2018年03月23日(金)
天気図、読める?
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コレ(世界気象デー)は………
>>>気象知識の普及や国際的な気象業務への理解を促進するため、
毎年キャンペーンテーマを設けてイベントなどを開催している。
気象知識………普及してます


気象業務への理解を促進………してます


『晴れ 後、曇り………所により にわか雨 が降るでしょう………』
こんな気象情報………何の役に立つんでしょう………

申し訳ない………天気図 読めて………誰得


昔の人々は………
日々空を見上げ………
空気の匂いを嗅ぎ………
肌で天気を感じてた………
大切に育てた作物が、収穫前 に 雨 に当たって ダメにあっては大変………
収穫前 に 台風 が来て、稲 が全て 薙ぎ倒されては、大変………じゃ済まん
漁に出るのに、明日の天気が分からないのでは、話になりません………
所により………とか 悠長 な事は言ってられへん………
昔は、気象衛星 とかも無い………
けど………今より 的確 に 天気 を 予想 されてたようです………
なんてったって 死活問題 ですから………



そして………
戦国時代 にも 気象学 に目を向けた 武将 が居りました………
そうっ
戦国史上 最も有名な………
あの

織田信長 公 である。
信長さん は、雨の信長 という異名をとるほど 雨の日の合戦が多かった………
ようです

有名な………
桶狭間の戦い
アレって………
今川義元 は、尾張の沓掛 から 大高城 に物資を大量に搬入し
大高城 に入ることは明白であった。
大高城 に向かうには、狭間 といわれる細い窪地を通る必要があります。
その 狭間 こそ、少ない兵 で、今川の大軍に対抗できる唯一の場所 と
信長 は、考えておりました。
そこで、狭間 に入った 今川軍 に、現地の農民 が酒などを差し入れし、
今川軍 は、ソコで 小休止 を取ります。
そして、小休止 して、油断している 今川軍 を、強襲し、義元 の首を獲ったのである。
っと一般的には、思われてる方も多いのではないでしょうか

私も、学校 で、そぉー教わった気がします………
ただ………
私は、実際に 桶狭間 の今 川本陣跡 と言う処を見てきました

本陣 は 山の中腹 にあったようです………
今は、移動 と言えば………車 でしょうが………
昔は、人力・馬でしょう
人や馬が大勢で動けば、砂煙が舞い上がり、足音(馬の蹄の音)が目立つでしょう。
此処(今川本陣)から、下の様子 は、よく見えたことでしょう………
ソコに、義元 の 油断 があったのではないでしょうか

信長 は、砂煙 や 蹄の音 を隠すのに、雨を利用 しました。
大雨で視界は悪く、激しい雨の音は、蹄の音を隠しました………
つまり、地形………というより、自然の力 を 利用 したのです。
信長公 は、粗野 で、激情家 の 大虚け というイメージでしょうが………
そんなのは、

秀吉
が作成(を指示)した 信長公記 に記載された 信長公 のイメージ であって………
※信長公記
信長公 の記録 と言うより、次期天下人 に成るであろう

徳川家康 を持ち上げる為に作成されたのでは
………との説もあります………

秀吉『何も 真実だけを語り継ぐ必要は無いのだ………
強いモノ が 歴史を創る………そうでは無いか
』
話は、戻り………
信長公 は、戦に 気象学 を用いたり、鉄砲 を導入したり………
かなり 頭のキレる人物 だったと推測されます
。
因みに、本能寺 の時、火矢 を使ったのは………
本能寺自体 が 焼け落ち、抜け道 の形跡を消す為 だったと思われます。
風の向き、強さ(延焼の速度・逃げる方向)も計算に入ってた


事実………秀吉 は、ろくに(信長の)遺体捜索もせず、その場を更地にし、
違う場所に、新しい本能寺 を立て替えました。
(証拠隠滅………
)
コレ(世界気象デー)は………
>>>気象知識の普及や国際的な気象業務への理解を促進するため、
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気象知識………普及してます



気象業務への理解を促進………してます



『晴れ 後、曇り………所により にわか雨 が降るでしょう………』
こんな気象情報………何の役に立つんでしょう………


申し訳ない………天気図 読めて………誰得



昔の人々は………
日々空を見上げ………
空気の匂いを嗅ぎ………
肌で天気を感じてた………
大切に育てた作物が、収穫前 に 雨 に当たって ダメにあっては大変………
収穫前 に 台風 が来て、稲 が全て 薙ぎ倒されては、大変………じゃ済まん
漁に出るのに、明日の天気が分からないのでは、話になりません………
所により………とか 悠長 な事は言ってられへん………
昔は、気象衛星 とかも無い………
けど………今より 的確 に 天気 を 予想 されてたようです………
なんてったって 死活問題 ですから………




そして………
戦国時代 にも 気象学 に目を向けた 武将 が居りました………
そうっ

あの

織田信長 公 である。
信長さん は、雨の信長 という異名をとるほど 雨の日の合戦が多かった………
ようです


有名な………
桶狭間の戦い
アレって………
今川義元 は、尾張の沓掛 から 大高城 に物資を大量に搬入し
大高城 に入ることは明白であった。
大高城 に向かうには、狭間 といわれる細い窪地を通る必要があります。
その 狭間 こそ、少ない兵 で、今川の大軍に対抗できる唯一の場所 と
信長 は、考えておりました。
そこで、狭間 に入った 今川軍 に、現地の農民 が酒などを差し入れし、
今川軍 は、ソコで 小休止 を取ります。
そして、小休止 して、油断している 今川軍 を、強襲し、義元 の首を獲ったのである。
っと一般的には、思われてる方も多いのではないでしょうか


私も、学校 で、そぉー教わった気がします………
ただ………
私は、実際に 桶狭間 の今 川本陣跡 と言う処を見てきました

本陣 は 山の中腹 にあったようです………
今は、移動 と言えば………車 でしょうが………
昔は、人力・馬でしょう
人や馬が大勢で動けば、砂煙が舞い上がり、足音(馬の蹄の音)が目立つでしょう。
此処(今川本陣)から、下の様子 は、よく見えたことでしょう………
ソコに、義元 の 油断 があったのではないでしょうか


信長 は、砂煙 や 蹄の音 を隠すのに、雨を利用 しました。
大雨で視界は悪く、激しい雨の音は、蹄の音を隠しました………
つまり、地形………というより、自然の力 を 利用 したのです。
信長公 は、粗野 で、激情家 の 大虚け というイメージでしょうが………
そんなのは、

秀吉
が作成(を指示)した 信長公記 に記載された 信長公 のイメージ であって………
※信長公記
信長公 の記録 と言うより、次期天下人 に成るであろう

徳川家康 を持ち上げる為に作成されたのでは



秀吉『何も 真実だけを語り継ぐ必要は無いのだ………
強いモノ が 歴史を創る………そうでは無いか


話は、戻り………
信長公 は、戦に 気象学 を用いたり、鉄砲 を導入したり………
かなり 頭のキレる人物 だったと推測されます

因みに、本能寺 の時、火矢 を使ったのは………
本能寺自体 が 焼け落ち、抜け道 の形跡を消す為 だったと思われます。
風の向き、強さ(延焼の速度・逃げる方向)も計算に入ってた



事実………秀吉 は、ろくに(信長の)遺体捜索もせず、その場を更地にし、
違う場所に、新しい本能寺 を立て替えました。
(証拠隠滅………

