最終回「命ってなんだろう(中編)」
未希は新生児集中治療室でいつまでたっても泣かない娘をじっと見つめていた。看護師が「部屋に戻って」と言っても「まだここにいる」と話を聞かない。
「術後の体なんですよ?無理してはダメです」
「大丈夫です。私は元気ですから....」
そして加奈子もその場にやってきて、看護師から未希が娘のそばから一切離れないことを説明された。
「若い母親って育児放棄するんじゃないかって思われがちなんですが、逆に立派な母親になろうって、頑張りすぎる方もいるんです」
加奈子が未希に話しかける。
「未希、部屋戻ろう。体休めなきゃ」
「平気。私....まだここにいる」
「なんで?」
加奈子が未希に質問すると、未希は「娘はミルクすら自分で飲めないから心配で仕方がないからここにいるつもり」と強い口調で加奈子に言い、保育器の前から離れようとしない。しかし加奈子に、
「それでも母親?こんな無理して、未希が参っちゃったらどうするの?この子の親はあなたしかいないの。もし、未希に何かあったら、そらはひとりぼっちになるのよ?この子の為にも体を大事にしなきゃ、これから2人でずっと頑張っていかなくちゃダメなのよ」
「2人で?」
「そう、未希とそらの2人で」
未希はじっとそらちゃんを見つめた。
その頃、静香は退院し、智志に体を少し支えてもらって病室を出る。
「これ、捨てるよ」
智志は静香が書いた遺書をごみ箱に破り捨てた。静香は横で成長した息子の顔を見て涙ぐんだ。
病院を出ると、1台の車が停まっていた。そこには波多野がいた。静香に手招きしてきた、送るつもりらしい。
「アンタ、罪滅ぼしのつもり?」
「いや、取材ですよ。15歳の父親と14歳の母親、この2人の間に産まれた子が、この日本でどうやって生きていくのか、それを世の中に伝えていきたいんです。あなたにも見届ける義務がありますでしょう?」
「興味ないわね」
静香が波多野の前を通りすぎたあと、波多野は静香に向かってこう言った。
「アンタのそのバカ息子、なかなか面白いやつですよ」
静香は波多野のほうを振り返り、智志のほうを見つめ、また歩き出した。智志も母の後を追う。波多野が優しい笑みを浮かべていた。
その頃、病室で未希が出生届に記入しようとしていたところ、マコトとひなこと健太がやってきた。
「出生届。これから名前、書かなきゃ」
出生届を見て、3人のテンションが上がった。
「何なに?もちろん「健一」だよな?」と健太。
「オイ、女の子なんだぞ。なんて名前にするんだよ」
「うるさいな~、今書くから」
未希が出生届に「一ノ瀬....」と書きはじめると3人もその文字を読み上げ出した。
「い、ち、の、せ....」
「あ~、なんか緊張しちゃう!」未希が言った。
「そりゃそうだよ。1人の人間が誕生する瞬間なんだからよ」とマコトが未希の肩をポンと叩いた。
『出生名 一ノ瀬そら』
「そら?変な名前だな~」と健太。
「うん!なんか大きくていい!」とひなこ。
「未希が決めた名前なんだもん。俺たちが口出しすることじゃない」とマコト。
「....ありがとう」
「お前すごいよ。頭も顔も大したことないけど、おっきな仕事したよ。ちょっと見直したよ」
「それ、褒めてないでしょ?」
「褒めてるよ、何言ってんだよ~」
そして、未希の退院の日。担任の遠藤が見舞いにやってきた。
「私は退院するんですけど、子供はまだしばらく....」
「でも、大きな経験したじゃない。私もまだなのに」
「あはは、そういえば....」
この日は、3学期の終業式だった。遠藤が笑顔で未希に通知表を渡してきた。未希がそれを受け取ると....
「一ノ瀬未希 出席日数
1学期 71日中71日 早退2回 2学期 76日中6日 早退1回
3学期 53日中0日 欠席日数 159日」
「今日をもって一ノ瀬さんは中等部2年生の課程を修了したわ。おめでとう」
「はい....」
「学校としては、子供が産まれるまで、答えを保留にしてきましたが、新学期を前に結論を出しました」
遠藤は未希に、自宅で子育てをしながら勉強し、定期テストの日だけ、学校に通学してはどうかと提案を出した。
「色々な意見もあるけど、校長先生は、彼女にはこの聖林学園で義務教育を終えてほしいって言ってるの」
未希は遠藤に頭を下げた。しかし未希はその提案を却下。未希は卒業したいのは山々だが、その為には高額な学費を要するため、公立で受け入れてくれる中学校を探すと言ってきた。遠藤は、
「ご両親はここを卒業してもらいたいって言ってるの」
「私もそう思ってました。でも子供の出生届を出して、子供の戸籍、うちに入るのかと思ってたら、違うんです。結婚してなくても、私と子供の2人で新しい戸籍になるんです、新しい家を別に作るような感じ。よそへ行くのは正直怖くて仕方ありません。だけど親にもう甘えてられないなって思ったんです」
未希は真剣な眼差しで遠藤に語りかけた。
その頃、一ノ瀬家ではあわただしく忠彦が会社に出かけていき、後を追うように健太も学校へ出かけていく。
健太は家を出たところで、近所の主婦たちに捕まった。
「ねえ、あなたのお姉ちゃん、いつ帰ってくるの?」
「今日....ですけど」
「赤ちゃんも一緒に帰ってくるのかしら?」
嫌味。加奈子は健太の忘れた給食着を持って、健太のもとへ走ってきた。
病院では、未希はそらちゃんに退院の報告をしていた。
「先に退院するから、いい子で待っててね」
「そらちゃんが退院したら、寝る暇もなくなるからね。今のうちにやりたいことはやっときなよ」と土田。
「はい。じゃ、行くね。そら。バイバイ」
すると、そらちゃんが泣き出した。
「そらが泣いた!ねぇ、泣いた!先生、泣いた!」
ところがその直後に、そらちゃんの呼吸がストップ。土田が医者を呼び出し、応急措置を取りはじめた。
「おい、至急チューブ持ってこい!急いで!」
「え....そら?........そら?」
未希は無表情になり、その場に呆然と立ちすくんだ。
その頃、加奈子は主婦たちに未希に対する嫌味を言われていた。
「何かと賑やかになると思いますが、どうぞよろしくお願いします」
主婦たちは自分の息子や娘が、未希のように中学生で出産することが当たり前のことなのか、子供ってどうやったらできるんだと質問してくるので困っている。もし子育てするなら引っ越してほしいと言ってきた。
「誰も知らない土地に行かれたほうが、赤ちゃんも伸び伸びできるんじゃありません?」
「はい、貴重な意見ありがとうございました」
加奈子が不機嫌な顔で家に戻ると、その苛立ちを畳んでいた洗濯物にあたった。
「出てけって言うの....?」
すると、未希から電話がかかってきた。
「そらが危ないの!」
「えっ?どういうこと?」
「とにかくきて!大変だから!」
加奈子が病院にかけつけると、
「呼吸が止まったみたいなの!」
土田が加奈子に説明する。
「細菌による感染が原因でしょう。未熟児は脳から「呼吸しなさい」っていう信号発信がまだ発達してないので、呼吸が不安定になるんです。抗生剤と呼吸促進剤を投与すればなんとか状態は安定するはずです」
「死んじゃうかもしれないんですか?」
「しっかりして、そらちゃんは頑張ってるんだ。一生懸命頑張ってんだ、アンタがいちばん応援してあげないと」
未希と加奈子がガラス越しにそらちゃんを心配そうに応援していた。
学校では、未希が学校を辞めたいということを遠藤は職員たちに報告していた。校長は驚きを隠せない。
「苦労を買いにいくようなもんですよ?私は今も学園に子供を産んだ生徒がいるのは許せません。ですが、一ノ瀬の将来については個人的に心配してるんです」と教頭。
「遠藤先生がこの中の誰よりも一ノ瀬さんのことを心配して、また信じているんです。教師にとって、いちばん大切だけどいちばん難しいのは生徒を信じることです。私も彼女が出した答えを信じたいと思います」と校長。
教室では遠藤がそのことを話すと、生徒たちが、
「無理だよ」「私たちが嫌なこと言ったからですか?」などと遠藤に詰め寄ってきた。
「私も最初はそう思ったわ。考えてみたの、14年後、赤ちゃんが14歳になったとき、一ノ瀬さんは何を話すのか。どんな14歳だったと言えるのか、彼女の生き方は決して賛成できるものじゃないわ。でも自分の子供に胸を張って、今日のことを話せる道を彼女は選んだんじゃないかしら」
病院の待合室では未希と加奈子がそらちゃんの無事を祈りながら、会話を交わしていた。
「私じゃ嫌なのかな?あんなに小さく産まれてきて、ミルクも飲めなくて、それで....また。私のところに産まれたくなかったんじゃないかな?もっと普通のお母さんのところに産まれたかったんじゃないかな?」
「未希はどうなの?そらちゃんが普通に産まれて、普通に成長してくれなきゃ、可愛くない?心配じゃない?」
「すごく心配。なんでかわかんない、喋ったこともないのに。信じられないくらい大好き」
「そらちゃんも同じよ。きっと」
「そうかな....」
未希のもとに誰かやってきた。
「一ノ瀬....」
未希が振り向くと、智志が立っていた。
「キリちゃん!」
未希は智志と病棟の外のテラスへ行き、そこでこれまでの思いを吐き出した。
智志は今日が卒業式だったらしく、証書を入れた通学カバンを持っていた。
「ごめん、子供が大変なときに、俺だけ」
「ううん、何もできないし。赤ちゃんね、ちっちゃいでしょ?私、まだ一回も抱っこしたことないんだ」
「なんで?」
「オムツも替えられないし、ミルクもあげられないし、いるだけで何もできないんだ。情けないよ」
「そんなことないよ!命がけで一ノ瀬が産んだんだ、俺、一ノ瀬が手術して目が覚めなかったとき....来たんだ」
「えっ?」
智志は未希に合わす顔がなく、仕方なく立ち去ったときの思いを未希に話した。
「でも、今日は会いに来れた。俺、働くんだ」
「高校は?」
「行かない!」
「....いや、でも」
「親のことなんて関係ない。俺、少しでもいいから、お金稼いで、子供に送りたいんだ!だって、俺と一ノ瀬の子供なんだ。そうしなきゃ、いや、そうしたいんだ!」
「でも....」
「俺は今までずっと親の言う通りに生きてきた。いつも、今の俺は俺じゃないって思ってた。でも、一ノ瀬といるときだけは俺だった。いつも、一ノ瀬といるときだけは、空が綺麗だなって思った」
二人は空を見上げた。清清しい雲ひとつない快晴。
「なんかカッコいいこと言おうとしたみたいで、恥ずかしいけど、でも、マジなんだ」
「私もだよ。キリちゃんといるとき、すごく空が綺麗だなっていつも思ってたよ。だから、だから....私」
そこへ加奈子がやってきて、そらちゃんの状態が危険を脱したことを知らせにきた。
新生児集中治療室に3人で向かった。
「抗生剤が効いて、感染症が落ち着きました。もう、危険な状態を脱したと考えてもいいでしょう」
「ホントですか!」
「そらちゃん、頑張ったよ」と土田。
「ありがとうございます!」
未希はドアが開くなり、すぐさまそらちゃんのもとへ。
加奈子も微笑みながら、そらちゃんのもとへ。
「そら....ちゃん?」
智志は赤ちゃんの名前をはじめて聞いた。
「一ノ瀬そらっていうの。青い空の「そら」。未希が一生懸命つけた名前なの」と加奈子。
未希が智志に笑顔でうなずくと、智志もそれに笑顔でうなずいた。
そらちゃんが大きくて元気な泣き声をあげた。加奈子は智志をそらちゃんの前に連れてきて、未希と並ばせた。
「俺の....子供」
「うん。私とキリちゃんの子供」
智志ははじめて巻き起こる感情とともに、そらちゃんをまっすぐな目で見つめていた....。
(参考・どらまのーと)