最終回「命ってなんだろう(前編)」
未希ははじめて我が子と出会い、小さな手で指を握られたことが嬉しくて仕方がない。病院の渡り廊下を歩く未希のもとに加奈子がやってきた。未希が話しかける。
「お母さん、会ってきたよ。赤ちゃんに」
「どうだった?」
「私、赤ちゃんの名前....決めたんだ」
「なんていう名前?」
未希が人差し指で空を指して、こう言った。
「そら」
「そら?」
「うん。青い空の....「そら」にするんだ」
未希は新生児集中治療室に向かい、名前が決まったことを土田に報告することに。保育器に書かれている「一ノ瀬ベビー」のところが「一ノ瀬そら」に書き換えられた。
「そらちゃんか....いい名前だ」と土田は微笑んだ。
「ちょっと変わってるけど、すごくいい名前よ」と加奈子も微笑む。
「うん。ずっと考えてたんだ。顔を見たらピッタリだと思って。お~い、そら~」
「お母さんが呼んでるぞ~」と土田も赤ちゃんに話しかける。
「先生、いつか青い空の下を一緒に散歩できるよね?」
「うん。もちろん」
「ちゃんと教えてください。私、まだ14歳だけど、この子の親だから」
「じゃ、説明するよ。そらちゃんはまだ自力でミルクが飲めないんだ。今は胃にチューブを入れて栄養を入れてるんだけど、自力で栄養をとれるようにならなくちゃ退院は難しいかな」
「じゃあ、ミルクが飲めるようになったら家に帰れるんですよね?」
「すぐには無理だな。体重がとりあえず2500を越えなくちゃ退院はできない。小さく産まれた子供は、肺炎とか感染症にかかる可能性が高いから」
「どれぐらいかかりますか?」
「今の様子だと、早くて1ヶ月、もしくは2ヶ月」
「ってことは、私だけ先に退院するんですよね?」
「そういうことだね」
未希は無言で心配そうにそらちゃんを見つめた。
「あの、私にできることはありますか?」
「そうだな、まず母親自身が充分栄養をとって、しっかり回復すること。そして、もし母乳が出たら届けること。あとはお医者さんを信じて、任せてもらうしかない」
「....わかりました」
加奈子は未希と別れたあと、静香がお祝い金を渡しにきたことを忠彦に説明した。
「なんだこの金。アイツらは借金で身を隠してるんだぞ?そんな金がどこから沸いてくるんだよ」
「おかしいわよね。桐野さんの住所教えてくれない?私返してくる」
「なんで加奈子が?」
「気になるの。うまく言えないけど、すごく気になる」
加奈子はバッグにお祝い金の入った封筒を入れ、桐野家が身を隠すアパートへ向かっていった。
病室に忠彦が未希の様子をうかがいにいく。
「お母さんは?」
「うん。なんか疲れてるみたいだから、帰るって」
「ふぅ~ん」
「なんだよ未希、そんなにお母さんお母さんって言うなよな。今日はな、未希に渡すものがあるんだ」
忠彦は一枚の紙を未希に渡した。未希がその紙を見ると出産届だった。
「来週中には出さなきゃいかん。未希が産んだ子なんだから、自分で書いたほうがいい」
「ありがとう」
「ああ。色々あったが、無事に産まれたことはやっぱり身内としては祝わなきゃいかんだろう」
「ありがとう。でも、ねぇ....もう帰って」
「えっ?何で、せっかく仕事を早引けして....」
「今から搾乳するの!」
忠彦はその仕草をジェスチャーで確認し....
「母乳を届けなきゃいけないの。男の人がいたらできないでしょ?」
「そりゃそうだ。すまない。じゃ俺は帰るからな、頑張れよ、未希もお母さんなんだからな」
忠彦が病室を出ていき、未希は搾乳をはじめた。が、また出が悪いのか、母乳が出てこない。
「痛い....ダメ...かな....」
その頃、静香の潜伏先のアパートに着いた加奈子は、
「すいません、一ノ瀬ですが。桐野さん、いらっしゃいますか?」
ベルがないのでノックすると、智志がドアを開けた。
「こんにちは、お母さんはいますか?」
智志の顔がやけにこわばっており、なんだかワナワナしている。口を動かして何か伝えようとしているが声が震えて
言葉が聞き取れない。
加奈子はただならぬ様子を察知し、部屋に飛び込んだ。
すると、風呂場で静香が血を流して倒れていた。
「桐野さん!桐野さん!大丈夫ですか?救急車、救急車呼びなさい。早く、しっかりしなさい!男でしょ!」
智志はその言葉を受け、我に返った。
静香のすぐ横には一枚の手紙があった。
『智志へ、ママは逝きます。借金はママが死ぬことで処理できるから心配いらないわ。これを読んだら、弁護士に連絡しなさい。あなたが大学を出るまでのお金は保険金でたぶんまかなえるから。ごめんね、智志。一人でも立派な人になって、幸せになるのよ』
アパートに間もなく救急車がやってきて、静香は病院に搬送された。リストカットによる出血多量だった。
その頃、未希は病室で一生懸命搾乳をしていた。しかし痛いだけで全く母乳が出てこない。が、その時、未希の手に白い液体が落ちてきた。母乳だった。
「え、これ....やった、出た!そらちゃん、やったよ!」
未希が嬉しそうに母乳を哺乳瓶に入れて、そらちゃんのもとへ届けにいく。
「頑張れよ、飲めるかな~」土田が哺乳瓶をそらちゃんの口元へ持っていくが自力で飲む力がまだない。
「あの、もう一回やってみてください」
「無理して、肺に入ると....死ぬかもしれないから」
未希が無言になってしまった。
「大丈夫。貴重な母乳だから、ちゃんと飲ませるよ」
土田がチューブに母乳を入れ、そらちゃんに飲ませた。
すると、未希の横で別の赤ちゃんが泣き出した。
「先生、この子はちゃんと育つんでしょうか?もっと小さくても、自分で飲める子はいっぱいいるのに、そらはまだ寝てるだけで、ちっとも泣きません。赤ちゃんって泣くのが仕事なんじゃないですか?」
「君の言う通りだ。でも、焦っちゃダメだ」
「でも....」
「大丈夫。この子はちゃんと育つ。心配しないで」
静香は記念病院に搬送され、一命を取りとめた。
警察もかけつけ、加奈子と智志は一礼した。
「良かったわね。助かって」
「はい。はじめて見ました、母の寝顔。いつも朝から晩まで働いて、僕、正直言うと、小さいときは「お母さんは寝ない人」なんだって思ってたんです。表じゃ偉そうな顔してたけど、家では信じられないくらい努力してました」
「そろそろ、失礼するわ。あなたも見たことない寝顔を赤の他人の私に見られたと知ったら、きっとお母様は嫌がるだろうし」
加奈子はそう言い、病室を出ようとした。その時、
「待って。どうして助けたの?私が死ななきゃ、智志はマトモな生活が送れないのよ?」
目を閉じたまま、静香が加奈子に問いかけた。
「でもあなたが死んだら、息子さんが」
「何がわかんのよ。アンタみたいな世間の苦労も知らないような主婦に」
静香は起き上がり、加奈子をにらみつけた。
「私は感情的に死のうとしたわけじゃないの。会社がダメになって、これ以外に智志を守る方法がないって判断した結果なの。部外者は入ってこないで」
「お仕事のことはよくわかりません。でもあなたがいなくて、息子さんは幸せになれるんでしょうか?」
「フン。また綺麗事。いい加減にしなさいよ」
「未希が言ったんです。お父さんのいない子供を産んでどうするのって....」
-桐野くんってお父さんいないでしょ?でも、全然曲がってないし、優しいし。心は強いよ-
「あなたがいたから桐野智志はいるんです。だから、死ぬなんて考えるのはもうよしてください。私と未希と産まれてきた赤ちゃんからのお願いです!」
加奈子がそう言い、病室から去っていった。
「フン....だから....なによ....」
智志は静香の目から涙がこぼれ落ちるのに気づき....。
(参考・どらまのーと)