ジョンレノン射殺に関する偶然をひとつ
ジョンは1980年12月8日、スタジオ活動を終えて車から降りた時に自宅前でマーク・チャップマンという男に呼び止められ、5発の銃弾を食らう。そのうち4発は心臓や肩などを命中。致命傷を受けて「撃たれた」と2度叫びながら自宅玄関前で倒れ込んだ。
すぐさま警備員がそれに気づき、警察に通報。すると数分で警官が到着した。
警官が駆けつけた時、まだジョンは奇跡的に意識があった。もうろうとする意識のなか「俺はジョンレノンだ。背中が痛い」と主張し、やがて気絶した。
病院に緊急搬送され、医師たちによる心臓マッサージや輸血が行われたが、全身の8割の血液を失い失血性ショックにより銃弾を受けてから1時間後に亡くなってしまう。偶然にも亡くなった瞬間に病院内に流れていたのはビートルズの「オールマイラヴィング」だったという。
ちなみに犯人のマークは警官に「お前は何をしたのか分かってるのか」と言われた際に「ごめんよ、君たちの友達だとは知らなかったんだ」と言い、抵抗しなかったという。
マークは州法により無期刑が言い渡された。しかしファンや遺族からの希望により、仮釈放は1度も行われておらず事件発生37年が経過するが現在も刑務所に収監されている。
ちなみにビートルズのメンバーはジョンの死を聞き、リンゴは妻とともにニューヨークに駆け付け妻のオノヨーコとジョンの息子を気遣ったという。ポールとジョージは彼を追悼する楽曲を作成している。
ローリングストーンズのギタリストであるキース・リチャーズは「ジョンを殺した奴を俺が必ず撃ち殺してやる」とコメントしている。