22歳で売り上げ1億円達成 | 国民の1/3がハマっている副業!?のブログ

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(1話)

島です。

私の職業はコピーライターです。

ある30万円ほどの情報商材を
300人強の人の買って頂き、
1億円を稼ぎました。

このプロモーションで、
私が携わったの主に動画関係です。

専門的になりますが、
動画でのプロダクトローンチと言われる
ものや、

動画の撮影、編集に携わりました。

プロダクトローンチとは、
オプトイン(ランニングページ)と言われる
ものからメールアドレスを大量に取得し、

およそ5通から7通のメールで
買わざるを得なくなるように心理誘導し、
コンバージョン(成約率・購入率)を高くするために
アメリカのジェフウォーカーか開発したものです。

「コピーライターと関係なくね。」

と思うかもしれませんが、
違うようで、実は同じです。

もちろんこれは私の考えだが、
コピーライティングは
心理学を応用して人を行動させる”テクニックだと
思っています。

文章、動画、音声
何を使ったとしても、行動させる相手が“人”
であるかぎり、コピーライターは活躍できます。

だから、こそ1億円を達成したんです。

見込み客がお金を払わないと
気が済まなくなるように、

一言一言、動画で話す内容、順序、単語
を考えつくし、動画を構成してきます。

45分のセールスの動画を撮影するのに、
本当に13時間かかりました。

話すテンション、スピード、声量
これらが、全て複雑に絡まり合い

ある一定の量で混じり合うと
一気にコンバージョンがあがるんです。

私はそれを知っています。

今、どんな生活を送っているかと言うと1日1~3時間作業で
情報ビジネスからの収益が大体20万円くらい
入ってきて、のびのび自由に暮らしています。

サラリーマンは毎日8時間労働で、手取り
20万円と考えると、恐ろしいほど、
自由を感じています。

幾人の私の個別コンサル生と会いに新宿に
行くくらいで、他には外にはでません。

ちなみに、1人のコンサル生はサラリーマンをやっていて、
副業ながら月10万円の不労所得
を達成しました。

よかったです。

やはり、メンターがいないと
稼げない
なと実感した限りです。

…話を戻します。

実は最近まで、大学4年生(2014年卒業見込み)でした。

でも、辞めました。

私の信念を見つける事ができ、それに
忠実に従い、努力すればいいのだと分かったからです。

その信念とは
馬鹿でも大物になれる事を社会に証明する
ことです。

これが私の人生です。

正直、今1億円という大金を稼ぐ力を身につけたのは
この信念のお陰だと思います。

私は今自由に生きれているし、
サラリーマンみたいに束縛なんか誰にも
何にもされていない。

自由な生活をしています。

私が思うに、人のストレスって90%は
束縛から来ると思います。

上司、社会、時間、お金、親、
そういった全てのものから
束縛を受ける事で、人はストレスを
感じると思うんです。

だから、自由って最高です。

ストレスが無いって最高です。


……


もしかしたら……


あなたは勘違いをしているかもしれませんね……


どうせ、私には一生関係ない感覚なんだ……

1億円稼ぐのなんか私のような一般ピーポー
には無理なんだ…


所詮、今なんのスキルも、コネも、お金もない
私が、1億円を稼ぐ事なんて不可能ですよ……


なんて思っていませんよね?

なんか…

はいはい!! 飯島さんは才能があって…
い・い・で・す・ね!!!


どうせ、私は凡人ですよ!!

って言いたい様子ですね……

もしそうであれば、
あなたは100%勘違いをしています。

私はあなたの99倍は凡人です。

今の私もあなたの99倍凡人です。

これは冗談でも何でもなくて、
本当の事実で…

証明するものは無いですが、
とにかく私ほど凡人な人はいません。

先ほど、私は信念を言いました。

馬鹿でも大物になれる事を社会に証明する
と…

この信念が出来上がったのには
大きな私のコンプレックスが始まりでした。

話は私の小学校時代にさかのぼります。

私は小学2年のころからサッカーをやり
だしました。

すると、完全にハマってしまい、
来る日も来る日も朝から晩まで、
泥だらけになるまで、サッカーをして
遊んだり、練習したりしてました。

サッカーボールを蹴る事が
楽しくて楽しくて仕方がなかった。

完全に魂をサッカーに売っていた。

でも、このサッカーがきっかけで
私は思いもしない、精神崩壊状態
なっていく事になる…

いたずら坊主で、いつも友達にカンチョウを
狙っているような本当に
わんぱく坊主で、

両親には3ヶ月に1回は
わたしが悪さをした友達の
家におやつを持って謝りにいかせていた。

そんな私が、亀になりたいと願う
ようになった。

続く……

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