安室奈美恵とは
1977年沖縄生まれ。1992年にデビューし、ダンスのキレの良さには定評があった。1995年に小室哲哉プロデュースにより一躍トップアーティストに。レコード大賞2年連続受賞など輝かしい過去をもつが、本日をもって活動を休止し引退してしまう。悲しい😢
悲惨な過去
これは30代から上は知っている出来事だが、若い世代は知らないので風化してはいけないことなので載せておく。
レコード大賞受賞、シングル曲やアルバムがや立て続けにミリオンヒット、私生活でもTRFのSAMと結婚し、子供を出産するなど順風満帆な生活を送っていたが....
1999年3月17日午前、沖縄県国頭郡大宜味村で48歳の女性が何者かに車にひかれ、ナタで殴られる事件が発生した。その女性は安室奈美恵の実母だった。
女性はただちに病院に搬送されたが1時間後に死亡が確認された。
犯人は義理の弟で犯行後、山中で遺体で発見された。農薬による服毒自殺だった。
その日の正午、マスコミに事件の一報が入ったがあまりにもショッキングだったためデマと思った者もいたという。この日、飲料CMのイベントに参加する予定だった彼女には「お母さんが事故に遭ったらしい」とマネージャーから伝えられた。イベント関係者は彼女を心配しイベント開催を取り止めた。
マスコミは事件に関して騒ぎはじめた。イベント会場や所属事務所にマスコミが殺到し、混乱状態に陥る。彼女は急遽、仕事をキャンセルして沖縄に帰る用意をするように言われ、マネージャーが飛行機のチケットを修学旅行の時期と重なっていたためなかなか入手できなかった。
彼女はまだ状況を飲み込めていない。
午後3時ごろ、彼女は飛行機のチケットを取り、沖縄に本格的に向かう準備を整えた。羽田空港にはマスコミが詰めかけた。
1時間後、彼女は夫付き添いで羽田空港に到着するもマスコミに詰め寄られもみくちゃにされてしまう。夫はマスコミのカメラを手ではらいのけ前に進もうとするが、状況が理解できず混乱している彼女は憔悴しきっており、転倒してしまう。夫に支えられ搭乗手続きをしている時に声をあげて泣く姿が翌日のニュースで報じられた。
午後6時、那覇空港に着くと東京同様にマスコミが殺到したため、関係者出入口からパトカーの先導により警察署へ。
午後8時、警察署霊安室で無惨な姿になった母親と5分間の対面。警察からの事件説明も無言で聞いていたという。
一夜明け、新聞各紙やテレビなどでトップニュースに上がり芸能界に衝撃が走った。また実母が生前に執筆したエッセイがあったが、テレビなどの影響で出版社に注文が殺到し、その注文は6万部にも及んだ。
午後、実家での通夜のために彼女が到着。自宅前には警備員を配置し、周辺50mは立入禁止区間にするなど厳戒体制がしかれた。
彼女はあの晩、一睡もできなかったという。
翌日、火葬が行われ、ショックから彼女はふらついてしまい、夫に支えてもらった。彼女は涙ながらに母親の遺骨を拾い集めた。
翌翌日、告別式が行われ、芸能界の各方面から花束が贈られた。その場には仕事の合間を縫って小室哲哉も訪れた。
事件後、彼女が出演する番組には励ましや応援のメッセージが殺到。
3月29日、事件後初のテレビの出演を果たす。その番組は「HEY!HEY!HEY!」。観客席からはわれんばかりの拍手が贈られ、応援や、「安室ちゃんガンバレ」とプラカードを掲げて彼女をバックアップした。彼女は気丈に振る舞い、新曲を歌い上げた。この日はスペシャルで安室奈美恵に関心も高かったこともあり、視聴率は20.8%を記録した。
なお、四十九日にはマスコミへの配慮として参加していない。