【概要】
1979年10月27日、岡山県倉敷市の琴浦東幼稚園に通う6歳の少女がアパートの空き部屋から遺体で発見される事件が発生した。
【殺害概要】
10月27日午前10時20分頃、同市で衣料品の行商業をしている父親(当時46歳)の長女が、自宅から150mほど離れたアパートの空き部屋の押し入れの中からうつ伏せになって死亡しているのがわかった。その後、岡山県警が周辺で聞き込み捜査をしたところ、被害者宅から50mほどしか離れたところに住む小学6年生の男児が浮上してきた。
【殺害動機】
事件前日、彼女は自宅近くの公園でその男児を含む小学生何人かと砂遊びをして遊んでいた。
夕方、小学生たちが家に帰っていき、男児は彼女と二人きりになった。男児は「釣糸を探しにいこう」と彼女を連れ出した。
そして、何度も行ったことのあるアパートの空き部屋に彼女を連れ込み、裸にしてイタズラをしようとしたところ、彼女が大声で泣きだしたので、脱がしたブラウスで彼女の首を絞めて絞殺した。殺害後、男児はブラウスを彼女の上半身にかけて、その場から去ったという。
彼女の両親は暗くなっても帰ってこないのを不審に思い、午後7時頃に捜索願を出している。しかし、その日のうちには彼女は見つからず、翌朝、地元民や警察官など100人を動員して捜索したところ、遺体が発見された。
同日午後2時頃、男児は警察署に身柄を移され事情を聞かれた。しかし男児は容疑を否認し「帰って宿題をしなくちゃいけない」「証拠はあるのか」などと反論していたが、アパートから男児と同じ靴の足跡があったことや、2人が歩いていたという目撃証言があったことから、自供をはじめた。
「女の子の体が見たかったので、空き部屋に連れ込んで、服を脱がせて裸にしたら「お母さんに言う」と言って泣き出したので首を絞めて殺しました」
【参考・オワリナキアクム】