恐竜と言う言葉を作ったリチャード・オーウェン


「恐竜」という言葉をつくったリチャード・オーウェン
人類のサルから人への進化論によってダーウィンの宿敵となる


(リチャード・オーウェン,1804年 1892年)

リチャード・オーウェンは優秀な生物学者で比較解剖学の分野でさまざまな功

績を残しました。

 
比較解剖学とは生物学の一種で、さまざまな生物の構造を比較し調べる学問です。

研究の対象は現存するものだけでなく、絶滅した生物にもおよびます。

発掘された化石をもとに、かつて存在していた古代の生物の生態を解き明かしていくのです。
彼は爬虫類や哺乳類、鳥類というありとあらゆる生物を研究し、次々と論文を発表しまし

た。

 

そんなオーウェンが「恐竜」の存在に気付いたのは、世界で独特な特徴を持つ生物の化石

が発見され始めた、1830年代後半のことです。
1825年、イギリスでマルテル夫妻によって『イグアノドン』という巨大生物の化石が発見されました。

発見当時イグアノドンは「大型のトカゲ目」の一員で、イグアナの仲間だと考えられてい

ました。

1820年マルテルイグアノドンは1825年に、初めての植物食恐竜として記載され

1824年にウィリアム・バックランド氏がメガロサウルス

その後1832年に『ヒラエオサウルス』、1836年に『テコドントサウルス』、1837年に『プ

ラテオサウルス』の化石がそれぞれ発見されると、オーウェンはこれらの生物の独特な特

徴に注目します。

 

「これらの爬虫類生物は、今ある爬虫類グループのどれにも属さない」と考えたオーウェンは、研究を重ねました。

 

研究の結果、この独特な生物には共通の特徴があり、脚の構造がどの爬虫類グループにも属さない、新しいグループであることが明らかになったのです。


「恐竜」の誕生

1841年、オーウェンはこれらの巨大な爬虫類生物を「恐竜(dinosaurus)」と名付けまし

た。

「dinosaurus(ディノサウルス)」は、ギリシア語の「ディノ(恐ろしい)」に「サウル

ス(爬虫類などの生物)」を組み合わせた造語です。

 

こうして生まれた「恐竜」という言葉は生物学界だけでなく、世界中に広く浸透しました

 

 

永遠の宿敵?チャールズ・ダーウィン

チャールズ・ダーウィンはオーウェンと同じ生物学者で、有名な『進化論』を唱えた人物

です。

オーウェンとダーウィンの間には深い確執があったといわれています。

しかし、元々2人は仲の良い友達だったそう。

 

ダーウィンの『進化論』とは、生物は自然界で生き残るため長い時間をかけて進化してき

たと主張するものです。

人間も元々はサルの仲間であり、自然界の生存競争に負けないために少しずつ進化を遂げ

てきたというのです。

2人の仲に暗雲が立ち込めたのは、この『進化論』が原因でした。

オーウェンは、どうしてもこの『進化論』が受け入れられなかったのです。

今でこそ「人間はサルから進化した」という説は当たり前に受け入れられていますが、当

時キリスト教

 

の世界では、人間は特別な存在で神様によってつくられたと考えられていました。

また、生物は神様によって誕生させられるもので、進化によって生まれるものではないと

も考えられていました。

 

こうしたキリスト教の考えを真っ向から否定するダーウィンの進化論は、ことごとく反論

されます。

それまでダーウィンと仲の良かったオーウェンもこの進化論が受け入れられず、次第にダ

ーウィンを厳しく批判するように。


オーウェンはダーウィンや進化論の支持者をあらゆる所で酷評し、嫌がらせまでしました

 

彼にとっては、どうしても許せないことだったのでしょう。

しかしこうした一方的な批判は、ダーウィンに

 

『私は彼を憎んでしまうことを常々恥ずかしいことだと思っていた。しかし今は、我が生

涯最後の日々に憎しみと軽蔑を入念に心に留めようと思う。』

 

とまで言わせてしまうほどでした。

やりすぎだったのです。

 

結果、オーウェンは学界で次第に孤立するようになります。

感想 宗教は結局広い視野で考える事を出来なくする愚かなものでしかないものだということである

 

ちなみに日本で一番最初に公開された恐竜はアロサウルス

 

日本の恐竜発掘史は、1934年発掘と命名

ニッポノサウルス

ほぼ全身(およそ60%)の骨格が発見された