八月納涼歌舞伎 第三部 狐花 8/5(歌舞伎座) | 晴れ、ときどき観劇。

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花は葉を知らず、葉は花を知らぬ

 

 

 

 


 
このテーマを歌舞伎にするなら他の描き方もできたかもしれない、という気持ちと、京極夏彦にはこうとしか描けぬであろうよ……(したり顔)という気持ちがせめぎ合っております。


登場人物が全員くどくど全部言うのが京極作品の大きな特徴であり、しかも同じことを繰り返しているようできちんと読めば応酬の中で螺旋状に変遷していく会話であり重複削除ができない・省略もできないと分かるし、ゆえに書かれたものをそのまま演るしかないんだけど、耳で聴いているとどうしても音が似るから狂いそうになる人も、もしかしたらいるかもしれない。
でもね、ちゃんと聞いてると実は鸚鵡返しはしていないし(聞き返しはする)、過剰に抽象に逃げてもいないし、それぞれの人物がそれぞれの軸で生きて言葉を発していることが明確だから、集中していれば置いていかれることはない…んだけど、集中していないと乗り遅れるのは間違いないと思います。別に苦手な演出家を当て擦っているわけではありません。予防線。
だし、脚本家としての京極夏彦を過剰に持ち上げているつもりもございません。人間が演ずるのだから限界はある、舞台は難解なセリフをたくさんしゃべる選手権ではない。せっかく広い空間があって役者の漲る肉体があるのに、会話にだけ頼りすぎている。観客の耳と集中力を過信している。脚本家としては。でも京極夏彦、脚本家が本業じゃないからな~~~~、脚本家じゃなくてこれだけ面白いホンが書けるのはすごいことだし古典をなぞるだけじゃ新しい血を入れる意味もないしな~~~~~、見れば見るほど面白いんだよな~~~~~でも舞台って1度しか見ない観客も必要十分に面白がれないといけないからな~~~~(堂々巡り)(ひとりずもう)(2階席でなにやってるの?)
 
いや、でも本当に普遍的でいいテーマだと思うんですよ、復讐って。それを否定していることも、否定しながらも同調し同情してしまうことも、そして理屈の外側で理不尽を働く人間を理屈のなかに引きずり戻すことを最大の復讐と捉えていることも、全部いい。やっぱり好きだなあ京極夏彦。

まだ、お日にちもチケットもございます。お時間がある皆様、ぜひに。何度でも。