第3話「さよなら、私の赤ちゃん」
「突然だけど....私、キリちゃんのこと好き」
未希が智史に告白した。
「ほんとに.... 突然だね」
「....キリちゃんは?」
「....なんで?」
「私、今まで誰にも好きって言ったことなかった。ていうか、一生言わないって思ってた。そんなのは漫画とか映画の中だけなんだって。でもね言いたくなったの。自分の気持ち。だから聞きたくなったの。キリちゃんの気持ちも。たとえ嫌いでも」
「....嫌いじゃない」
「それ....嫌いじゃないけど好きじゃないっていう....イコール?」
「イコールの方。....見んなよ。一緒だよ、気持ちは」
「....ありがとう」
「礼はいらないよ」
「そっか....」
未希は何か言いたげだ。
「どうしたの?なんか、いつもと違う....」
「うん。驚いたら....ごめんね」
「なに?」
「私ね....赤ちゃんができたの」
「は?」
「キリちゃんの....赤ちゃんができたの....」
智史は絶句。
その頃、桐野家では静香が妊娠の話を聞いていた。
「今、なんと言いました?」
「こちらの息子さんが父親だと申しあげました」
「それは....あり得ませんよね。突然押しかけてきて何を言うのかと思ったら。お引き取りください」
「ちょっと待ってくださいよ。マトモに話も聞かないでアンタね?」
母は興奮する父を制止。そして静香に...
「娘はハッキリと言いました。智史くんとお付き合いしてるって....」
「よしてくださいよ!付き合うもなにも息子はまだ中学3年生ですよ?15歳なんですよ?」
「娘は....14歳です」
「14歳で妊娠?自由に育ててらっしゃるのね、おたくは」
「誤解のないように先に申しあげておきますが、未希はいわゆるグレた子供、不良ではないんです。人並みにしつけもしてきました。今まで人様に迷惑をかけたことはたったの一度もないんです!」
「智史もですよ!うちは父がおりませんので人並み以上にそれに答えてくれてますの。そんな智史がよりによって女の子を妊娠させるなんて考えられませんよ。どうしても智史だっておっしゃるのなら証拠を見せなさい!」
「証拠?私たちが嘘をついているとおっしゃりたいのですか」
「いいえ。こういうことっていうのはね、本当のことを言いづらいもんなんじゃないですか?ましてや14歳ですよ?お嬢さんは、たまたま塾で知っている息子の名前を口にされただけなんじゃないですか?」
「娘がでまかせを言ってると?」
「いやいや悪くとらないでください。何か事情があるんじゃないかと言ってるんです。例えば本当の父親は人には言えないような相手ですとか。あるいは、愛情がないのにそういう相手と過ちを犯してしまったとか」
「...もう帰ろう。何言ってるんだアンタ!話にならんよ」
薄ら笑いを浮かべる静香。
「帰るぞ」
父が先に家を出ていく。母が静香に...
「あの、これだけは言わせてください。娘は、嘘やごまかしで息子さんの名を出したのではないと思います。未希は人を傷つけるような嘘をつく子ではありませんから!失礼します」
母は涙を浮かべながら部屋を出た。静香は険しい表情で見つめていた。
父がタバコを吸いながら車で待っていた。
「どうしたのよ。落ち着けって言ったのはあなたよ?」
「加奈子には耐えられるのか?あんな...自分の息子は無関係で、うちの娘は淫らみたいなこと言われて、お前は耐えられるのか!」
「最初は信じられないよ。私たちだってそうだったでしょ?でも話し合うしかないでしょ」
父は両手で耳をふさぎながら叫んだ。
「未希は本当にいい子なんだよ!明るくて可愛くて活発でおしゃべりでよく笑って!そうだろ!」
「そうよ。未希はいい子よ。誰よりも可愛い娘よ」
車を出そうとするが、動揺しているため車をバックさせてしまう。母が運転を代わる。
-未希....お父さんもお母さんも妊娠という事実に驚き、ただただ慌てふためいていました。あなたの将来に傷をつけないようにしなければ。そう焦るばかりで。本当は何も考えてなかったのです。でも未希?あなたは、一人立ち止まって考えていたのね、自分のしたことの重さを。そして、14歳のあなたに何が出来るのかを-
その頃、未希と智史は....
「なんか不思議だよね。ここに、キリちゃんと私の子供がいるなんて」
「....うん」
「どうしたらいいと思う?私、産みたいんだ。親には反対されるだろうし、お医者さんにもちゃんと育てられないなら産むべきじゃないって言われたし。そうするしかないってわかってるけど....でもそんなに、簡単にわかっちゃっていいのかなって」
「俺....ごめん....いきなりすぎてわかんない」
「....だよね」
「ただ、それがすごく大きな....大きなことなんだってことはわかる」
「うん」
「ちょっと考えていいかな真剣に。明日、ここで返事するから」
「わかった....待ってる」
翌朝、制服に着替え、未希はお腹をさすった。
そこに父と母がやってきた。
「今日、学校休みなさい。一緒に病院行くぞ」
「えっ....病院?」
「先生から聞いたでしょ?未希の身体に負担をかけないためにも一日でも早く手術した方がいいの」
「そういうことじゃなくて....私、まだ決めてない....」
「何を?」
「手術するかどうか」
「手術しないでどうするんだ。迷ってたら産むしか選択肢がなくなるんだ」
「....うん」
「『うん』って、何言ってるんだ。どうやって育てるつもりだ?父親がいない子になるんだぞ」
「彼が、面倒見る....って言ったら?」
「彼?いいか、未希。あっちの親は俺たちが行っても、付き合いすら認めようとしなかった。面倒見るわけないだろう」
「お母さんがどんな人か知らないけど、キリちゃんは逃げるような人じゃないよ」
「未希、私も女だから気持ちはわかるよ。わかるけど....子供を育てるって一生のことなの。産んでしまって嫌になっても、もう元には戻せないの」
「そんなこと....わかってる」
「ほんとにわかってる?おたがいまだ中学生なのよ、学校どうするの?仕事してお金もらえるの?ミルクとかおむつ買えるの?」
未希は黙ってしまった。
「こういう言い方はしたくないが、とにかく早く手術を受けなさい。それで手術が終わったら、今回の失敗は綺麗サッパリ忘れなさい。そうすればまだ若いから、きっとやり直せる。きっとだ!」
父の言葉に母もうなづいた。
未希は智史が今日答えを出すと言っていたことを思いだし、父に一言。
「一日だけ待って!今日、放送部のCDを学校に持っていかなきゃいけないの。だから一日だけ待ってほしいの」
父は少し渋ったあと...
「わかった。じゃ一日だけ待とう。明日、必ず手術を受けるんだぞ」
学校へ向かう未希を弟の健太が追いかけてきた。
「待てよ姉ちゃん!一体何なんだよ!みんな感じ悪いよコソコソして。俺だけ仲間外れにして!」
「別に。仲間外れにしてないよ」
「嘘つけ!何か隠してるくせに!何があったんだよ!」
未希は黙りこんだ。
「言えないような悪いことしたんだろ!だったら警察に自首しろよな!」
「健太、姉ちゃんね、悪いことはしてない。姉ちゃん、そう思っていいよね」
未希はそう言い、学校へ走り出した。
「どういうことだよ?」
その頃、智史はパジャマのままベットで横になり、未希への返答を考えていた。そこへ母がやってきた。
「ママ会社行くけど、風邪どう?病院行く?」
「 ....別にいい」
「夕べね、一ノ瀬未希っていう子の親が来たのよ。アンタと塾が一緒なんだって?」
「....そうだけど」
「私、開いた口がふさがらなかった。その女の子が妊娠して、その相手がアンタだって言うのよ。そんなことあり得ないわよね。だから言ってやったの、うちの息子はそんな馬鹿げたことはしないって。どうしてもっていうなら証拠を見せなさいって。そしたら尻尾巻いて帰っちゃった。証拠なんてあり得ないよね、どうかしてるよね。ママがちょっと目立つ商売してるからってあわよくば慰謝料でも取ろうとでも思ったのかしら。中学生で妊娠する娘も娘なら、親も親よね」
智史は何も言わない。
「馬鹿みたい。ママ、行ってくるわね」
玄関先で静香は秘書に息子の風邪の具合を聞かれ...
「長引くかもね....」
静香は先日の取材原稿のゲラを渡された。
『長男は名門校に通う秀才』
『未婚の母としても立派に子育て』
『息子の成長が生きがい』
「息子の成長が生きがい....」
静香はそうつぶやいたあと、家を出ていった。
その日の昼、未希はお昼の放送で冥王星の話をしていた。担任の遠藤は職員室でその話を聞いている。
冥王星を惑星にしちゃうと
他にも惑星にしなくちゃならなくて
キリがないからというのが理由らしいです。
でも、そんなの変ですよね。
冥王星を失格にするんじゃなくて
他のも惑星にしちゃえばいいのに。
別に数限りなく惑星があったって
困ることないじゃないですか。
だって冥王星も他の星たちもそんなこと関係なく
ずっとそこにあるんだから
同僚であり恋人でもある体育教師の原口が担任の遠藤に
「どうかされましたか?」と声をかけてきた。
「ちょっと一ノ瀬らしくないな、と思って」
「そうかな、元気な声出してたじゃない。ま、元気じゃなきゃ、一ノ瀬じゃないけどさ」
「さっきね、授業の前に、ちょっと顔つきが違ったもんで....」
「あれ?もう一生生徒のことで悩まないんじゃなかったの?」
「別に悩んでなんかないわ。面倒くさいことは嫌だなって思ってるだけ」
放課後、未希は友達のめぐみに様子がおかしいことを詰め寄られ、意を決して妊娠を告白することにした。
「軽蔑した?」
「ううん、友達だもん。でも正直信じられないよ」
「でも、ほんとなんだ、めぐ。まさかこんなことになるなんて思ってなかったけど、そんな言い訳は通用しないことなんだ」
「未希、本当に産みたいって思ってるの?友達として言う。やめた方がいい。親の言うことって大体間違ってるけど今回だけは正しいよ。早くおろしてナシにした方がいい。そんな罪の意識感じることないよ。だって犯罪じゃないもん。認められてることなんだから。それに、相手の子だって産んでいいって言う訳ないと思う」
「....そうかな?」
「当たり前でしょ。学校退学だよ?一生終わりなんだよ?男なんて勝手だから未希のことウザがるよ。うっとうしいって思われるだけだよ」
「決めつけないでよ。キリちゃんのことなんて何も知らないくせに」
「私は、未希が傷つくと思って....」
「傷ついてもいいの。それでも私は、キリちゃんのことを信じたいの」
未希はそう言い、歩き出した。
「何?自分だけ大人ぶって....」
めぐみがつぶやいた。
夕方、智史は着替えて家を出ようとしたとき、リビングに置いてあった原稿に気付く。その原稿を読み、母の息子に対する思いを改めて知る。
その頃、母の静香はというと出版社にいた。
「つまり、あなたの記事を差し止めろと?」
相手は波多野だった。
「はい」
「それは無理な話だ。ゲラまで刷り上がってるんですから」
「あんまりマスコミに出る機会が多いと本業で信頼を失ってしまいますので....」
「あれ?確かあなた、会社の宣伝になるからってこのインタビューを引き受けたんですよね?おかしなことを言いますね」
「編集長さん!」
「何ですか?」
「じゃあ本当のことを申しあげますね。実は息子から泣きつかれたんです。私があまり家のことを喋ると、学校で冷やかされるって」
「今さら何をおっしゃってるんですか?桐野さんよくテレビや雑誌で「子供には親の生き様を堂々と見せればいい」って言ってるでしょう?機嫌取るようなことするからダメなんだって」
「あんなのは建前ですよ。本当はね、子供の為なら何でもする甘あまな母親なんですよ!」
と静香は言い、カバンから封筒をポンと机の上に置いた。
波多野はペンの先で中身を確認した。
「金で何でも解決できると思わないでくださいよ。うちはね穴の開いた紙面を売るわけにはいかないんですよ!」
「そう固いこと言わないでお願いしますよ。おたくは大手新聞社でもなければ一流文芸誌でもないじゃありませんか?何とかなるでしょ!本当に心からお詫び申しあげます。失礼」
静香はそう言い、部屋を出た。
「おい....追いかけるぞ」と波多野。
「えっ?なんでですか?」と稲葉。
「金まで持ってくるなんてよっぽど表に出したくない事情があるに違いない。それをあぶり出して紙面に埋めるんだよ。それが三流週刊誌のプライドだろうが」
波多野が稲葉を連れ、静香を追う。
その頃、マコトのギターショップ。
「ガキは帰って勉強しろよ」
マコトさ遊びに来た未希をあしらった。
「おじちゃんだってバンドにハマって高校中退したくせに」
「だから言ってんだよ。勉強は大事なんだからな。後で苦労しても知らないよ」
「そうそう!」と妻のひなこもうなづく。
すると未希がこんなことを聞いてきた。
「ねえ、おじちゃんとおばちゃんはいくつで結婚したの?」
「....なんだいきなり」
「いいじゃん、教えて」
「マコちゃんが23で、私が18のとき」
「反対されたんだよね....おばあちゃんに」
「まあな、あの時は若かったし、稼ぎも少なかったからな。お前の母ちゃんがさ、ちゃんとした大卒で、大企業の旦那さん捕まえたわけでしょ?あの時は比べられたわけよ」
「でも今は幸せ?結婚してよかった?」
「すっごい幸せ!お金はないけどね」
未希は二人の幸せそうな笑顔を見つめた。
マコトの店を出た未希は智史との約束の場所へ。ベンチに腰をおろし、彼のことを待ちながら、そして自分のお腹に触れてみた。
その時、未希の携帯が鳴った。彼からだ。
「もしもし?」
「....俺」
「....うん」
「ごめん、行けなくなった」
「何時なら来れる?待ってるから」
「いや何時とかそういう問題じゃなくてさ」
「....え?」
「今から塾なんだ。今月から英語をひとコマ増やしたんだ。俺、考えたんだ。やっぱり無理なんじゃないかな。親が賛成するわけないし、自分たちだけで子供を育てていけるわけないし、多分、きっと俺たち後悔すると思う」
「産まなくても後悔すると思うんだけど」
「仕方ないと思う」
「仕方ない?」
「だって、子供がただ生まれてくるだけならいいけどそうはいかないだろ?学校だって辞めなくちゃいけないし、友達だって絶対引くだろうし、俺たちだけじゃなくて、親もいろいろ絶対言われるだろうし....つまり、今までの自分を全部捨てなきゃいけないってわけで。そんなことやっぱり無理だよ。だからごめん。好きだけど、子供は忘れるしかないよ」
「私は忘れられないと思う。だって忘れるってことはキリちゃんを好きじゃなくなるってことだもん!」
未希は電話を切って走り出した。
家に帰ってきた娘を母は明るく迎える。
「お帰り~!学校、どうだった?」
未希は黙っている。
「ま、あがりなさい。ね?」
母が娘の手を引き、娘が脱いだ靴を揃えた。そして娘が母の背中に抱きついた。
「未希、どうしたの?」
未希は首を横に振り、泣き出した。
「わかった....わかったよ....このままね....」
母は自分の背中で我が子を思いきり泣かせてあげた。
翌朝、家族3人で病院へ車で向かった。
「あいにくの天気だな。別にいい天気である必要はないんだがな。この道には思い出があって、未希が生まれたとき、パパは電話をもらって慌ててここを走っていったんだ。その頃は車持ってなかったから自転車で。その日は雲ひとつない五月晴れで...パパ、涙が出てきちゃったんだ。娘が生まれた日にこんな気持ちのいい日にしてくれるなんて。俺の人生も捨てたもんじゃないなって!やっほ~って、やったぜベイビーって!」
「....ちょっと古いよ!ねぇ?」
母が微笑んだ。
「つまり何が言いたいかっていうと、パパもママも未希が生まれた時から、ずっと未希の味方だから。いろいろ手厳しいことも言ったけど。....心配するなってことだ」
「....うん」
未希は笑みを浮かべながら父の言葉を受けとった。
そして病院に着き、母と娘は待合室で待つことに。二人は手をつないで待つ。
「おはよう!」春子が挨拶する。
「....おはようございます」
「大丈夫?」
「....はい」
「ずいぶん苦しんだね。いずれを選んでもつらいもんね。でも間違った答えじゃないと思いますよ。あなたの年齢で子供を出産することは命の危険を伴うからね」
「....命の?」
「そう。医学が進歩してついついみんな忘れがちだけど出産って命がけのことなの。昔はたくさんの人がら子供を産んで命を落としたし、今でもその可能性はゼロじゃないの。16歳にならないと結婚できないのはその年にならないと肉体的なリスクが高いからなの。中学生や高校生が深い付き合いをすることは私は反対。勉強は世間の目なんてどうにでもなるけどあなた自身が死んじゃったら取り返しのつかないことになるでしょ?」
「はい」
「よし!じゃあ手術に備えて、これから行う処置の説明をします」
「....お願いします」
母と娘は頭を下げた。
「今日の体調は大丈夫ね?」
「はい」
「風邪を引いたりしていませんね?」
「はい」
「お伝えした時間から飲み食いしていませんね?」
「はい」
その頃、桐野家では制服に着替えた智史が静香に声をかけていた。
「....ママ」
「ん?風邪もういいの?スッキリしないんならもう一日休んでもいいからね」
「風邪なんて嘘だよ。分かってるだろ?」
「何怖い顔してんの。男前が台無し」
「一ノ瀬の親が言ってたことだけど....あれ本当なんだ。俺、一ノ瀬と....」
「ご飯は?少し遅れてもいいから食べていきなさい。育ち盛りだからオムレツにしようかな?それとも....」
「俺が赤ん坊の父親なんだよ!」
母が振り向いた。
「あいつ、産みたいって言ってたけど、俺、断った。子供なんてどうしたらいいか分かんないし。だけど考えたんだ。このまま、仕方ないって逃げちゃいけないんじゃないかって。だからママに本当のことを言わなきゃいけないんじゃないかって....」
静香が息子の頬を強く叩いた。
「何そんなこと言ってるの!取り消しなさいよ!アンタそんな子じゃないでしょ?ママが一生懸命育ててきたんじゃない!」
「....取り消さないよ」
もう一度、静香は智志の頬を強く叩いた。
「取り消しなさい!」
「取り消さないよ!」
「取り消しなさい!!」
「だって本当のことだろ!」
息子は雨が降る中、傘も差さずに家を飛び出していった。
「....何か、あったんすかね?」
波多野たちが桐野家の前で車に乗って張り込んでいた。
すると智史の前に、未希の父が現れた。
「あれは誰だ?」と波多野。
「さあ、見たことないですね」と稲葉。
「メーカーの営業ってとこだろうが、セールスにした面じゃねえな」
「君!君!桐野....桐野智志くんか?」
「....はい」
傘を投げ捨て智史に歩み寄った。
「私が誰だか分かるか?」
「....分かりません」
「未希の父親だ。話がある。一緒に来てくれ」
歩き出す父を智史が付いていく。
そしてその後を波多野たちも車で追いかける。
その頃、クリニックでは手術の準備が整うまで二人は個室を用意されそこで待つことに。母は娘を気遣い明るく振る舞った。
「気持ち良さそうな布団。ちょっと横になったら?」
娘はベッドで横になることに。
「少し寝なさい。ね、子守唄歌ってあげようか?未希が小さい頃よく歌わされたんだよね。ドラえもんの歌とか....」
娘は何も言わない。
「いらないよね。バカだね。ママ」
母が娘のいる布団に潜りこむ。
「久しぶりだね。一緒に寝るの」
隣の部屋から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
「ママ...?」
「うん?」
「本当に忘れられると思う?」
「赤ちゃんのこと?」
「彼にも言われたの。忘れるしかないって」
「....そうだったの」
「ショックだった。パパに忘れろって言われたときより....ずっと」
「ママ、何も知らなかったね。気持ちわかるよなんて言ったけど全然わかってなかった」
「私、無理だと思う。忘れちゃいけないんじゃないかな。だって誰のせいでもなく私がしたことの結果なんだもん。ママいつも言ってるよね、自分のしたことに責任を持てって。私の責任って、この子のことをずっと忘れずにいることじゃないのかな?」
「未希、確かにやったことに責任持てって言ったよ。けど、責任って苦しむこととは違うと思うの。自分のしたことを受け止めることは大事だけど、未希自身が幸せに生きていくことも大事だと思う」
「幸せになんかなれないよ....私だけ、何もかも忘れて」
「....そうね。うん。全てを忘れることはできないね。でも....辛いけど、頑張ろう。こんな時だから言うわけじゃないんだけど、ママは世界でいちばん未希が....大事。だから、ママも一緒に頑張るよ」
「世界で....いちばん?」
「うん」
「こんなに心配かけたのに?」
「うん」
「こんな、ありえないことしちゃったのに?」
「うん」
「こんな、パパもママも苦しめるようなことしたのに?」
母が微笑みながらうなづく。
「....なんで?」
「どうしてだろうね。理屈じゃないな。未希が生まれて、最初にあのくしゃくしゃな顔を見たときにね、私思ったんだ。この子に逢うために生まれてきたんだなって」
未希は、母の言葉を受けもう一度自分のお腹を触ってみた。
「....お母さん」
「....うん?」
「多分、お母さんが私のことを大事に思ってくれればくれるほど、私....忘れられないと思う。だってお母さんにとっての私は....私にとっての....私にとっての」
ナースが呼びに来た。未希がおもむろに起き上がり...
「お母さんごめん!私やっぱり出来ない。手術なんて出来ないよ!」
「....えっ....未希、どこ行くの?」
雨が降りしきる中、未希は病院を飛び出していく。母は娘の後を追う。
その頃、父は智史を助手席に乗せて車を走らせていた。その後を波多野たちが尾行する。
未希は雨に打たれながら、空から降る雨の粒を見つめながら....
-どこに向かっているのか自分でもわからなかった。でも、お母さん。私、こうなって初めてわかったの。私が生まれてきて、こうして呼吸したり、走ったりしているのはすごい奇跡なんだなってことを。そして、この雨の粒ひとつひとつも空の星屑のひとつひとつもそこにあるだけですごいことなんだってことを-
(参考・どらまのーと)