なんだか、認識の変更が起きました。
今日、ノートに
「私はもともと幸せだった。メソッドも、そんなもの本当はいらなかった。」
と、まるで7章に書いてあることを書いてました。
こう書くと、ものすごくありきたりなんだけど、
退院して、日常に戻ったら、日常って幸せだった。
でも、これは入院したからというよりも、認識の変更が起きたから。
本当に、パラレルワールドに来たかのように、私の住んでる世界が変わったように感じる。
別に、何も現実的観点で言ったら変わってない。
このブログを書いた時の私そのまま。
今から4年前の、2020年7月のこと(懐かしい🤣)
↓
・ 彼氏(かれこれ4年もいない、、泣)
・ 貯金ゼロ
・ ややぽっちゃり(160cm 53kg)
・ 転職の不採用、かれこれ50社軽く超えてる
・ 片思い歴3年
まぁ、変わった点もある。
歳とったし、それに伴い彼氏いない歴は8年になったw
逆に体重はあの時から5キロやせて、転職した。
この時片思いしていた彼は、他の女性と結婚して海外に住んで子供もできている。
私は相変わらず、片思いだし、しかも彼女がいる、という再配達まで受け取っている。
でも、それでも幸せ。
それでも、現実の見え方が変わったの。
何の認識が変わったか?
と言うと、結局、自分を愛するようになったこと。
これはつまり、
願望より自分が大切だし、現実より自分が大切、ということ。
主客が逆になった。
これまでは、自分の上に願望と現実があった。
叶ってない自分は嫌いで仕方なかったし、そんな自分の目の前にある現実も不満だったし、とにかく現実を変えたくて仕方なかった。
大好きな彼は、私より大切な優先事項だった。
でも、もう、その生き方を変えたんだ。
そう思ったら、今、私は私のこと大好きと心から言える。
というか、もともと本当は自分のこと好きだった。
そしたら、ただ目の前のことに集中できるようになった。
いつも何をしてても、不足を感じてた。例えば、彼がいたら楽しいのに、みたいな感じで。
今は、ただただ目の前のものを楽しめる。スタバでお茶してても、ごはん食べてても。
嫌な現実見えたら、ホラッちょは相変わらずごちゃごちゃ言って、飲み込まれそうにもなるし、
生理前とか寝不足とか飲みすぎたりするとナイーブになったりもする。
でも、それをどうこうしようとも思わなくなり、
現実をどうにか変えたい、とも思わない。
自分も現実も、どうにかする、どうにかしなきゃいけない対象じゃなくなった。
もちろん、パートナーは欲しいし、それが彼だったらいいな、と思う気持ちはある。
さっさと別れればいいのに、と思うこともある。
でも、メソッドで現実を変えようとは思わない。
だって、変えられないし。
前回、「なる」について書いたのにアレですが、
「なる」必要すらない。本当は。
“幸せな私”に「なる」とか、なれるわけない。
だって、幸せな私なんだから。
ただ、エゴと同化して、その狭い世界が全てと思い、自分を卑下してるから、自分のことを“幸せじゃない私”と思い込んでただけだった。
世界は、喜びに満ちていた。
これから、好きなことして生きていこうと思います。
語学の勉強したり、ワイン飲んだり、旅行したり。
そうそう、旅行だって、あり得ないほど行ってるな、と。
当たり前に行ってたけど、本当は幸せだったよな、と。
あと、鎌倉の本屋さんに入ったら、予想以上に中は広くて、でもちょっと古い本の匂いもして、
大好きだった図書館を思い出した。
図書館の匂いが好きだったし、本を読むのが好きだった。
そういう、好きだったこと、全然してあげれてなかったな、と、ちょっと泣けた。
空白の15年とは言わないけど、それぐらい彷徨って、心ここに在らずで、
自分にエネルギー注げてなかった。
だから、これからは思う存分、自分が楽しいと思うことを、楽しんでしていきたい。
これが、今の私。
願いを叶えたくてメソッドをして、歩き始めたけど、
究極的には、願望を捨てるところにたどり着いた。