五木ひろしとは....
日本を代表する演歌歌手であり、紅白歌合戦に40回以上出場。レコード大賞も2回受賞しているまさに演歌界の重鎮である。ディナーショーのギャラがすごいことで有名でもある。
もちろん五木ひろしにも下積み時代がある。
本名は松山数夫といい。幼少期は三重県鳥羽と 福井県美浜で育った。中学卒業とともに京都に上京し、歌手デビューをするために音楽事務所に所属した。そして1963年、数夫少年は歌手デビュー。実際のレコードがある。
この頃はまだ「五木ひろし」ではなく、「松山まさる」という芸名だった。当時16歳、念願のデビュー曲だったが当時は橋幸夫や坂本九が注目されていた頃だったため全く注目されなかった。この「松山まさる」名義で何枚か曲を出したが泣かず飛ばずだったため、2回芸名を変更している。いずれも売れなかった。
さらに5年後に所属していた事務所が倒産。一文無しになり、東中野のアパートから机に入っていたフジテレビの食券を握りしめ当時社屋のあった新宿永田町まで歩いたことも。
そして1969年に現在の「五木ひろし」に改名。
2年後に「横浜たそがれ」が売れて一躍人気歌手に上り詰めた。
そして今日に至る。