害者は3月頃から様子がおかしくなり、机を蹴ったり、男子に対して叩いたり蹴ったりするようになった。さらに事件の1週間前には男子にカッターナイフを振り上げるという奇行に出ている。その日のブログには「うぜークラス下品な愚民や高慢でジコマンなデブスやカマトト女しったか男寝言言ってんのか?って感じ顔洗えよ」と日頃の不満とおぼしき内容が書かれていた。
5月27日、「おんぶごっこ」なる遊びをしていた時に被害者から「重い」と言われた。加害者はバスケを辞めてから太ったことを気にしていたため謝罪を要求したが、その日の掲示板に被害者から「言い方がぶりっ子だ」と書かれている。加害者はその日のうちにそのコメントを削除した。その時から2人の関係は険悪に。
これ以前にも色々と掲示板で被害者から書き込みがあったので仲直りするという判断はなく、パスワードで被害者のホームページに侵入し、アバターを削除するなど「荒らし」と呼ばれる行為を行っている。
12歳による殺人の実行
殺害2日前、加害者は殺人の意志が固まっていた。絞めて殺すか、アイスピックで殺すか、カッターナイフで殺すか、3つの選択肢を自分なりに考えた結果、カッターナイフを選んだ。理由としては首を絞めたり、アイスピックで刺しただけでは被害者は死なないだろうと考え、消去法で決めたという。
そして、加害者は被害者を学習ルームに呼び出し、カーテンを閉め、被害者を椅子に座らせてタオルで目隠しをしようとしたところ拒否されたため、後ろにまわって手で目隠しするようにして右頸動脈をカッターで切りつけた。これも「バトルロワイヤル」で実際に行われた殺し方である。彼女が動かなくなるまで15分待ち、足で蹴っても何も反応がないのを確認し、被害者の死亡を確認した。
事件後の取り組み
7月9日、全校生徒174人を対象にアンケートを取った。精神科医や臨床心理士によるPTSDの面談調査で67人に何らかの症状があり、うち7人は症状が重く、フラッシュバックを起こした生徒もおり、専門医による治療がすすめられた。
さらに学校側は事件を思い出させないようにと学習ルームの撤去工事を行った。
さらにホームページを作っていたことにより加害者の画像や個人情報が出回る事態になった。
加害者のその後
長崎家庭裁判所佐世保支部は84日間にわたり加害者の精神鑑定を行った。
最終的に栃木県氏家の自立支援施設の特別室に収容され、対人関係の作り方や感情のコントロールをつかむプログラムを受けることになった。医師からは「アルペルガー症候群」と診断された...。