休日であれ、夜間であれ、早朝であれ上司から私の携帯に電話がかかります。

約5年間、私は出続けました。旅先までかかってきたこともあります。


もし仮に、私が大学の正規職員であり、重要な役職地位についているのであれば、

多少ともそれくらいの対応は必要なのかもしれません。ですが、私は時間給で働く

身の上です。また実際にはフルタイムなみの働きを行っているにせよ、社会保険と

いった福利厚生費の支払を割愛するため週当たりの労働時間を社会保険適応外

の低時間に設定された雇用形態で働いている境遇です。そのため健康保険や年

金といった保険は全て自分で支払っていました。オーバーワークで頸椎に支障を

きたしたときも、自分の保険での診療です。そんな境遇の私が、ではなぜそこまで

上司のいいなりになってしまったのか・・・


すべてはモラハラの加害者のみが持つ魔法の力にありました。


どんな電話であっても電話に出る際、多少の緊張が伴うものではないでしょうか?

親しい友人でも、それは同じではないでしょうか?ところがそれが自分の上司から

それも勤務時間以外に電話があるとになると、緊張は頂点です。私はいつも、(

か失敗をおかしてしまったんだろうか・・・・・)と不安で一杯で電話に出ていました。

ですが、実際に電話に出て本当に緊急を要する場面はただの一度たりともあり

せんでした。ましてや私自身にまつわる話題は一切なかったのです。よく考えてみ

れば、私の身分で大事態があるなんてことは普通は考えられないのです。電話が

かかってきた用件で記憶しているものに下記があります。


「あれ、どこにあったけ」

「あの書類だした?」(前日に業務完了報告を行っているのだけれども!)


こうしたやり取りは年々増加していきました。そのため自分の休みの前日は、電話

がかからないようにするため、ありとあらゆる対策を行いました。そしてそれをやら

ないと帰れない=不安になるという状態にさえなっていったのです。私は、上司の

脳内の記憶に残るよう、ありとあらゆるリマインダー対策を行っていきました。たと

えば乾電池の所在から、細かな文具類の所在にいたるまで、テプラで名前シール

を作りはりまくりました。ですがそれでも効果はありませんでした。予想もできない

ような内容の電話がかかってきました。私の攻防はまるで砂の城のように空しく崩

果てていきました。本来なら、ここで(あ~ムダだ。相手はビョーキなんだ。これか

らは電話に出るのもやめよう。)と思うのかもしれません。ですが攻防むなしく電話

がかかる度に、私は、(私がしっかりしていないから電話がかかるのだ・・・・)と自分

を責め続けていったのです。私は完全に上司のロボットになってしまったのです。


外出していて、瞬時に電話に出られなければ、必ず自分からかけ直していました。

費用は自己負担です。上司は私の携帯番号を登録した携帯電話から、私に電話

をかけてきますが、この上司が所有する携帯電話の支払は上司の私費ではありま

せん。だからこそ、土日であれなんであれ、料金の負担も考えず電話をかけまくる

ことができるのかなとさえ感じています。なぜなら自己負担であれば、そんな些細

なことで電話をかけてくる人はいないのでは?と思えてならないからです。


当たり前のことですが、周囲の友人知人、そして相談をしに行ったカウンセリング

の先生からも、勤務時間以外に、それもプライベート電話にかかってくる電話は、

「絶対電話をとるな」と忠告されました。私もそれが一番いいのだとアタマの中で

理解しています。ですが、携帯電話が鳴るたびに、着信の履歴が残るたびに、こ

わくてこわくて仕方なくなるのです。出ずにいられなくなってしまったのです。です

が、電話をとってしまったらしまったで後悔と自責の念にとらわれます。結局、電

話を無視することも受けてしまうことの恐怖もイコールになってしまい逃げ場がな

くなっていきました。着信履歴が残っていればいるだけで、(あ~一体何だったん

だろ。私が何か失敗していたら・・・・)そればっかりが脳内を埋め尽くし何もできな

くなるのです。それも、着信履歴が、同日に2回3回・・・と重なっていくたび恐怖は

さらにつのり、自ら上司へ電話をかけ直してしまうのです。


せっかくの土曜日の朝だというのに、電話の着信で起こされ、体が動かなくなり、

部屋にひきこまらまらずにいられない日々を幾度も繰り返しました。また、最初か

ら電話に出たら出たで、(なぜ、こんな内容の電話にまた出てしまったんだろう。)

を繰り返してしまうのです。



電話が本当に怖いです。



よく「電話番号の着信拒否をしたらいいよ」と気軽にアドバイスしてくださる方もいら

っしゃいます。ですが、相手に私が拒否しているということが知れる恐怖もはかりし

れないのです。「お客様のご都合でおつなぎできません♪」という音声が流れたら

私はそれをなんと上司に弁明したらいいのでしょうか?「ねえ、一体どういうこと?

つながんないんだけど・・・電話変えたの?」その一言を想像するだけで、私は凍り

ます。上司とたった二人きりの密室で繰り返されるその様は、まさに地獄絵図です。

と同様に「電話番号の変更」もしかりです。「電話かえた?早く教えて新しいの!」

と命じられれば、それこそパブロフの犬のように、私は嬉々とした表情で、笑顔で、

新しい番号を彼の携帯に着信させているかもしれないのです。


本日、朝から3度着信が入りました。一昨日の晩、大学から終電で帰宅しました。

それでも、まだ仕事が終わらないという恐怖からその晩私は、一睡もできなくなり

朝までおき続け、とうとう始発で、大学へまた出向いてしまったのです。その日は、

本来休みの日だというのにもかかわらず。心の中で(午前中だけ働こう!)と言い

聞かせながら・・・・・。そして結局昨晩もまた眠れませんでした。約3時間程うつら

うつらはしましたが、実はこの3日間、不眠のような有様でした。ようやく、昨夜と

いっても、本日の明け方ようやく眠ることができるかと思ったにもかかわらず、朝、

は上司からの電話で起こされました。が、本当に身体がいうことを聞かず幸い

にも電話をとることができませんでした。しかし、その後も、午後までずっと電話

が鳴り続けました。けれども今回だけは頑張って頑張って泣きながら、携帯の音

を消しました。今私は、人生にかかわる重要な電話を待っています。だから音を

消すぐらいしかできないのです。絶対受けたい電話なので、本当は、バイブレー

ター扱いにしておきたいのです。でも、携帯が震え続けるたび、私の心も心臓も

それ以上にバクバクしていくのです。だから、今の私には、音なしの処置しかない

のです。

携帯電話を受けないとしても、私は、休み中であるにもからわらず、自分で買った

PCから大学のメールにアクセスし、朝から上司からのメールの確認をしてしまっ

ている次第です。(携帯にかけてきたのだから、何かあったのかも・・・)という起こ

りもしないであろう何かに怯えながらです。)朝から水ですら口にすることができな

いくらい、PCと机から離れることが出来なくなってしまったのです。本日の休みを

利用して作らなければならない自分のための書類がまだ山積みです。自分の勉強

も山のように残っていますが、まるでなまけもののように手につかなくなってしまう。

こんな自分が本当にイヤになります。結局、電話の内容は、私以外の誰かで十分

対応できる内容のようでした。私が行うべき仕事や業務は出来る限りの代替案とと

もに現在すべて終了させていると自負しています。これ以上、社会保険もないアル

バイト身分のが対応できるところは本来ないはずなのです・・・・・



今もなお、携帯電話からも仕事のメールからも離れることができない自分自身を

本当に呪ってしまいます。けれども、今回の電話をなんとか阻止することができた

のは、5年目にしてようやく私が手にいれた自由への切符であると信じてやみませ

ん。いっても、昨日までに私が行った仕事に不備がないのかどうか?心配になり

自宅から、大学の関連部署に自ら電話をかけ確認してしまっているという事実を考

えると、本当ノ自由への道は険しいのかもしれません。



私は今月末で、この恐ろしい魔物の上司のもとを去ります。だからこそ本当は、今、

こんなにあわてることもないはずです。もっとすっきりした気分でその日を迎えれば

いいはずなのです。5年働いた分の有給休暇はまる1か月分以上あるのです。けれ

ども上司は全くそのことを理解してくれません。年度末の業務をこなし続けるしかな

いのです。現在残っている職員に引き継ぎを行いたいと先月から申し出ても、「これ

は本当は彼の仕事だけどね。彼嫌がるからさ・・」とか、「彼はいま忙しいから」といっ

てまったくとりあってくれませんでした。今だにまだ出てこいとメールや携帯で圧力を

かけてきています。



3月以降の私は果たして存在するのかどうか。それさえも今、わからなくなってます。

本当に消えてしまいたいです。



ストックホルムシンドロームという症候群があります。恐怖体験により、本来なら忌み

嫌う恐怖体験ですら、それこそが最高の体験と錯覚してしまい、負の方向へと自らが

自らを運んでいってしまうという心理状態だそうです。この言葉を聞いて、私はまさに

これだな感じました。私は、この魔物の傍からいち早く離れたいと願っているのにも関

わらず、心のどこかでここから去ることにおびえているのです。ここよりもっと恐ろしい

ところがあるのではないか。この上司よりも恐ろしい人にこれからも出会ってしまうの

ではないかと。だから、ここは私にとっては最高の環境であり、私の上司はいい人なん

だ。それなのに関わらず、私はそのいい人を嫌悪しているとはなんと自分は悪い人間

なのだろうか!?もっと恐ろしい人は他にもいるではないか。例えばニュースに登場す

る極悪犯罪者に比べたら、この人(上司)は天使だ・・・・・・・と。モラハラのおそろしさは、

おそろしいマインドコントロームが発生し、完全に精神が、蝕まれてしまうことにあります。

キング牧師はかつて、「一番おそろしいのは、精神をも奴隷にさせられてしまうことだ」

と語っています。今私が一番会ってみたい人はキング牧師です。どうやったらあなたの

ように強くなれるのか。どうやったら自由と平等を手に入れることができるのか。たぶん

この問題は永遠のテーマなのかもしれないけれど。



























モラハラの加害者は、「被害者との直接対決を避ける」という習性がある。


例えば、何かを頼む時、指示する時、口頭ではなく、付箋をつけた書類の束を

相手の机に置いたり、メールでのみ用件を伝えるといったように。。(すぐ隣に、

相手が座っているというに!)


これは、相手を追いこんでいくことにおいて有効的な手段です。じんわりゆっくり

効果的に被害者の心を蝕み、自ら考えるという行動を抑制し操作し再帰不能とし

ていくのです。被害者は、まるでATMのボタンを押されたかのようにに、加害者の

意のままに動くようにトレーニングされてしまうのです。何も反論もできぬままに。

そしてもし被害者が加害者に対して、何か確認や質問をしようとしたら、「えっつ?

そんなこともわかんないの。書いてあるじゃない。ちゃんと読んでよ。」といった事

を態度で示すだけでいいのです。疲れてるんだよといった表情で相手をただ黙っ

て一瞥するだけ、もしくは、ハ~っと溜息をつくだけでよいのです。それを繰り返し

ていけば、被害者は何もいわず、ただ命じられたままにまるでロボットのように動

くようになるのです。



私の上司は、何か用事を頼むごとに、テープレコーダーを使います。テープレコ

ーダーの横には黒いボックスがあり、その箱の周りをグルリと番号札がついたクリ

ップが取り囲んでいます。


例えば、私に、本のコピーを頼みたい時には、対象となる書籍に番号札をつけ、

「○○番コピー45頁から80頁まで」といった具合にテープレコーダーに吹き込む

のです。家族にこの話をしたところ、007の映画にあった「ミッション」みたいだと

形容していました。ブラックボックスから聞こえる姿無き「Voice」は厳格化され、

その指示は絶対。誰も迷うことも、ためらうこともなく、ミッションを遂行していくのです。

また、自分と対峙する対象が可視化しないだけ、コミュニケーションは一方通行のひと

り相撲となります。そこで拒否したり半旗を翻すことは、自分自身からの逃避と錯覚し

てしまう大きな落とし穴があるのです。



私は、上司のこの方法を初めて見たとき、とてもびっくりしました。ひどく非人間的な感じ

がし嫌悪感を感じました。けれども、この方法が当たり前になってしまったいまでは、これ

こそが効率的な方法だ!と感じてしまうことすらあります。おそらくまだ洗脳から抜けきれ

ていないのかもしれません。私は上司の傍にいるのです。真向いのデスクです。


結果的に、私は、この上司の声を聞くだけで、「何かしなければならない!」と、ピピっと、

身体にスイッチが入ってしまいます。まるでパブロフの犬状態です。「ハイルヒットラー!」

と、かつてナチが敬礼を行っていたように。テープレコーダーの録音といっても、相手は、

かなり適当にしゃべっているだけなので、音がきちんと確認できない事もあります。特に、

この方法を体験しはじめた頃は、勝手がつかめず、また、複数の用件が収録されている

場合、一体どこがどの切れ目なのか?また、前回収録したテープに単純に重ねて録音し

ているだけなので、何を言っているのかわけがわからなくなることもあります。そのため、

テープを何度も聞き返す必要が出てくるのです。ある日のことでした。傍にいる上司の

手前、操作音や音量がうるさくなっては申し訳ないので、手で覆い隠しながら耳にあて

小音量で確認をしると、「え?何?わかんないの?」と上司。私はその時、ただ「すみま

せん」とだけひたすら謝りました。けれども決して最後まで、頼んだ用事が何であったかを、

肉声では伝えてもらうことができませんでした。


それ以来、私は自分の耳の聴覚が悪いからだ、私がダメだからうまく聞き取れないのだと

いうジレンマに陥ってしまいました。それ以降、どうしても聞き取れないテープは、上司

に隠れてトイレの中でそっと確認したことも何度もあります。かなり恐怖になってからは、

聞き取りにくい単語で自分なりに分析したり、かつ依頼頻度の高い業務内容を記載した

クリップを自ら作成し、上司にそれを使って頂くという措置まで行っていました。結局、自らが

上司が私にさせたいことを率先して行っていったのでした。頭の中では、(テープの録音状態

が悪いからなのだ)とわかってはいても、(ああ、私の耳が悪いから、だから、私は彼の気分を

害してしまった。私が悪いのだ)と、どんどん自分を追い込んでいきました。私は、聴覚がそん

なに優秀ではありません。と言っても日常生活に支障はないのですが、元来のコンプレックス

がこのことによって益々増長し、死にたいを繰り返すようになっていったのです。


他、しばしばというか、かなりの頻度で私の上司は、上司の私用の業務や担当者が他に

いる作業をたくさん頼んできました。(例:確定申告の領収書の計算や、上司の家族の保険請求

の処理の調査、スポーツクラブの会費の納入など)その際、私に投げかけられる言葉は、決まっ

て「つまんない仕事だけど」でした。これは、「これをやってくれ」にかかる「枕ことば」でした。


元来、私が担当している仕事なんて面白いもんじゃないです。ほとんどが雑用の積み重ねといっ

ても過言ではありません。もともと仕事なんて、面白いとかつまらないといった区分ではなく、仕事

だから遂行する、生きるための飯のタネのためにと思って働いているのにすぎません。もちろん

生きがいに結びつくような仕事に携わることができるのが理想ですが。


私は、上司からの「つまらない仕事だけど・・・・」という、この魔法の言葉を毎回利用されていく

度に、どんどん、(結局つまらない仕事しか私には任されない。それ以外は私にはできないのだ。

なぜなら私には能力がないからだ。だから仕事をさせて頂けるだけで感謝するべきなのだ。こん

な私でも頼られるのかもしれない。だから与えられた仕事は全てこなそう。いややらなければなら

ないのだ)と思うようになっていきました。結果的に私は、上司が直接私に指示をおこなわなくとも、

深夜残業を当たり前のようにこなし、上司が別に運営するベンチャー企業の雑務までを回されても、

抵抗すらできず、約四年も続けてきてしまったのです。月残業150時間越もありました。周囲には、

なぜ辞めなかったのか、拒否しなかったのかと、不思議がられます。私自身も頭ではわかってい

ます。けれど密室で二人きりしかいないオフィス環境のなせる技なのか、「断る」=拒否することが

自分の一番恐怖となり、私はできなかったのです。そしてそれに拍車をかけたのは、上司の云う

「あたま使わない仕事」という台詞でした。この台詞は、私が直接言われた台詞ではありません。

けれど、私以外の第三者が行っている仕事に対して(私が行っている仕事と同じようなスタイルの

業務)、幾度となく吐き捨てられた台詞だったのです。私は心のどこかで、認めてもらいたい、私は

今こんなにアタマを使って仕事をしているのだから理解してほしいという一心で、バカみたいに、

走りつづけていたのです。


モラハラの加害者の恐ろしいところは、決して自分自身が使った言葉や行った行動で、即、

相手を苦しめるということがないことです。モラハラの加害者は、間接的に被害者が自分自身

で自分を蔑み憎しみ陥れていくことを、魔法の呪文唱えながら、杖をひと振りするだけで達できる

ところがもっとも恐ろしいところです。だから、被害者、いつも、(私が悪いからだ)と思い続けて

しまうのです。


私はこの世に「あたま使わない仕事」も「つまらない仕事」なんてないと考えています。

手を動かすのだって、足を動かすのだって、全て脳の司令があってこそです。

また、「つまらない仕事」について考えたとき、その逆の「面白い仕事」とは一体、どんな仕事で

しょうか?と考えます。自分の好きな仕事は面白くて楽しいかもしれない。けれども、自分自身

好きな仕事を行う際にも雑用は付随します。漫画家は作品を創出する時が一番面白いのでは

ないでしょうか。イメージがカタチになっていくプロセスに面白みを感じるのではないでしょうか?

けれどそれを行ううえでの、紙やインクのメンテナンスといった雑務は単純に面白いものでしょう

か?美味しい料理には食材の豊かさも勿論不可欠ですが、めんどうな手間暇があってこそ、

素晴らしい一品になるのではないでしょうか?

私は、そんな価値判断だけで物事をはかれることに恐ろしさを感じます。大学という教育の場に

身を置く者が、そのような感覚でいいのかなあと何度も思いました。反面教師という言葉が頭に

思い浮かびました。私の上司は、社会的に権威ある教授として名が轟いています。マスコミへの

登場回数もかなりです。そういったこともあり、私は、まさかこの上司が最強のモラハラの加害者

とは露も考えもしませんでした。私が自殺を考えどうしようもなくなったとき、遂にカウンセリングを

受けました。その時、言われた一言です。「どんなに社会的に地位があっても、関係ない。どこか

突出したものがある代わりに、そういった種類の人間は、一般的な常識や人間性にかけていると

ころがある場合がある」と。結局、人間はプラスマイナスゼロなのかもしれません。